急遽、夫とふたりで、カナダに行くことにした。
向こうはこちらと違い、朝晩はけっこう冷えるというので、何かあたたかめの服をと思うのだけど、蒸し暑さに辟易している最中だったからどうにも思いつかない。
それでもなんとか適当に荷造りをして、泊りで空と海の世話を買って出てくれた歩美ちゃんと夫の姉のアードリーに、彼らのことをお願いして出発した。
待たされるのが一番苦手な夫が、国境間際で見つけた、それはそれは小さな国境管理局。
ほんとに越えられるのか?と、ちょいと不安ではあったけれど、思いきって行ってみることにした。
いつもなら、高速道路を真っ直ぐ北に向かうところをちょいと右に曲がると、全くなーんも無いド田舎の道に入って行った。
そしてそこに、ソレはあった…。
なんか、ただの料金所みたいだ…。
入国を終えて、辺りを見回してみたけど、ほんとになーんも無い。
毎年訪れるカナダの湖畔にあるコッテージの、持ち主の息子ルーは、夫が5歳の頃からの幼馴染&ベストフレンド。
幼い頃は両親に連れられて、毎年一度は訪れていたこのコッテージに、50歳を超えた夫は今も、毎年のように遊びに行く。
もちろんわたしも便乗して。
そして、久しぶりに再会するルー&イライザ夫婦と一緒に、料理をしたり泳いだり、本を読んだりおしゃべりしたり、昼寝をしたりカヌーを漕いだりして過ごす。
テレビもラジオも無い、もちろんインターネットも無い、夜になるとそれはそれは見事な真っ暗闇で、だから空の、いつもなら小さ過ぎて見えないはずの星まで見える。
湖には、主のルーンのカップルが住んでいる。
彼らが互いに呼び合う声の切なさは、言葉ではとても言い表せない。
今年の夏もまた、いつものように過ごせるのを楽しみに、それが当たり前のことのように思っていた。
だけど、6週間前のある夜のこと、ある町のレストランで食事をしていたルーの体に異変が起きた。
突如、腕をバタバタさせて痙攣し始めたかと思うと、恐ろしい唸り声を上げて倒れ、そして息が止まった。
顔がみるみる紫色に変わっていった。
その一部始終を見ていたイライザは、ルーはもう助からないかもしれないと思った。
ドクターヘリで最寄りの病院に搬送され、応急処置を受けたけれども、そこでは手に負えないからと、イライザたちが住む町の大きな病院に転送された。
そしてさらに、脳専門の病院に移った。
ルーの脳内に、腫瘍が散らばっていることがわかった。
その中でも特に大きな腫瘍が、言語を司る部位にできていた。
だから、昏睡から目覚めた時の彼は、イライザの名前はおろか、どんな物の名前も思い出せなかった。
それから検査が始まった。
何週間もかかってやっと出てきた結果はグリオーマ(神経膠腫)。グレード(脳腫瘍の場合はステージではなくグレードを使う)は2。
いろんな部位に散らばっているので手術はできないが、錠剤による抗がん治療と放射線治療を併用しながら、様子を見るということになった。
なにやら彼の症状は非常に珍しいので、だから医者たちにとってはチャレンジのし甲斐があるらしく、かなり盛り上がっているらしい。
大いに盛り上がって、見事、彼の悪性腫瘍をやっつけてもらいたいもんだ。
彼の名前はルイ。今年から家族になった。
彼もまた、昨年の夏に亡くなったバートと同じように、引き取り手が無いままシェルターに残っていた大型犬で、そこを訪れたルーとイライザに出会って救われた。
ルーの回復力のすごさに、病院の誰もが驚いた。
いろんな障害が出るだろうと予測されていたのだが、それらのほとんどは却下された。
状況を判断するのが難しかった頃、体に取り付けられたチューブを全部抜き取ってしまい、血だらけになってトイレに行こうとしたことが数回続き、ベッドに拘束されてしまったこともあったらしいけれど、
言葉の回復、記憶の回復、そして身体機能の回復は、医者や看護師の口から「奇跡」という言葉が出るほどの力強さを見せた。
だからルーは、左の耳のすぐ上の辺りに、Uの形をしたホッチキスの痕がある以外は、これまでのルーと何も変わりがないように見えた。
退院後初めてのカヌー乗り。
シルバーレイクよ、彼を守って。
いつもと変わらない風景。
今年初登場のハンモック。
これはなんだ?
