ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「原発を止めるのが一番大事。それをやらん限り、経済の事も他も、何もかもが始まらん」by ジュリー

2012年12月14日 | 日本とわたし
きーこさん、いっつも文字起こしありがとう!!

↓以下、転載はじめ

<速報>ジュリー・沢田研二さん in 荻窪“山本太郎さん応援演説” 12/14(音声&文字起こし)

<杉並区・東京8区>高円寺街頭演説後半・山本太郎さん(文字起こし)で予告していましたが、さっき、とうとう、沢田研二さんが荻窪で演説されました。
沢田研二さんの事は、結構前からテレビで見かけないと思っていたら、ご本人がおっしゃっていた「気持ちが大事」で活動されていたせいだったんだと納得しました。
ジュリーもおじさんになっていましたが、素敵なおじさまだと私は思いました。
荻窪駅前はものすごい人人人・・・。
選挙の演説でこんなに沢山の人々が集まっているのは私は初めて見ました。

 

音声のみ


荻窪駅周辺ご通行中の皆様こんばんは、山本太郎です、よろしくおねがいします。
衆議院選挙東京8区杉並から立候補しました。
「どうして役者のお前が立つんだ?」って言う話なんですよね、
16歳から芸能界にいて、いま38歳、22年間芸能界にいました。
でも、もう今メッセージを伝えなきゃ、伝わらないんですよね、いろんな人たちに。
テレビ、新聞から本当の事が流れないのであれば、だったら自分が沢山の人達の前に出て、今この状況を説明する必要があると。
とはいっても、僕もただの役者ですから、そんな何か、特別な事が出来る訳じゃない。
でも、そのまま、ボッと見ておくわけにはいかなかったんですよね。
表現者、役者だったり歌手だったり、そういう表現者は芸能界には沢山います。
でも、その中で社会的な事、特にテレビや映画や舞台や、そういう所にスポンサーとして参加する企業に対して、
不利益な情報を皆様にお伝えするというのは、これ、職業的にはもうアウトなんですね。
これだけの事態になっても。
日本が終わるのか、それとも未来を切り開けるのか、そのような場面になっても、そう多くの表現者は、声をあげられないような状況なんですよね。
僕も悩みました、最初は。
自分の仕事が無くなるんですからね。
母親も食べさせなきゃいけないし、自分も生きていかなきゃいけないし、
その中で声を大きく上げるという事は、本当に自分の中でも悩みました。
でも、僕が声をあげるずっとずっと前から、この世の中に起こるいろいろな事柄、社会的な問題に対して、勇気を持って発言されて、
そして歌をつくり、それを、世の中の人達に、メッセージとして伝えている先輩がいるんですよね。
本当に尊敬します。
殆どの表現者たちが口を閉ざしている今、この事故が起こる前から、この事故が起こるずっとずっと前から、
みなさんに対してメッセージを発信し続ける、そんな素敵な先輩が、芸能界の中にいました。
僕が選挙に出るといった時、この芸能界に今までかかわってきたいろんな方に、声を掛けさせていただきました。
演説していただけませんか?
応援に来てもらえませんか?
でもそれは、すごく難しい事なんですね。
その人たちもレッテルを張られてしまう。
その人たちも仕事が減ってしまう。
子どもがいる、家族がいる、そういう事になれば、難しい話なんです。
でも、その芸能界の中で、覚悟を決めて、いろんなメッセージをみなさんに伝えている大先輩がいます。
沢田研二さんです。
本当にありがとうございます。
沢田研二さんです、よろしくお願いします。



みなさん…沢田研二です。
杉並区のみなさん、そしてこの荻窪の駅前に集まって下さいましたみなさん、本当にありがとうございます。
僕は…誰にも頼まれていないんですが、「九条を守ろう」という歌とか、今回の「3.11の歌」とかを、勝手に書いて歌っております。
そういう気持ちといういのは、気持ちが大事なんであって、それがどうなるか、っていうのは、僕には大した問題ではないんです。
ただ、自分がそうしたいからそうするんだ、という事でしかなかったんです。

