ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「核廃絶は、遠くに掲げる理想ではなく、今必死に取り組まなければならない人類存続に関わる差し迫った現実の問題です」広島県知事・湯崎英彦氏

2024年08月07日 | 世界とわたし

広島県知事・湯崎英彦氏のスピーチの一部、文字起こし
先般、私は、数多の弥生人の遺骨が発掘されている、鳥取県青谷上寺地遺跡を訪問する機会を得ました。
そこでは、頭蓋骨や腰骨に突き刺さった矢じりなど、当時の争いの生々しさを物語る、多くの殺傷痕を目の当たりにし、必ずしも平穏ではなかった当時の暮らしに思いを巡らせました。

翻って現在も、世界中で戦争は続いています。
強いものが勝つ。
弱いものは踏みにじられる。
現代では、矢じりや刀ではなく、男も女も、子どもも老人も、銃弾で打ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。
国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と、国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。
それが、弥生の過去から続いている現実です。
いわゆる現実主義者は、「だからこそ力には力を」と言う。
「核兵器には核兵器を!」。
しかし、そこではもう一つの現実は、意図的に無視されています。
人類が発明して、かつて使われなかった兵器はない。
禁止された科学兵器も引き続き使われている。
核兵器も、それが存在する限り、必ずいつか、再び使われることになるでしょう。
私たちは、真の現実主義者にならなければなりません。
核廃絶は、遠くに掲げる理想では無いのです。
今、必死に取り組まなければならない、人類存続に関わる差し迫った現実の問題です。


広島に原爆が投下されて、50年になる。
当時小学生だった私は、爆心地から1、2キロの地点で被ばくした。
幸い、学校の塀のそばにいたため奇跡的に助かったが、前にいた女性は全身を熱線で焼かれて即死した。
爆風で家並みはつぶされ、街には全身の皮膚を焼かれた人々の幽霊のような行進が続いた。
私の父と姉、弟は、倒れた家の下敷きになり、母が必死で助け出そうとしたが、柱はびくともしなかった。
火災が起きて、弟は、「お母ちゃん、熱い、熱い」と叫びながら死んでいった。
その悲惨さは、とても『地獄』などと言う言葉で表せるようなものではなかった。
以後、私は、『原爆』という言葉から目と耳を塞いで逃げ回った。
あの時の凄惨な光景が目に浮かんでくるからだ。
だが、被ばく後21年間生き抜いた母が死んだ時、放射能の影響か、火葬でボロボロになってしまった遺骨を見て、「原爆は大事な母の骨まで奪っていくのか」と怒りに震えた。
この気持ちをエネルギーに、原爆をテーマにした漫画、『はだしのゲン』を書き続けた。
それは私の自伝で、書いてあることはすべて体験したことだ。
その後、大勢の読者から手紙をいただいた。
「戦争や原爆がこんなに悲惨だとは知りませんでした」
「二度とこんな事は許しません」
という内容がほとんどだったが、これで次の世代にバトンタッチできると思うとうれしかった。
「これから先、誰かが戦争や原爆を肯定するようなことを言っても、絶対に信じるなーー」。
それが、原爆体験者としての私が将来に託すメッセージだ。
(埼玉県所沢市・漫画家中沢啓治 56)


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