6週間前に死にかけていたルーが、泳ぐ?
ルイも泳ぐのが大好き!
バートもこんなふうに湖を眺めていた。
泳いでいる間に頭が痛くなってきたルー。
そりゃそうだよ、いくらなんでも無茶苦茶だよ。
たった6週間前、一ヶ月半前に、マジで死にかけて、それからおっきな開頭手術を受けてんだからさ。
さて、この方はヒキガエルさん。非常に忍耐強い。
木の根っこに寄ってくるアリを、ただただひたすらジィーッと待ち、近づいてきたら長い舌をピュッと出して捕食する。
ルイは起きている間中、丘を駆け巡り、木の枝をかじったり振り回したりして遊び、そしてコトンと昼寝する。
実はこのヒキガエルさんの居る場所がルイの通り道で、だから彼に踏みつぶされたり、見つかって食われやしないかと、わたしたちはハラハラした。
だけど、この見事な変色能力っぷりを見て、心配するのをやめた。
ルイのオモチャと化した、夫の靴下。
これからもずっと、ずっとずっと、こんな写真を撮れますように。
ルーの抗がん剤治療がもうすぐ始まる。
その前に逢おうと、この湖畔に集まった。
治療に先立って与えられた錠剤は、全部で7種類。
そのうちの4錠を朝に、あとの3錠は夜に飲む。
朝の錠剤のどれかが作用するのか、ルーは朝、必ず泣く。
泣くといっても、悲しいとかいうのではなくて、ただ涙が出てくるのだそうだ。
イライザやわたしは、もしかして、ルーの心の奥深くにある悲しみや恐怖などが、その薬によって引き出されるのではないかと想像するのだけれど、
彼はきっぱりと、「いや、そういうことでは全く無い」、と否定する。
朝のルーは、いつもより少しぼんやりしていて、だから名詞が出てこない回数が増える。
例えば、『病院』という名前が出て来ない。
けれども、話の流れから想像して、わたしたちがクイズのように名前をポンポン上げていくと、あ、そう、それ!っと言って話がつながっていく。
まるでわたしの英会話風景を見ているようだ。
だから、全く気にならない。
むしろ、面白かったりする。
けれども、昔、DJで自分の番組を持っていたような、話すことが大好きなルーにとっては、自分の言いたいことが言えない歯痒さとフラストレーションは、かなりのものだと思う。
ちなみにイライザもDJで、彼女の番組のすぐ後にルーの番組があったのだそうで、それで彼らは知り合って恋に落ち、ずっとラブラブのまま今に至っている。
イライザは重度の糖尿病を患っていて、だから彼女もこれまでに何度か、死に目に遭ってきた。
彼らはずっと、互いに支え合い、守り合い、愛し合ってきたのだ。
一時、刹那的に生きていた時もあったけれど、歳を重ねるにつれ、いろいろと考え直し、心身ともに充実した暮らしを築いている最中だった。
彼女はちょいと有名な画家で、大学でも教えている。
ルーは主夫をしていて、家事一般と車の運転を担当していた。
今は全部のことが、イライザの肩に乗っかっている。
この闘いはマラソンになるので、手抜きをしながらやっていかないと身がもたない。
散歩に行ってみた。
わたしたちの水汲み場。
若い緑がきれい。
ルーの左腕の動きが鈍い。
だから、少し体が傾いてしまう。
やっぱりもう少し、ゆっくりした方が良いのかもしれない。
他のがんと違って、どこも変わりが無いし、元気そうに見えるので、他人はもちろん本人も、いつもと変わりなく何でもできる気になってしまう。
