ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

原子力ムラに閉じ込められ、不安と恐怖を身ごもったまま人生を終わりとうなかったら、知れ!闘え!

2012年03月19日 | 日本とわたし
『フクシマの嘘』・ドイツZDF制作/ヨハネス・ハノ監督





映像の中に、3月11日に起きた地震と津波の映像が含まれています。
数分間ですが、もし観ることで体調や心に負担がかかると思われる方は、その間だけ画像から目を離すなどしていただければと思います。
ごめんなさい。

以下、文字起こし。

『我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう、防護服を着こんだ。
汚染され、破壊した原発が立っているのは、立ち入り禁止区域だ。
そこに連れて行ってくれることになっている、男性と落ち合った。
なにが本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。
ナカ・ユキテル氏は原子力分野のエンジニア会社の社長で、もう何十年間も、原発サイトに出向いて働いてきた。
フクシマでも、だ。
私たちは見破られず、無事チェックポイントを通過した。
作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。
3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの、前兆に過ぎないのかもしれないことが、次第にわかってきた。
そして、その危険を理解するには、過去を理解することが必要だ。
 
私たちは、立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から、約7キロ離れたところにいる。
ナカ氏は、ここで生活をし、福島第一と、福島第二の間を、股にかけて仕事をしてきた。
ナカ氏と彼の部下は、何年も前から、原発の安全性における重大な欠陥について、注意を喚起してきた。
しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。

ナカ氏「私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで、その人たちの言うことなど、誰も本気にしません。
日本では、その影響力の強いグループを、呼ぶ名前があります。
原子力ムラ、というのです。
彼らの哲学は、経済性優先です。
この原子力ムラは、東電、政府、そして大学の学者たちでできています。
彼らが、重要な決定を、すべて下すのです。


私たちは、東京で、菅直人と独占インタビューした。
彼は、事故当時首相で、第二次世界大戦以来、初の危機に遭遇した日本を、リードしなければならなかった。
彼は、唖然とするような内容を、次々に語った。
たとえば、首相の彼にさえ、事実を知らせなかったネットワークが、存在することを。
マスメディアでは、彼に対する嘘がばらまかれ、彼は辞任に追い込まれた。
彼が、原子力ムラに対抗しようとしたからである。

菅氏最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前に、しておかなければいけないものがあったのに、何もしなかったことです。
原発事故を起こした引き金は、津波だったかもしれないが、当然しておくべき対策をしなかったことが、問題なのです。
この過失は、責任者にあります。
つまり、必要であったことをしなかった、という責任
です」

では、原発事故の原因は、地震と津波ではなかったのか?
原子力ムラの足跡を辿っていくと、嘘、仲間意識と犯罪的エネルギーの、網の目に遭遇する。
調査は、2つの大陸にまたがった。
まず、カリフォルニアに飛んだ。
目的地は、サン・フランシスコである。
私たちは、ある男性と、話を聞く約束をしていた。
彼は長年、原子炉のメンテナンスの仕事で、フクシマにも何度も来ており、かなり深刻なミスや事故を、東電が隠蔽するのに遭遇した。
フクシマの第1号原子炉は、70年代初めに、アメリカのジェネラルエレクトリック社が建設し、それ以来、アメリカのエンジニアが、点検を行ってきた。
そして、フクシマでは、何度も問題があった。

ドイツZDF記者「東電は、点検後、なにをあなたに求めたのですか?」
スガオカ氏「亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは、簡単です。
つまり、黙れ、ですよ。
何も話すな、黙ってろ、というわけです。
問題があるなど許されない。
日本の原発に、問題など想定されていない


アメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏も、それを変えようとすることは、許されなかった。

スガオカ氏「1989年のことです。
蒸気乾燥機で、ビデオ点検をしていて、そこで、今まで見たこともないほど大きい、亀裂を発見しました」

スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。

スガオカ氏原子炉を点検している同僚の目が、みるみる大きくなったと思うと、彼がこう言いました。
蒸気乾燥機の向きが、反対に取り付けられているぞ、と


もともと、この原発の中心部材には、重大な欠陥があったのだ。
スガオカ氏は、点検の主任だったので、正しく点検を行い、処理をする責任があったのだが、彼の報告は、東電の気に入らなかった。