で、今回、僕なんかもう64にもなって、こういう選挙に打って出よう、なんていう勇気なんてありません。
もう、ただのジュリーです。
正確に言うと、昔ジュリー、今ジジイです。

でも、山本太郎のように、勇気のある38歳の若者が、ちゃんと打って出てくれました。
そして、その話を聞く以前から、僕は、あの、「テレビで仕事がなくなった」と言っていた時点で、言われた時点で、
僕は「何か力になれる事はないだろうか」といつも思っていました。
そしたら、今回声をかけていただいて、僕も思う事はいっぱいあるんで、とにかく今、選挙に出ている人はみんな、「国難や」なんやと言っています。
でも、ほとんどの人は、原発を止める事を、その事自体が一番大事なことなんだ。
それをやらない限りは、他の経済の事もいろんな事も、何もかもが始まらないのだ。
今日だって、地震が起こるかもしれないんですよ。
そういう国に、私は住んでいるんです。
だから、騙された訳じゃあないだろうけれども、ちゃんと教えてもらえなかった、
その結果が、今のこれだけ沢山、こんなに地震の起こる国に原発が山ほどあるわけですよ、本当に。
これは、何とかしないといけない!
そう思ってみなさんも来ていただいたのだと思います。

もちろんここに集まって頂いた方は、山本太郎に1票を入れようと思ってくれていると思いますが、
悩んでいる方もいらっしゃると思います。
悩んでいる方はよーく考えて下さい。
そして、やっぱり原発NO!や!!という、山本太郎に、1票を入れて下さい。
お願いします。

ありがとうございます。
本当に選挙に出るなんて、大変な事をしでかしてくれたと思っていますが、ホントに応援したいと思っております。

僕は杉並区民じゃなくて残念です。
1票でも、僕は入れられたかもしれない。
だけど昨日、西荻の、夕方の演説をひそかに聞いていて、「どんなふうにやってるのか」と思ったら、ちゃんとチラシも渡されました、受け取りました。
封筒も渡されました。
すぐにコンビニに入って、切手を買いました。
電話帳で、杉並の知人友人、全部送りました。
送るように封筒に入れて、投函しました。

そして今日、こうしてこの場で、応援の言葉をちょっとしか言えないのが、本当に残念です。
僕は、2時間半ならしゃべってられます。
でも、聞く方が大変でしょうから、ともかくくれぐれも、くれぐれも、山本太郎に1票を入れていただくように、
みなさん、区民のみなさん、どうかよろしくおねがいします。

ありがとうございました。



山本太郎:
沢田研二さんに、沢田研二さんにもう一度大きな拍手をお願いいたします。
本当にありがとうございました。



F.A.P.P(フクシマ・アトミック・パワー・プラント)  
作詞:沢田研二  作曲:柴山和彦

太陽と放射線 冷たいね
子供はみんな 校舎の中 育つ
死の街は死なない かけがえのない大事なふるさと
我が家へ 帰れない 希望はあるけど
こんなにしたのは誰だ

BYE BYE A.P.P  BYE BYE 原発
苦しみは いつも複雑すぎるよ 当然
BYE BYE A.P.P  BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 終息していない福島

地球が怒る 何度でも
大人はいつも 子らを 思い悩む
死の街が 愛しい あらゆる不安に苛まれても
偽善や裏切りも これ以上許すの
何を守るのだ国は

BYE BYE A.P.P  BYE BYE 原発
哀しみはは ひとりひとりで違うよ 当然
BYE BYE A.P.P  BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND へこたれないで福島

NO 長崎  MORE 広島
人は何故 繰り返すのか あやまち 当然
BYE BYE A.P.P  BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 世界が見てる福島
世界が見てる福島