だから、気にし過ぎないように気をつけながら、様子を見い見いやっていこう。
ルーとイライザが昼寝をしている間に、夫とカヌーを漕いだ。
夫は、ルーの力になろうと、彼の様子を観察しては鍼治療を施した。
彼にとってルーは、ベストフレンドであり、家族のようでもある、本当に特別な存在なのだ。
だから、少しでも良い方向に行くよう、心の底から願っている。
わたしだってそれは同じ。
だから今回は、手前味噌持参で行った。
そして、毎晩お味噌汁を作った。
治れ〜治れ〜とおまじないをかけながら。
朝の特別な光の中で。
今度は一人乗りのカヤックで。
町に用事があるというイライザと一緒にドライブした。
車の中で、いろんな話をした。
19歳の春、余命一年と宣告されて、どうせダメならと、浄霊を主体に活動している新興宗教の教会に行き、その日初めて会った会長先生に、
「あなたは治りますよ、死んだりなんかしません。ただ、大丈夫だとあなた自身が強く信じること」と言われ、
なんだ、やっぱり大丈夫なのか、そうなのかと、スッキリした時のことを話した。
浄霊の効果はもちろんのこと、自分が治っていく様をはっきりとイメージして、頚椎の内部に起こっていた変化が確実に止まると信じていたのだが、
そういうわたしを支えてくれた、伯母や教会の人たちへの感謝の気持ちが、ふと湧き出してくる恐れや、身体的な痛みを感じた時の助けになったことも話した。
生かされていることへの感謝。
人に支えてもらっていることへの感謝。
イライザがインターネットで調べて、脳腫瘍に良いという飲み物を見つけた。
そのゴールデンミルク(脳に良いと言われるターメリックと黒胡椒をミルクに混ぜ、はち蜜を加えた飲み物)を飲むたびに、腫瘍が恐れ入りました!とばかりに縮こまっていく様をイメージする。
そして、とにかく自分を信じ、良くなることを強くイメージする。
「なんか楽しいよね、きっとうまくいくって思えてきた」
ふと、静かになったような気がして彼女の方を振り向くと、彼女はハラハラと涙を流していた。
車を止めて、強く抱き合って、そして泣いた。
ずっと堪えていた涙が溢れ出て、二人ともおおいに泣いた。
こんちくしょう!
カナダには国民健康保険制度がある。
だから、ここアメリカよりはよっぽどマシだ。
行きたい病院に行けて、診てもらいたい医者に診てもらえる。
けれども、今回のことで来てもらったドクターヘリに4000ドル、ルーがICUから出られなかった時の、イライザの糖尿病に対する応急医療に数百ドルなどなど、
もちろん後で、保険による何割かの負担軽減はあるものの、とりあえず今支払っておかなければならない用件がたくさんある。
加えて、抗がん剤は高額で、すべてを保険で賄ってもらうわけにはいかないので、今後の支払いを考えるとかなり気が重い。
そんなこんなの電話かけをしながらの湖畔のひと時を終え、モントリオールの家に戻った。
近所の黒ねこちゃん。うちの空と違って、人懐っこいったらない。
夕食を食べに行きがてら、
近所の地下鉄の駅。
モントリオールらしい通りの風景。
どの家にも付いているこの階段、めっちゃ好き。
ルーがなぜかとっても見せたがった教会。
中世の雰囲気満点。
あの鳥は何の鳥?