スガオカ氏私たちは、点検で、亀裂を発見しましたが、東電は私たちに、ビデオでその部分を消すよう、注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私は、サインしか、させてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている、蒸気乾燥機のことも、報告するに決まっている、と知っていたからです

ドイツZDF記者「では、嘘の文書を書くよう、求めたわけですか?」
スガオカ氏「そうです、彼らは我々に、文書の改竄を要求しました

スガオカ氏は、仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。
GE社に解雇されて初めて、彼は沈黙を破り、日本の担当官庁に、告発した。
ところが、不思議なことに、告発後何年間も、なにも起こらなかった。
日本の原発監督官庁は、それをもみ消そうとした
のだ。

2001年になってやっと、スガオカ氏は、「同士」を見つけた。
それも、日本のフクシマで、である。
18年間、福島県知事を務めた、佐藤栄佐久氏は、当時の日本の与党、保守的な自民党所属だ。
佐藤氏は、古典的政治家で、皇太子夫妻の旅に、随行したこともある。
始めは彼も、原発は、住民になんの危険ももたらさない、と確信していた。
だが後に、その信頼を、どんどん失っていった。

佐藤氏福島県の、原発で働く情報提供者から、約20通ファックスが届き、その中には、スガオカ氏の告発も入っていました。
経産省は、その内部告発の内容を確かめずに、これら密告者の名を、東電に明かしました。

それからわかったことは、私も、初めは信じられませんでした。
東電は、報告書を改ざんしていた、というのです。
それで私は、新聞に記事を書きました。
そんなことをしていると、この先、必ず大事故が起きる、と」

それでやっと、官僚たちも、なにもしないわけにはいかなくなり、17基の原発が、一時停止に追い込まれた。
調査委員会は、東電が、何十年も前から、重大な事故を隠蔽し、安全点検報告で、データを改竄してきたことを、明らかにした。
それどころか、フクシマでは、30年も、臨界事故を隠してきた
という。
社長・幹部は、辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが、皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。
一番の責任者であった、勝俣恒久氏は、代表取締役に任命された。
彼らは、佐藤氏に、報告書の改竄に対し謝罪したが、佐藤氏は安心できず、原発がどんどん建設されることを懸念した。
そこで佐藤氏は、日本の原発政策という、「暗黙のルール」に違反してしまった。

2004年に、復讐が始まった。
佐藤氏「12月に、不正な土地取引の疑いがある、という記事が、新聞に載りました。
この記事を書いたのは、本来は、原発政策担当の記者でした。
この疑惑は、完全にでっち上げでした。
弟が逮捕され、首相官邸担当の検察官が、一時的に福島に送られて、検事を務めていた。
彼の名は、ノリモトという名で、『遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる』と、弟に言ったそうです。
事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に、圧力がかかり始めました。

少し、私の悪口を言うだけでいいから、と。
中には2、3人、圧力に耐え切れずに、自殺をする者さえ出ました。
私の下で働いていた、ある部長は、いまだ意識不明のままです


それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。
裁判で、彼の無罪は確定されるが、しかし、沈黙を破ろうとした「邪魔者」は、こうして消された。
これが、日本の社会を牛耳る、大きなグループの復讐だった。
そしてこれこそが、日本で、『原子力ムラ』と呼ばれるグループである。

菅氏ここ10~20年の間、ことに、原子力の危険を訴える人間に対する、あらゆる形での圧力が、非常に増えています。
大学の研究者が『原発には危険が伴う』などとでも言おうものなら、出世のチャンスは、絶対に回ってきません。
政治家は、あらゆる援助を、電力会社などから受けています。
しかし、彼らが、原発の危険性などを問題にすれば、そうした援助は、すぐに受けられなくなります。
反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。
それは、文化に関しても同じで、スポーツやマスコミも含みます。
このように、網の目が細かく張りめぐらされて、原発に対する批判が、まったくなされない環境が、作り上げられてしまいました。
ですから、原子力ムラというのは、決して小さい領域ではなくて、国全体にはびこる問題なのです。
誰もが、この原子力ムラに、閉じ込められているのです