「『日本を取り戻す』ならば、福島の人々に元通りの故郷を取り戻させるのが先決だ」by 赤川次郎さん

2012年12月14日 | 日本とわたし
三つの光景 安全を選ぶ原点
作家 赤川次郎(東京都港区 64)

三つの光景を思い出そう。

第一は昨年3月11日、東北地方を襲った大津波の、人間の想像力を遥かに超えた凄まじい破壊力。

第二は福島第一原発の原子炉建屋が爆発し、屋根が吹っ飛び白煙が上がった瞬間の、見も凍る恐怖。

第三はその原発を「安全だ」と言い続けてきた専門家たちの、現実の事故を前になすすべもなく、ただ、呆然自失していた姿。

その後の言いわけや責任転化を消去すれば、その三つの現実こそが、私たちの安全を選ぶ原点である。

狭い地震大国に原発を作り続けてきた政党が政権を取り戻せば、原発を再稼働させる可能性が高い。
首都直下型地震も南海トラフの地震も、すべてはこれからなのだ。
必ず近い将来、日本はまた大地震を経験する。

次の大地震が起きれば、すべての原発が無傷でいられるなどと信じる人はいないだろう。
再び原発が大事故を起こせば、どれだけの国土が汚染されるか。
自衛隊を軍隊にすれば、放射能が防げるとでも言うのだろうか?

再び原発が爆発したら、子や孫までも放射能の恐怖にさらされるのだ。
有力な政党のスローガンは「日本を、取り戻す」だそうだが、
ならば福島の人々に、元通りの故郷を取り戻させるのが先決だろう。


↑以上、新聞記事の書き起こしおわり
文字の強調はわたしがしました。

「選挙に行かない君へ」by 乙武洋匡さん

2012年12月14日 | 日本とわたし
乙武洋匡さんのオフィシャルサイト『OTO ZONE』に、こんな記事が載っていました。

明後日はいよいよ選挙です。
投票に行く行かないは、有権者それぞれが決める事ができます。

まだ行くと決めていない人、行かないと思っている人に、ぜひぜひ読んでもらいたいと思い、ここに転載させていただきます。

↓以下、転載はじめ

選挙に行かない君へ
2012年12月14日
 
昨日、Twitter上で「#選挙に行かない理由」というハッシュタグをつけて意見を募集したところ、さまざまなご意見を寄せていただきました。
回答してくださったみなさん、本当にありがとうございます。
みなさんの意見を読んでいて、僕にも思うところがあったので、少し長くなるかもしれないけれど、書かせてください。

みなさんも知ってのとおり、選挙というのは、政治家を選ぶためのもの。
じゃあ、政治家というのは、そもそも何をするための人なのでしょう。
わかりやすく言うと、「税金の使い道を決める人」。国民から集めた税金を、福祉に使うのか、教育に使うのか、はたまた国防に使うのか――
そんなことを話し合い、決定するのが政治家の仕事です。

さらに、政治家は法律をつくったり、憲法を変えたりすることもできます。
たとえば、いまの日本では、憲法によって戦争をすることができない状態にありますが、その憲法を改定し、いつでも戦争ができるようにすることもできます。
それだけ、政治家の仕事というのは重大なものなのです。

さて、ここで昨日から寄せられたみなさんの意見に戻ってみましょう。
まず、みなさんの声でいちばん多かったのは、
「だれに入れたって同じ」「結局は何も変わらない」
たしかに、これまでの経験を振りかえると、そうした考えになってしまいますよね。
期待しては裏切られ、また期待しては裏切られ――の繰り返し。
でも、本当に「だれに入れても同じ」なのでしょうか。

たとえば、上でも述べたように、他国の言いなりにならぬよう、憲法を改正して、戦争ができる国にしようと考えている政党があります。
同時に、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、憲法を変えてはならないと主張する政党もあります。
これが、「同じ」と言えるでしょうか。
憲法についてだけでなく、ほかの政策においても、各党によって大きな「ちがい」があります。

みなさんは、政権が代わることで、「がらっと世の中が良くなる」と妄信してはいないでしょうか。
だから、そこまで大きな変化が感じられないと、「ほら、やっぱり何も変わらない」となる。
でも、きちんと評価してみれば、変わった点だってある

今回、自民党から民主党に政権が移ったことで変わったこと、いくつもあるんですよ!