出発の朝、夫はイライザに、ルーに良いと思われるツボを教えた。
イライザはそれを、ササッと絵に描いた。
円皮鍼はネットでも買えるので、それをツボに貼り付けたら良いのだ。
夫はそれでも、何週間に一回は、カナダに行って治療をしようと思っている。
すっかり爺さん婆さんになってから、
「あんときゃほんと、驚かされたよまったく」なんて言いながら、ケタケタ笑い合ってるわたしたち。
きっとそういう日が来ると信じて、そして彼の生命力と心の強さを信じて、また逢う日までさよなら。
向こうはこちらと違い、朝晩はけっこう冷えるというので、何かあたたかめの服をと思うのだけど、蒸し暑さに辟易している最中だったからどうにも思いつかない。
それでもなんとか適当に荷造りをして、泊りで空と海の世話を買って出てくれた歩美ちゃんと夫の姉のアードリーに、彼らのことをお願いして出発した。
待たされるのが一番苦手な夫が、国境間際で見つけた、それはそれは小さな国境管理局。
ほんとに越えられるのか?と、ちょいと不安ではあったけれど、思いきって行ってみることにした。
いつもなら、高速道路を真っ直ぐ北に向かうところをちょいと右に曲がると、全くなーんも無いド田舎の道に入って行った。
そしてそこに、ソレはあった…。
なんか、ただの料金所みたいだ…。
入国を終えて、辺りを見回してみたけど、ほんとになーんも無い。
毎年訪れるカナダの湖畔にあるコッテージの、持ち主の息子ルーは、夫が5歳の頃からの幼馴染&ベストフレンド。
幼い頃は両親に連れられて、毎年一度は訪れていたこのコッテージに、50歳を超えた夫は今も、毎年のように遊びに行く。
もちろんわたしも便乗して。
そして、久しぶりに再会するルー&イライザ夫婦と一緒に、料理をしたり泳いだり、本を読んだりおしゃべりしたり、昼寝をしたりカヌーを漕いだりして過ごす。
テレビもラジオも無い、もちろんインターネットも無い、夜になるとそれはそれは見事な真っ暗闇で、だから空の、いつもなら小さ過ぎて見えないはずの星まで見える。
湖には、主のルーンのカップルが住んでいる。
彼らが互いに呼び合う声の切なさは、言葉ではとても言い表せない。
今年の夏もまた、いつものように過ごせるのを楽しみに、それが当たり前のことのように思っていた。
だけど、6週間前のある夜のこと、ある町のレストランで食事をしていたルーの体に異変が起きた。
突如、腕をバタバタさせて痙攣し始めたかと思うと、恐ろしい唸り声を上げて倒れ、そして息が止まった。
顔がみるみる紫色に変わっていった。
その一部始終を見ていたイライザは、ルーはもう助からないかもしれないと思った。
ドクターヘリで最寄りの病院に搬送され、応急処置を受けたけれども、そこでは手に負えないからと、イライザたちが住む町の大きな病院に転送された。
そしてさらに、脳専門の病院に移った。
ルーの脳内に、腫瘍が散らばっていることがわかった。
その中でも特に大きな腫瘍が、言語を司る部位にできていた。
だから、昏睡から目覚めた時の彼は、イライザの名前はおろか、どんな物の名前も思い出せなかった。
それから検査が始まった。
何週間もかかってやっと出てきた結果はグリオーマ(神経膠腫)。グレード(脳腫瘍の場合はステージではなくグレードを使う)は2。
いろんな部位に散らばっているので手術はできないが、錠剤による抗がん治療と放射線治療を併用しながら、様子を見るということになった。
なにやら彼の症状は非常に珍しいので、だから医者たちにとってはチャレンジのし甲斐があるらしく、かなり盛り上がっているらしい。
大いに盛り上がって、見事、彼の悪性腫瘍をやっつけてもらいたいもんだ。
彼の名前はルイ。今年から家族になった。
彼もまた、昨年の夏に亡くなったバートと同じように、引き取り手が無いままシェルターに残っていた大型犬で、そこを訪れたルーとイライザに出会って救われた。
ルーの回復力のすごさに、病院の誰もが驚いた。
いろんな障害が出るだろうと予測されていたのだが、それらのほとんどは却下された。
状況を判断するのが難しかった頃、体に取り付けられたチューブを全部抜き取ってしまい、血だらけになってトイレに行こうとしたことが数回続き、ベッドに拘束されてしまったこともあったらしいけれど、
言葉の回復、記憶の回復、そして身体機能の回復は、医者や看護師の口から「奇跡」という言葉が出るほどの力強さを見せた。
だからルーは、左の耳のすぐ上の辺りに、Uの形をしたホッチキスの痕がある以外は、これまでのルーと何も変わりがないように見えた。
退院後初めてのカヌー乗り。
シルバーレイクよ、彼を守って。
いつもと変わらない風景。
今年初登場のハンモック。
これはなんだ?