東電から、献金を受け取っている、100人以上の議員に、菅首相は立ち向かった。
その中には、前の首相もいる。
やはり、彼と同じ、政党所属だ。
ネットワークは、思う以上に大きい。
多くの官僚は、定年退職すると、電事業関連の会社に、再就職する。
1962年以来、東電の副社長のポストは、原発の監査を行うエネルギー庁の、トップ官僚の指定席だ。
これを、日本では、『天下り』と呼んでいる。
しかし、反対の例もある。
東電副社長だった、加納時男氏は、当時与党だった自民党に入党し、12年間、日本のエネルギー政策を担当し、それからまた、東電に戻った。
このネットワークについて、衆議院議員の、河野太郎氏と話した。
河野氏の家族は、代々政治家で、彼の父も外相を務めた。
彼は、第二次世界大戦後、日本を約60年間に渡り支配した、自民党に所属している。
原発をあれだけ、政策として推進してきたのは、自民党である。

河野氏誰も、日本で、原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。
だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も、一切してこなかったのです。
それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも、危険に対する情報を、なにひとつ与えてこなかった。
いつでも、お前たちは、なにも心配しなくていい。万が一のことなど、起こるはずがないのだから、と。
彼らはずっと、この幻想をばらまき、事実を歪曲してきた。

そして今やっと、すべて嘘だったことを、認めざるを得なくなったのです」

この雰囲気(虚構?)が、2011年3月11日に壊れた。
日本が、これまでに遭遇したことのない、大事故が起きたからだ。
14時46分に、これまでの中で最大規模の、地震が襲った。
マグニチュード9だった。
しかし、地震は、太平洋沖で始まった、その後のホラーの引き金に過ぎなかった。
時速数百キロという、激しい波が、津波となって、日本の東部沿岸を襲った。
津波は、場所によっては、30メートルの高さがあり、町や村をのみこみ、消滅させてしまった。
約2万人の人々が、この津波で、命を失った。

そして、福島第一にも、津波が押し寄せた。
ここの防波堤は、6メートルしかなかった。
津波の警告を本気にせず、処置を取らなかった、東電や原発を監査する当局は、警告を無視しただけでなく、立地場所すら、変更していたのだ。

菅氏「もともとは、原発は、35mの高さに建てられる予定でした。
しかし、標高10mの位置で、掘削整地し、そこに、原発を建設したのです。
低いところの方が、冷却に必要な海水をくみ上げやすい、という理由で。
東電がはっきり、この方が、経済的に効率が高い、と書いています

巨大な津波が、地震で損傷を受けた福島第一を、完全ノックアウトした。
まず電源が切れ、それから非常用発電機が、津波で流されてしまった。
あまりに低い場所に、置いてあったからである。
電気がなければ、原子炉冷却はできない。

菅氏「法律では、どの原発も、非常用電源センターを用意することが、義務付けられています。
福島第一では、その電源センターが、原発から5キロ離れたところにあります。
これは、津波の後、1分と機能しなかった。
それは、職員が、地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからです。
それで、電源は失われたままでした。
こうして、送電に必要な器具は、すべて作動しませんでした。
つまり、非常用電源センターは、本当の非常時に、なんの機能も果たさなかった、ということです。
法律では、原発事故と地震が、同時に起こるということすら、想定していなかったのです」

菅直人はこの時、原発で起こりつつある非常事態について、ほとんど情報を得ていなかった。
首相である彼は、テレビの報道で初めて、福島第一で、爆発があったことを、知ることになる。

菅氏「東電からは、その事故の報道があって、1時間以上経っても、なにが原因で、どういう爆発があったのかという説明が、一切なかった。
あの状況では、確かに、詳しく究明することは、難しかったのかもしれないが、
それでも東電は、状況を判断し、それを説明しなければいけなかったはずです。
しかし、それを彼らは、充分に努力しませんでした」