もちろん、それを「良い変化」ととらえるか、「悪い変化」ととらえるかは、個人によると思いますが、とにかく「何も変わらなかった」わけではない。
その変化を望んだのは僕らだし、その変化を実現させたのも僕ら。
僕ら一票、一票の積み重ねが、その変化を生みだした
のです。

次に多かった声は、「入れたいと思う政党や候補者がない」
とくに支持している特定の政党や候補者でもいないかぎり、たしかに僕たちの目には「政治家というのは、なんだか信用できない存在」と映ってしまいますよね。
ですが、それはメディアによる影響も大きいと思うのです。

たとえば、僕には、いくつかの党にバッジをつけた数人の知人・友人がいますが、なかにはみずからの身を削り、まっとうな感覚を持って仕事をしていると感じられる議員がいます。
もし、彼らが僕の選挙区にいたなら、僕はきっと彼らに投票するだろうと思います。

でも、僕はそんな彼らに対しても、全面的に賛同するということはないだろうと思っています。
憲法改正やTPP、原発や経済、年金や教育、福祉――国政にはさまざまな局面があり、各党はそれぞれの課題についての意見を持っています。
そのすべてが自分の意見と一致することなど、まずありえません。

だったら、せめて「いちばん考えの近い」候補者に託すしかないと思うのです。
最近では、「日本政治.com」など、自分の考えにいちばん近い政党や候補者を見つけてくれるサイトもいくつか登場しています。
これらのサイトを利用して、「いちばん考えの近い」候補者に一票を投じてみてはどうでしょうか。

それでも、「自分の思いを託したい」と思う政党・候補者が見つからないこともあるでしょう。
そうした場合、「絶対にここだけはイヤだ」と思う政党・候補者以外に投票するという考え方はどうでしょう。
僕も、今回の選挙はどこに、だれに投票するかかなり迷っています。
ですが、ひとつだけ「絶対にイヤ」な政党があります。
だから、その政党に少しでも対抗してくれそうな選択肢はどこか
と、必死に頭をめぐらせています。

以前にも書きましたが、いまの政治は、おもに投票してくれる高齢者に向けた政策が重視されています。
政治家もバカではないから、そんなことばかりしていたら国がパンクすることはわかっているのに、やっぱり票が欲しいから高齢者のほうばかり向きます。
でもさ、このままだと、マジでやばいぜ。
若者の負担、どんどん増えていくばかりだよ。

「どうせ変わらない」

 たぶんね、今回の選挙結果だけでは、すぐに変わらない。みんなの言うとおりだよ。
でも、安西先生も言ってたじゃん。

あきらめたら、そこで試合終了ですよ…?」

若者にも政治に関心があること、若者も票を持ってることを、今回の選挙で少しでも見せてやろうぜ
そうしたら、少しずつ、政治家の目もこちらに向いてくる。
若者にも目線を向けた政策を考えてくれるようになる。
その次の選挙で、僕らはそうした候補に票を入れていく。
そして、またその次の選挙で――。

すぐには、むずかしいと思う。
でもさ、オレはあきらめたくない。
だってさ、オレたちの国じゃん。
無関心じゃいられないよ。
「どうせ変わらないから、指くわえて見てろ」だって? 
俺にはくわえる指もないからさ、こうやってあがいて、さけんで、勉強していくよ。