6週間前に死にかけていたルーが、泳ぐ?
ルイも泳ぐのが大好き!
バートもこんなふうに湖を眺めていた。
泳いでいる間に頭が痛くなってきたルー。
そりゃそうだよ、いくらなんでも無茶苦茶だよ。
たった6週間前、一ヶ月半前に、マジで死にかけて、それからおっきな開頭手術を受けてんだからさ。
さて、この方はヒキガエルさん。非常に忍耐強い。
木の根っこに寄ってくるアリを、ただただひたすらジィーッと待ち、近づいてきたら長い舌をピュッと出して捕食する。
ルイは起きている間中、丘を駆け巡り、木の枝をかじったり振り回したりして遊び、そしてコトンと昼寝する。
実はこのヒキガエルさんの居る場所がルイの通り道で、だから彼に踏みつぶされたり、見つかって食われやしないかと、わたしたちはハラハラした。
だけど、この見事な変色能力っぷりを見て、心配するのをやめた。
ルイのオモチャと化した、夫の靴下。
これからもずっと、ずっとずっと、こんな写真を撮れますように。
ルーの抗がん剤治療がもうすぐ始まる。
その前に逢おうと、この湖畔に集まった。
治療に先立って与えられた錠剤は、全部で7種類。
そのうちの4錠を朝に、あとの3錠は夜に飲む。
朝の錠剤のどれかが作用するのか、ルーは朝、必ず泣く。
泣くといっても、悲しいとかいうのではなくて、ただ涙が出てくるのだそうだ。
イライザやわたしは、もしかして、ルーの心の奥深くにある悲しみや恐怖などが、その薬によって引き出されるのではないかと想像するのだけれど、
彼はきっぱりと、「いや、そういうことでは全く無い」、と否定する。
朝のルーは、いつもより少しぼんやりしていて、だから名詞が出てこない回数が増える。
例えば、『病院』という名前が出て来ない。
けれども、話の流れから想像して、わたしたちがクイズのように名前をポンポン上げていくと、あ、そう、それ!っと言って話がつながっていく。
まるでわたしの英会話風景を見ているようだ。
だから、全く気にならない。
むしろ、面白かったりする。
けれども、昔、DJで自分の番組を持っていたような、話すことが大好きなルーにとっては、自分の言いたいことが言えない歯痒さとフラストレーションは、かなりのものだと思う。
ちなみにイライザもDJで、彼女の番組のすぐ後にルーの番組があったのだそうで、それで彼らは知り合って恋に落ち、ずっとラブラブのまま今に至っている。
イライザは重度の糖尿病を患っていて、だから彼女もこれまでに何度か、死に目に遭ってきた。
彼らはずっと、互いに支え合い、守り合い、愛し合ってきたのだ。
一時、刹那的に生きていた時もあったけれど、歳を重ねるにつれ、いろいろと考え直し、心身ともに充実した暮らしを築いている最中だった。
彼女はちょいと有名な画家で、大学でも教えている。
ルーは主夫をしていて、家事一般と車の運転を担当していた。
今は全部のことが、イライザの肩に乗っかっている。
この闘いはマラソンになるので、手抜きをしながらやっていかないと身がもたない。
散歩に行ってみた。
わたしたちの水汲み場。
若い緑がきれい。
ルーの左腕の動きが鈍い。
だから、少し体が傾いてしまう。
やっぱりもう少し、ゆっくりした方が良いのかもしれない。
他のがんと違って、どこも変わりが無いし、元気そうに見えるので、他人はもちろん本人も、いつもと変わりなく何でもできる気になってしまう。
だから、気にし過ぎないように気をつけながら、様子を見い見いやっていこう。
ルーとイライザが昼寝をしている間に、夫とカヌーを漕いだ。
夫は、ルーの力になろうと、彼の様子を観察しては鍼治療を施した。