2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ、東電と保安院は、事故の危険を、過小評価し続けていた
しかし東電は、菅首相に内密で会い、職員を、福島第一から撤退させてもいいか、打診した。
「今撤退させなければ、全員死ぬことになる」、というのだ。


菅氏「それで私は、まず、東電の社長に来てもらい、『撤退はぜったい認められない』と伝えた。
誰もいなくなれば、メルトダウンが起き、そうすれば、莫大な量の放射能が、大気に出ることになってしまう。
そうなってしまえば、広大な土地が、住めない状態になってしまいます」

菅は初めから、東電を信用できず、自分の目で確かめるため、ヘリコプターで視察した。
しかし、首相である彼にも、当時伝えられていなかったことがあった。
フクシマの、3つの原子炉で、すでにメルトダウンが起きていた、ということだ。
それも、災害の起きた、3月11日の夜にすでに。

菅氏東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも、燃料棒が損傷しているとか、メルトダウンに至った、などということは、一言も書かれていなかった。
3月15日には、そのような状況には、まだ至っていない、という報告が、私に上がっていました


事故から、ほぼ1年が経った、東京。
世界中で、あらゆる専門家が予想していた、メルトダウンの事実を東電が認めるまで、なぜ2ヶ月も要したのか、私たちは聞こうと思った。
自然災害が起きてからすぐに、この原発の大事故は、起きていたのである。

ドイツZDF記者原子炉1号機、2号機そして3号機で、メルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのですか
東電・松本氏私どもは、目で見るわけにはいきませんが、上がってきましたデータをもとに、事態を推定し、
燃料棒が溶け、おそらく圧力容器の底に溜まっているだろう、という認識に達したのは、5月の初め
でした」

膨大なデータに、身を隠そうとする態度は、今日も変わらない。
東電は、毎日行う記者会見で、これらのデータを見せながら、事態はコントロール下にある、と言い続けている。
しかし、これらのデータの中には、本当に、責任者たちはなにをしているのかわかっているのかと、疑いたくなるような情報がある。
たとえば、スポークスマンは、ついでのことのように、放射能で汚染された冷却水が、「消えてしまった」と説明した。 
理由は、「原発施設ではびこる雑草で、ホースが穴だらけになっている」という。

ドイツZDF記者放射能で汚染された水を運ぶホースが、雑草で穴が開くような材料で、できているというのですか?
東電・松本氏草地に配管するのは、私たちも初めてのことですが、穴があくなどのことについては、知見が不十分だった、と思っています

しかし、原発の廃墟を、さらに危険にしているのは、雑草だけではない。
私たちは、富岡町に向かった。
ゴーストタウンだ。
原発廃墟の福島第一から、7キロのところにある。
私たちは、ナカ氏に便乗した。
彼のような住民は、個人的な物を取りに行くためだけに、短時間だけ、帰ることが許されている。
彼は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を、見せてくれた。
今では、放射能のため、ここに暮らすことはできない。

ナカ氏「この木造の建物は、とても快適でした。
とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは、皆ここで、幸せに暮らしていました」

80人の、原発専門のエンジニアが、彼のもとで働いており、原発事故後も、事故をできるだけ早く収束しようと、努力している。
ナカ氏と、彼の社員は、原発廃墟で、今本当に、なにが起きているのか、知っている。

ナカ氏私たちの、最大の不安は、近い将来、廃墟の原発で働いてくれる専門家が、いなくなってしまうことです。
あそこで働く者は、誰でも、大量の放射能を浴びています。
どこから、充分な数の、専門家を集めればいいか、わかりません


しかし、まだ被爆していない、原発の専門家を集めなければ、事故を収束するのは、不可能だ。
例え、これから40年間、充分な専門家を集められたとしても、日本も、世界をも、変えてしまうことになるかもしれない、一つの問題が残る