なんだか、最後には文体も変わっちゃった。
まあ、いいや。
少しでも、みんなにこのメッセージが届いたなら、うれしいな。

米国『市民が銃を持てる憲法がある限り、乱射事件は再発する』事情

2012年12月14日 | 米国○○事情
コネチカット州の、人口3万人の町の小さな小学校で、5才から10才の子ども達が大勢、銃で撃たれて死んでしもた。
そのニュースを運転中に聞いて、ハンドルを持つ手が震えた。
情報が交錯して、伝える方も混乱してる。

上の息子が大学一年生の、夏休み前の最終テストがもうすぐやという春のある日、
実を言うと、ある日どころか、それはわたしの50才の誕生日の翌日で、ニュージャージーでは大雨が降り続き、あちこちで大洪水が起こってて、
そして息子の大学のあるヴァージニア工科大のキャンパスの映像が流れるテレビの画面には、なぜか雪が風に吹かれてた。

誕生日パーティの心地良い疲れがうっすら残ってる朝の台所で、旦那の姉からの電話で慌ててつけたテレビから、乾いた銃声が何発も聞こえてきた。
息子の暮らす寮の隣の建物で、まず最初の銃撃があったと聞き、卒倒しそうになりながら息子に電話をかけた。
「突然、なんの説明もなく、教室から自分の寮に戻れって言われて、それで戻ったら、自分の部屋から一歩も出るなと言われて、トイレはもちろん、テレビを観ることもできひん」
と言う息子に、テレビから流れてくる情報を伝えた。

犯人の名前が出て、それが、息子のルームメイトと同姓同名やったこと、その時まだ、部屋に戻ってなかったことで、えらいこっちゃと動転した。

「あ、窓の外で、ライフル持ってる人が歩いてる」
「あほっ!窓の近くに立ったらあかん!部屋の入り口の方に居なさい!」

怒鳴りながらも、こうやって電話で話ができること、生きてくれてることのありがたさを、心の底から感謝せずにはいられへんかった。

息子は、韓国人、ひいてはアジア人に対する偏見を恐れてた。
怒りが、自分達に向けられへんかと、本気で心配してた。

ところが、ヴァージニア工科大とその近辺の町は、共同で、
「我々はこの惨事で命を落とした人達、そして遺族、傷を受けた人達、そしてその家族に、心からの哀悼と祈りを捧げる。
罪を憎んで人、及び、その人の出身国を憎まない。
このことが原因で、特定の国、あるいは地域の差別をしない」
という声明を、事件の直後に出してくれた。


この国の銃規制については、もうそれはそれは長い間、反対する者、推進する者の間で、諍いが続いてきた。
憲法で守られてると、規制に反対する者は言う。
銃犯罪に対抗できるよう、皆でもっと銃を所持しようやないか、という者までいる。

どこまで狂たら気が済むか。

そんなに殺したけりゃ、武器を持たずに手で殺せ。
取っ組み合いして、自分も死ぬほど痛みながら、必死で殺せ。
指一本で、何十人もの人をいっぺんに殺してしまう武器を持つ意味がどこにあるのか?
そんなもんを、あちこちの町で、あちこちの通りで、あちこちのモールで、あちこちの映画館で、あちこちの学校で、あの人もこの人も持ち出したら、
いったい世の中はどないなるか、なんでそんな簡単なことがわからんのか。

今日までに銃で殺されてきた人達全員の血が、銃規制への道に流れてる。
今日殺された幼い子達の血を、アメリカという国がどう弔うのか、それを見守りたいと思う。

息子達が幼かった頃、わたしが一番怖かったことは、彼らを失うことやった。
息子達の母親でいられることが嬉しいて、幸せで、そう感じると余計に、それまでの人生で起こったように、またもぎ取られてしまうんちゃうかと心配した。
重大な事故や重篤な病気で、何度も実際に失いかけたけど、人から危害を加えられるような不幸は起こらんかった。

無事に成人したふたりの息子達の、幼かった頃の写真を見ながら、この記事を書いてる。

一年で一番楽しみなクリスマスを前に、銃で撃たれて死んでしもた子ども達、そしてその親御さんらの無念を思いながら。