ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

米国『おかんの逆襲』事情

2012年12月22日 | 米国○○事情
今日も朝からずっと、ケーブルテレビのニュース局では、銃規制についての論議が盛んに行われてる。
これまでとは違う熱を感じるけど、出てくる意見はこれまでと同じく、推進派と反対派、なんとかその中間を探ろうとしてる人達が、喧々囂々、それぞれの意見を出し合うてる。
現実的に考えたら、と言う人は、いっぺんに銃をこの世から無くすことはできんのやから、とりあえず学校の先生に銃の使い方を訓練させて、自分の教室を守らせたらええと言う。
各学校に、銃の使用に慣れた警備員を配置したらええと言う。

なるほど……。

ほなら、例えば、その警備員とやらを、学校や幼稚園の出入り口すべてに配置させられへんわけやから、たまたま警備員のおらんドアから中に入った狂人が、
自分のクラスに突然現れて、なんの予告も無く、まず先生を撃ったとしたらどないなるん?
仮に撃たれんかっても、自分の目の前でちっちゃい子達が撃たれてて、他の子が泣き叫んでる中で、冷静沈着に自分の銃に弾を入れ、安全ピンを外し、子どもに当たらんように犯人を一発でしとめられる先生っておるん?

なにもかもがバカバカしい想定やと、なんで気がつかんのか。
銃には銃を。
これが終わりのない、さらに悲惨な世界を、じわじわと作っていくことがなんでわからんのか。

今後の銃の売買を禁止するだけではあかん。
今現在、銃を持ってる人らからも取り上げなあかん。
家庭に銃器を置かない。
これを実現せん限り、この問題は片付かん。
これが現実的でないという人は、この究極の真実を恐がってるか、都合が悪いか、挑戦する勇気がないかだけ。
これほどの真実はない。

けども、この国の軍は、世界に誇る大バカもので、
核兵器を、ええもんである我が国はなんぼ持っててもええけど、悪もん(そいつらが勝手に悪もん扱いしてる)の国は持ったらあかんと、堂々と主張して、挙げ句の果てには攻撃までする。
そういう阿呆が国を牛耳ってる中で、全国のおかんが立ち上がって、アホは黙ってろ!と喝を入れる事ができたなら……。
今回こそはがんばろな、おかんよ!!

↓以下の文章は、どこかで見つけたんやけど、アドレスを貼っとくのを忘れてしもた。
すみません、勝手に転載させてもらいます。

転載はじめ

日本国憲法第九条「戦争放棄」の解釈については、政治家から子供たちまで、かれこれ60年も禅問答を繰り返してきましたが、
アメリカ憲法でも、修正第二条「武装の自由」の解釈を巡って、建国以来2世紀を超える論議が続いているのはご存じですか?

トリガー・ロック(引き金錠)
2008年6月26日、首都ワシントンのピストル所持禁止条例について、連邦最高裁が違憲判断を下しました
「(市民が)家庭内で自己防衛のために、(ピストルも含め)銃を所持し使用する権利を奪ってはならない」のだそうです。
 
これまでのワシントンの条例では、ショットガンやライフルなら、トリガー・ロックをかけるか弾丸を抜いた上で、家庭内に所持してよいとも定められていましたが、
判決では、銃の使用を妨げる条件を付与することも違憲に当たる、と説明されています。
条例は、家庭内暴力による事故を防止する効果もあっただけに、歯止めがなくなった後の結果が危惧されます。
 
連邦最高裁の判決は、9名の判事(うち一人は長官)の多数決で決まります。
判事は、上院の助言と同意により、大統領が任命することになっていて
現在は、共和党大統領(フォード/レーガン/父ブッシュ/現ブッシュ)が指名した7名と、民主党大統領のクリントンが指名した2名……。
思想傾向的には、保守派4名、リベラル4名、保守色の強い中道1名に分かれるというのが世間の定評。
今回の判決も、保守+中道とリベラルの5対4、ギリギリの評決によるものでした。
 
いったい、修正第二条には、何が書かれているのでしょうか?
そもそも、修正条項というのは、第一条「信教、言論等の自由」から第十条まであって、アメリカ市民の基本的人権を定めている憲法の中でも、最も重要な部分の一つです。
原文
A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the People to keep and bear Arms, shall not be infringed.

