
母が日本時間の明日、17日の土曜日に退院します。
救急車で運び込まれた病院で40日、そしてその病院を通じて転院させてもらった今の病院で2ヶ月とちょっと、約4ヶ月に及ぶ入院生活でした。
この間、慣れてくるとありとあらゆることに文句を言い始める母を宥めたりすかしたりしながら見守ってきました。
母は文句を言いつつ、毎日30分×3回のリハビリを頑張ってきましたが、一人で歩けるにはまだほど遠く、キャスターが付いていない歩行器を使って前進する方法を主に練習したようです。
退院に先立って、母が家の中で安全に動けるようにと、病院のスタッフさん、ケアマネさん、介護の生活相談員さんたちが家の中を観察して、その日だけ外出させてもらった母も交えて、動線の確保と補助器具、入浴に必要な補助器具や小物を揃えるよう指導してくださいました。
前にも言いましたが、日本の介護制度はすごいです。
制度のみならず関係者のみなさんの親身なサポートにも感心したり感動したり、本当に素晴らしいと思います。
現場で働いてくださっている介護関係のみなさんは、労力に見合う報酬を与えられるべきです。
文句言いの母ですが、病室でお世話になった看護師さん、リハビリでお世話になった理学療法士さん、作業療法士さん、部屋の清掃員さん、そして食事を作ってくださった調理師さんには、心から感謝していると言います。
なんせみなさん、揃いも揃って本当に親切で優しくて、心のこもったお世話をしてくださいました。
本当にありがたいことです。
母の病状は一進一退で、日によっては会話が成り立たなかったり、長生きするからこんな目に遭った、死にたいと言い張ったり、自殺したいなどと言い出したりしましたが、そういう言葉は聞き流しながら、とにかく何か面白い話をして、一回でもいいので笑ってからバイバイを言うようにしました。
退院時に一度日本に行こうかと考えていましたが、母の入院中に拗れた義父との関係がなかなかうまく修復できないままなので、とりあえず彼のやりたいようにしてもらった方がいいかもしれないと思い直し、もう少し様子を見ることにしました。
どんなに気をつけて話していても、彼はわたしの一言一言が癇に障るし、批判されてるというふうに聞こえるみたいで、すぐに声色が変わってくるのです。
ただ、ずいぶん前から難聴で、今では高価な補聴器をつけていてもあまり聞こえないらしく(頻繁に起こる母の癇癪をかわすための自己防衛手段だと思われる節もあるのですが)、今までは大人しく黙っていたけれど、もうこの歳になったら自分の言いたいことを言いたいだけ言わせてもらうという態度も加わって、冷静な会話が成り立たなくなってきました。
そんなこともあって、母の入院するようなことになる以前から、家で一緒に時間を過ごしている時に、いきなり鬼の形相で怒鳴りつけられたことがあったのですが、その時も思いっきり誤解して怒っていたので、もうすでにその頃からわたしに対して好感を持てなくなっていたのかもしれません。
ただ、ずいぶん前から難聴で、今では高価な補聴器をつけていてもあまり聞こえないらしく(頻繁に起こる母の癇癪をかわすための自己防衛手段だと思われる節もあるのですが)、今までは大人しく黙っていたけれど、もうこの歳になったら自分の言いたいことを言いたいだけ言わせてもらうという態度も加わって、冷静な会話が成り立たなくなってきました。
そんなこともあって、母の入院するようなことになる以前から、家で一緒に時間を過ごしている時に、いきなり鬼の形相で怒鳴りつけられたことがあったのですが、その時も思いっきり誤解して怒っていたので、もうすでにその頃からわたしに対して好感を持てなくなっていたのかもしれません。
歳を取るにつれ、いろんなことが変わってきます。
こういう変わり方は寂しいものですが、致し方がありません。
まあ、なんとかなるだろうと楽観しておくことにします。
兎にも角にも、待ちに待った退院です。
今日は病院に電話をかける最後の日、すっかりガラガラ声になってしまった母ですが、嬉しいからかいつもより元気で張りがありました。
「家に帰ったら練習して」と、療法士さんから渡された発声練習の紙を見ながら、「あーえーいーうーえーおーあーおー」と二人で大声で読んだり、久方ぶりの楽しい電話になりました。
母が過ごした個室はナースステーションのすぐ前にあり、出入り口の扉は常に開いた状態だったので、部屋の中の物音は筒抜けです。
「家に帰ったら練習して」と、療法士さんから渡された発声練習の紙を見ながら、「あーえーいーうーえーおーあーおー」と二人で大声で読んだり、久方ぶりの楽しい電話になりました。
母が過ごした個室はナースステーションのすぐ前にあり、出入り口の扉は常に開いた状態だったので、部屋の中の物音は筒抜けです。
きっとクスクス笑われていたかもしれません。
個室の中にはカメラが設置されていて、母がベッドから降りようとするとすぐに看護師さんが部屋の中に入ってきて、手伝うから無理しないでくださいと注意されたそうです。
個室の中にはカメラが設置されていて、母がベッドから降りようとするとすぐに看護師さんが部屋の中に入ってきて、手伝うから無理しないでくださいと注意されたそうです。
多分前の病院で、キャスター付きの歩行器を使って、部屋のトイレに行こうとしてひっくり返ったことがあるので、そういう転倒事故を起こさないための措置だと思うのですが、母にはそれが嫌だったみたいです。
「家に帰ったら見張られなくて済むし、車椅子に乗らんでもええから嬉しい」
「家に帰ったら見張られなくて済むし、車椅子に乗らんでもええから嬉しい」
4ヶ月もの間、1日のうちのほんの15分間ほど義父が見舞いに来る以外は、独りぼっちで過ごしていた母でした。
そんな母の一番の苦情は、個室内の移動が車椅子でしかできないことでした。
部屋にはカーペットが敷かれてる上に、車椅子のサイズが小柄な母には合わなかったからか、深く腰掛けることも車輪を回すことも難しかったので、ほんの1メートルの距離を動くにも何分もかかるという有様だったのです。
ママ、長い間お疲れさん。よう頑張ったで賞🏆を進呈します。
そして、彼女を日々支えてくださった関係者のみなさん、本当に本当にありがとうございました。
さあ、これからの母の介護を一手に引き受けることになるのは義父です。
二人には友人が全くいません。
二人には友人が全くいません。
なので逃げ場も息抜きの機会もありません。
唯一の話し相手がわたしなので、これからも毎日電話だけはかけていこうと思っています。
義父は、母のために良かれと思って作った料理を、こんな不味いもんは食べられない、と言って貶されるかもしれません。
夜中の排泄のために使うポータブルトイレの掃除をするにも、やり方が拙いと文句を言われるかもしれません。
ありとあらゆる物事に自分好みの処置がなされないことが許せないという厄介な性格の母の介護は、本当に難しいと思います。
看護師さんやお医者さんなら遠慮していた文句も、義父には言いたい放題になるはずです。
そして、1番の心配は彼の耳がよく聞こえないことです。
二人にとって家での暮らしが最良のことであると理解はしていますが、共倒れになっては大変なので、様子を見ながら支えていきたいと思っています。
二人にとって家での暮らしが最良のことであると理解はしていますが、共倒れになっては大変なので、様子を見ながら支えていきたいと思っています。