ドイツZDF記者「今、原発は安全なのですか?」
ナカ氏そう、東電と政府は言っていますが、働いている職員は、そんなことは思っていません。
とても危険な状態です。
私が一番心配しているのは、4号機です。
この建物は、地震でかなり損傷しているだけでなく、この4階にある、使用済み燃料プールには、約1300の、使用済み燃料が、冷却されています。
その上の階には、新しい燃料棒が保管されていて、非常に重い機械類が、置いてあります。
なにもかも、とても重いのです。
もう一度、大地震が来れば、建物は崩壊してしまうはずです。
そういうことになれば、また新たな臨界が、起こるでしょう


このような臨界が、青空の下で起これば、日本にとって、致命的なものとなるだろう。
放射能は、すぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは、不可能となる。
そうすれば、高い確率で、第1、2、3、 5、 6号機も、すべてが抑制できなくなり、まさに、この世の終わりとなってしまうだろう。


東京で、著名な地震学者の、島村英紀氏に会った。
2月に、東大地震研が、地震予知を発表したが、それによれば、75%の確率で4年以内に、首都を、直下型地震が襲う、と予測されている。

ドイツZDF記者「このような地震があった場合に、原発が壊滅する確率は、どのくらいだとお考えですか?」
島村氏「はい、確率はとても高いです」
ドイツZDF記者「どうしてですか?」
島村氏「計測している、地震揺れ速度が、これまでの予測より、ずっと速まってきています。
私たちは、ここ数年千以上の、特別測定器を配置して、調査してきましたが、想像以上に地震波が強まり、速度も増していることが、わかったのです」

これは、日本の建築物にとって、大変な意味を持つだけでなく、原発にとっても、重大な問題となることを、島村氏は説明する。

島村氏「これが、原発の設計計算です。
将来、加速度300~450ガルの、地震が来ることを想定しています。
そして、高確率で発生しないだろう地震として、600ガルまでを想定していますが、
この大きさに耐えられる設計は、原子炉の格納容器だけで、原発のほかの構造は、それだけの耐震設計が、されていないのです。
しかし、私たちの調査では、最近の地震の加速度が、なんと4000ガルまで達したことが、わかっています。
想定されている値より、ずっと高いのです」
ドイツZDF記者「電気会社は、それを知って、増強をしなかったのですか?」
島村氏今のところ、何もしていません、不十分であることは確かです。
これだけの地震に、耐えられるだけの設計をしよう、などというのは、ほとんど不可能
でしょう」

ここは、原発廃墟から、60キロ離れた場所だ。
フクシマ災害対策本部では、東電、保安院、福島県庁が共同で、原発の、地獄の炎を鎮火するための、闘いの調整をはかっている。
私たちは、東電の災害対策部責任者に、インタビューした。
ことに、彼に訊きたいのは、どうやって今後、これだけ損傷している原発を、大地震から守るつもりなのか、ということだ。
ことに、危ぶまれている、4号機について訊いた。

東電・白井氏「4号機の使用済み燃料プールには、夥しい量の、使用済み燃料が入っています。
これを、すべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要です。
燃料プールのある、階の真下に、新しい梁をつけました
ドイツZDF記者原発は、ほとんど破壊した、といってもいいわけですが、
原発が健在だった1年前ですら、大地震に耐えられなかった構造で、どうやって、次の地震に備えるつもりなのでしょうか?

東電・白井氏我々は、耐震調査を、4号機に限らず、全体で行いました。
その結果、問題ない、という判断が出ています。

ドイツZDF記者「でも、地震学者たちは、4000ガルまでの地震加速度が測定されていて、これだけの地震に耐えられるだけの原発構造はない、と言っています。
半壊状態のフクシマの原発の真下で、そのような地震が来ても、全壊することはないと、なぜ確信がもてるのですか?

東電・白井氏「その、4000ガルという計算は、別の調査ではないでしょうか?
それに関しては、私は何とも言いかねます

ドイツZDF記者原発を、日本で稼動させるだけの心構えが、東電にできている、とお考えですか?
東電・白井氏……(長い長い沈黙の後)それは、答えるのが難しいですね

線量計のピッピッピッという音。3.36という数値。
 
ナカ氏「これが、やってきたことの結果です。
この結果を、人類は、ちゃんと知るべきだと思います。
一緒に、未来の政策を、つくっていくことができるように」』