ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

蚊帳ご飯とノミの襲撃と元気な母と

2017年06月04日 | ひとりごと
6月だ、蚊帳の中の晩ご飯(この日はたまたま玄米パン)が始まった!



ジメジメと冷たい雨が降り続いていた5月の後半に、それは突然襲いかかってきた。
右半身上部と、臀部から上の背中。
いやもうこの痒さといったら…ものすごく強烈にディープに痒い、としか言いようがない。

証拠写真を撮ろうかと思ったけれどやめた。
あまりに悲惨で、多分誰も見たくないだろうから。

いきなり痒くなったのは右腕の肘から肩にかけてで、その形状と痒みから、ベッドバグではないかと考えていた。
次に痒くなったのは、海がいなくなった日の夜で、お客さんたちと一緒に夕飯を食べていた時だった。
臀部から背中にかけて、まるで蕁麻疹のように、一気にブワーッと膨らんできて、これがまた痒い。
夫から、「どこ掻いてんの?」と呆れられたし、お客さんもいたのだけども、痒さの方が上回っていて、どうしても掻くのをやめられない。

ベッドバグに蕁麻疹…そして行方不明の、もしかしたら狂犬病にかかってしまっているかもしれない海…。

もうほんとに、カオスのドツボにはまったかのような気分。
強烈な痒さに、頭までがボーッとする。


その夜、丸一日行方不明だった海は、実は家の地下室に隠れて、負った傷を癒していたことがわかった。
そしてわたしの痒い痒いは、ベッドバグでも蕁麻疹でもなく、ノミに噛まれたものであることもわかった。


空と海がうちの家族になる前は、ショーティがうちの娘として16年暮らしていた。
ショーティもまた、日本でいた時からずっと、外遊びをする猫だったので、夫もわたしも、寝室に入ることを許さなかった。

そのショーティが死んで、空と海を、動物レスキューから譲り受けた。
里親の資格があるかどうか、結構厳しい審査があって、完全室内飼いを約束した上で、誓約書にサインした。
だから彼らは、今年の春までずっと、室内で毎日を過ごしてきた。

そんな彼らの一番のお気に入り部屋は、一階にあるわたしの寝室だった。
レッスン部屋のすぐ隣にあるというのに、生徒が来ている時もずっと、わたしのベッドの上で眠っていたりする。
室内飼いだから、一緒に眠るというのも可能になり、たまにだけども、足の間や肩の付近に丸くなって眠る彼らを、ニヤニヤしながら眺めたりした。

けれども海は、ものすごく外に出たがるようになり、去年から、リーシュとハーネスを付けて、裏庭だけの散歩を始めた。
空も出たい気持ちは山々なのだけど、ハーネスを付けようとすると狂ったように暴れるので、いつも彼は窓から、外の様子を眺めながら鳴いていた。

毎日、夕飯前の30分。
仕事や用事の都合で、それが叶わない日もあったが、極寒の冬も暑い夏も、雨の日以外は散歩した。
一度、ハーネスからすっぽり抜けた海が、自由になった体をしなやかに弾ませて、まるでヒョウのようにイキイキと駆け回った。
疾走というのはこういうものだと、見せつけられたような気がした。
本当に嬉しそうだった。

それを見てからまた、自分の中で、外で自由に遊ばせてやりたいという気持ちが、だんだんと膨れ上がってきた。
これまでそういう飼い方をしてきたし、ショーティは小さな怪我は何回か負ったけれども、腎不全で亡くなるまでの16年を無事に生きた。
もちろんそれは、単に幸運だったのだということは理解していた。
けれども、二匹の雄猫を、広い裏庭を窓の内側から眺めるだけで、家の中に閉じ込めておくことが、正しいことであるのはわかっていても、どうしても納得できなかった。

夫と何度も話し合い、やはり二匹を外に出すことにした。
なのに、どうしてかわたしは、それからも二匹が自分のベッドで過ごすことを、許可し続けていた。
外に出る→ノミがつく。
こんな初歩的なことを、すっかり失念してしまっていた。


とにかく、寝室の大掃除と、寝具一式と敷いていたラグの洗濯と、古いカーペットの処分に取り掛からねばならない。
まず、7年ほど前に買った、軟質ウレタンフォームのマットを包むカバーを取り外しに、四苦八苦した。
けれども、そうしているうちにあるものが見つかって、驚くやら納得するやら。
それは、壁側のマットの側面を包んでいる部分にあった。
血と体液の跡だった。
2ヶ月ほど前に、ベッドの下を覗き込んだ時と、寝室のドアから入ったすぐの時に、やや強い死臭を鼻口に感じるようになった。
その頃特に、二匹が競い合うようにして、地下室のネズミを捕まえては一階に運んできて、わたしの寝室でしばらく弄ぶという、非常におぞましいことが続いていたので、
もしかして、可哀想なネズミの死体が、部屋の中に残っているのではないかと、それこそ必死で探したのだけど、見つけることはできなかった。
しばらくの間続いた死臭は、最近ではほとんど感じられなかったのだけど、カバーに残された無残な跡を見ると、臭って当然だと納得した。

まずはその跡を洗い流したかったが、カバーは洗濯禁止だったので、ゆるい漂白剤で何度ももみ落とした。
そして、カバーを付け直したでっかいマットを、ノミや南京虫を閉じ込めて死滅させてしまうという、チャック式のカバーですっぽりと包み込んだ。
ノミを全滅させるまでに140日かかるという。
だから、このカバーを外せるのは10月の終わり…そして今日から、空と海はもう二度と、わたしの寝室には入れない。


夕方に、夫の母が来て、一緒に夕ご飯を食べた。
彼女の好きなひじきと、カボチャスープ、そして夫の弟ジムからもらった、カナダとアメリカの国境にあるルミ島で獲った鮭。




彼女は78歳。
コネチカット州まで行って、長年学んでいるフランス式の頭蓋骨マッサージの講習を受けた帰り道に、うちに寄ってくれたのだった。
自分で片道5時間半のドライブをし、頭蓋骨と脳の周りの、めちゃくちゃややこしい構造を学び、戻ってきた翌々日には、息子の抗がん剤治療の介護に西海岸まで飛んで行く。
なんというパワーと意欲。


明日は、海の二回目の診察日。


それでもボク(海)は外で遊びたい!ボク(空)も!(後ろ姿で主張中)