彼にとってルーは、ベストフレンドであり、家族のようでもある、本当に特別な存在なのだ。
だから、少しでも良い方向に行くよう、心の底から願っている。
わたしだってそれは同じ。
だから今回は、手前味噌持参で行った。
そして、毎晩お味噌汁を作った。
治れ〜治れ〜とおまじないをかけながら。
朝の特別な光の中で。
今度は一人乗りのカヤックで。
町に用事があるというイライザと一緒にドライブした。
車の中で、いろんな話をした。
19歳の春、余命一年と宣告されて、どうせダメならと、浄霊を主体に活動している新興宗教の教会に行き、その日初めて会った会長先生に、
「あなたは治りますよ、死んだりなんかしません。ただ、大丈夫だとあなた自身が強く信じること」と言われ、
なんだ、やっぱり大丈夫なのか、そうなのかと、スッキリした時のことを話した。
浄霊の効果はもちろんのこと、自分が治っていく様をはっきりとイメージして、頚椎の内部に起こっていた変化が確実に止まると信じていたのだが、
そういうわたしを支えてくれた、伯母や教会の人たちへの感謝の気持ちが、ふと湧き出してくる恐れや、身体的な痛みを感じた時の助けになったことも話した。
生かされていることへの感謝。
人に支えてもらっていることへの感謝。
イライザがインターネットで調べて、脳腫瘍に良いという飲み物を見つけた。
そのゴールデンミルク(脳に良いと言われるターメリックと黒胡椒をミルクに混ぜ、はち蜜を加えた飲み物)を飲むたびに、腫瘍が恐れ入りました!とばかりに縮こまっていく様をイメージする。
そして、とにかく自分を信じ、良くなることを強くイメージする。
「なんか楽しいよね、きっとうまくいくって思えてきた」
ふと、静かになったような気がして彼女の方を振り向くと、彼女はハラハラと涙を流していた。
車を止めて、強く抱き合って、そして泣いた。
ずっと堪えていた涙が溢れ出て、二人ともおおいに泣いた。
こんちくしょう!
カナダには国民健康保険制度がある。
だから、ここアメリカよりはよっぽどマシだ。
行きたい病院に行けて、診てもらいたい医者に診てもらえる。
けれども、今回のことで来てもらったドクターヘリに4000ドル、ルーがICUから出られなかった時の、イライザの糖尿病に対する応急医療に数百ドルなどなど、
もちろん後で、保険による何割かの負担軽減はあるものの、とりあえず今支払っておかなければならない用件がたくさんある。
加えて、抗がん剤は高額で、すべてを保険で賄ってもらうわけにはいかないので、今後の支払いを考えるとかなり気が重い。
そんなこんなの電話かけをしながらの湖畔のひと時を終え、モントリオールの家に戻った。
近所の黒ねこちゃん。うちの空と違って、人懐っこいったらない。
夕食を食べに行きがてら、
近所の地下鉄の駅。
モントリオールらしい通りの風景。
どの家にも付いているこの階段、めっちゃ好き。
ルーがなぜかとっても見せたがった教会。
中世の雰囲気満点。
あの鳥は何の鳥?
出発の朝、夫はイライザに、ルーに良いと思われるツボを教えた。
イライザはそれを、ササッと絵に描いた。
円皮鍼はネットでも買えるので、それをツボに貼り付けたら良いのだ。
夫はそれでも、何週間に一回は、カナダに行って治療をしようと思っている。
すっかり爺さん婆さんになってから、
「あんときゃほんと、驚かされたよまったく」なんて言いながら、ケタケタ笑い合ってるわたしたち。
きっとそういう日が来ると信じて、そして彼の生命力と心の強さを信じて、また逢う日までさよなら。