翻訳例 
秩序ある民兵は自由な国家の安全保障に欠かせず、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。


↑転載おわり

この憲法は修正されたもので、日本語に翻訳する際に、the Peopleというのがいったい何を指してるのか、それがわたしにはきっちりとわからなんだ。
この曖昧で、なんとでも解釈できる単語Peopleがクセもんやなと思い、検索してたら、すごく分かりやすう書いてくれてあるブログの記事を見つけた。
Tomさんとおっしゃる、ここ東海岸の田舎町に暮らしておられる方のブログで、これからここに転載させていただく。

↓以下、転載はじめ

合衆国憲法修正第2条(Second Amendment )

「規律ある民兵は自由な国家の安全にとって必要であり、国民が武器を保有、携帯する権利を侵してはならない」
(合衆国憲法修正第2条)


A well regulated militia being necessary to the security of a free State, the right of the People to keep and bear arms shall not be infringed.
(Second Amendment to The United States Constitution)


上記の2文の比較中、 necessary to the security of a free Stateに当るのが「自由な国家の安全にとって必要であり」、である。

皆様御存知であろうが、米国は『The United Sates』であり国の政府は『federal government』である。
従って『a free State』を自由な国家と訳すの不味いのではなかろうか調べてみた。

http://www2.law.ucla.edu/volokh/freestate.pdf


But what did the Framing generation understand “free State” to mean?

しかし、憲法制定時の世代は、『free State』をどのような意味を持つと理解したのであろうか?


Some say it meant a “state of the union, free from federal oppression.”
As one D.C. Circuit judge put it, “The Amendment was drafted in response to the perceived threat to the ‘free[dom]’ of the ‘State[s]’ posed by a national standing army controlled by the federal government.”


『free Sate』の意味は、フェデラルの権力乱用からの自由なる国家を意味した、とある人々は言う。
あるD.C.の裁判官が言うには、
「修正第二条は、各州の自由が、フェデラル・ガバメントの指揮下にある米常備軍に、脅威を覚えた事に応えて草稿された」


修正第二条が出来たのは、米国の国軍の存在に対抗する為に、州民による銃器の保有権を保障したものであるようだ。
もしそれが修正第二条の精神であるならば、現在、連邦政府と州政府による武力の争いは現実問題として皆無であるので、この二条の存在理由は無さそうだ。

それにも拘らず、米国民は何故、拳銃保持を違法化しないのか?
何時かそれについても触れたいと思う。

↑以上、転載おわり


あらら?
連邦政府と州政府による武力の争い?
連邦国家の指揮下にある常備軍に、各州が己の自由を侵害されるような脅威を覚えてる?

いやもう、いつのことやろう、この話。
これって、全然現実に合うてない恐竜的文章ちゃうかしらん。
こんなんを元に、あーやこーやと、有識者や政治家やらが話し合うてて、中にひとりでも、誰でもわかるトンチンカンを指摘する人はおらんのやろか。

憲法も人が作った文章やから、解釈は、解釈する人の常識や願いでなんぼでも違てくる。
けど、常識で考えて、人道上正しいかおかしいか、倫理に則ってるかぐらい、わからなあかんのとちゃうやろか。
ほんでその事が、その国や国民、世界にとって、良い影響を与えるかどうか、尊厳が守られるかどうか、それが一番大事なこととちゃうやろか。

今、アメリカのおかんは怒ってる。
全国津々浦々で行動が始まってる。
おかんが怒ったら憲法も変わる。
それを叶えるために、これから先、おかんからおかんへ、しつこく粘り強う頑張ろうと決意した。
さて、どない料理したろかしらん。