震災の一週間ぐらい後に、ユーチューブで流されたこのメッセージ。
あの時は、胸がつぶれるぐらいに辛くて、哀しくて、このメッセージが涙で霞んで読めへんかった。
あれから一年近く経ち、毎日日本と向き合う日々を過ごし、日本という国のシステムがいかに歪んでいたかを知った今では、
このメッセージを、斜に構えて読んでしまう自分がいる。
けれど、ここに残された方々の思いは真実で、そこに居た人々の姿もまた真実。
市民ひとりひとりの、人間としての、切ないまでの美しさ、強さ、そして弱さ、
あの日があと一週間ほどでやってくる。
わたしに何ができたのか、わたしに何ができてないのか、
昨日から、BBCで放映された、『日本の子供達にとっての津波』という、1時間のビデオを文字起こししている。
いつもなら、ズルをして、どなたかが作業してくれはったものを使わせてもろたりするのやけど、
今回のこれは、どうしても自分で、どんねん時間がかかってもやらなあかんと思た。
頭が疲れたら、このメッセージを読みにくる。
震災から、そして原発事故からもうすぐ一年。
クソな世界は、ちょっとでもマシになったんか。
地震発生後、ツィッターに投稿された、心に残る言葉
prayforjapan.jpから一部引用。
家の非常袋を取り出したら、父親が40年前に書いたメッセージが残っていた。
「心に太陽を持て 口びるにうたをもて」
わたしも新しい非常袋にメッセージを書こう。
見た人が励まされるような。
いつか自分の子供や孫に話そう。
「おばあちゃんが若かったとき、東日本大震災があって、世界中が一つになった。
皆が一つのために必死になって、支え合って輝いていたんだよ」って。
相手が飽きるまで話そう。
だから一人でも多くの人に元気になってほしい。
子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、順番が近くなり、
レジを見て考え込み、レジ横にあった募金箱にお金を入れて、
お菓子を棚に戻して出て行きました。
店員さんがその子供の背中に向けてかけた、
「ありがとうございます」という声が、震えてました。
日本のために祈っています。
一つある地球そしてその中にすんでいる私たちは皆家族です。
心が痛くて涙が出ます。
しかし希望はそばにあります。
Seoul, Korea(韓国から)
NHKの男性アナウンサーが被災状況や現況を淡々と読み上げる中、
「ストレスで母乳が出なくなった母親が、夜通しスーパーの開店待ちの列に並んでミルクが手に入った」と紹介後、
絶句、沈黙が流れ、放送事故のようになった。
すぐ立ち直ったけど、泣いているのがわかった。目頭が熱くなった。
暗すぎて今まで見たこともない星がきれいだよ。仙台のみんな、上を向くんだ。
M9.0 世界最大級となったのか。
じゃ、今後復興のためのエネルギーも愛も、
世界最大級にしなくちゃ。
家屋に取り残され、42時間ぶりに救出された高齢の男性の映像。
「チリ地震も経験してきたから、大丈夫です。また、再建しましょう」
と笑顔で答えていた。
私たちが、これから何をするかが大事。
避難所でおじさんが「これからどうなるんだろう」ともらした時、
横にいた高校生ぐらいの男の子が、
「大丈夫、大人になったら僕らが絶対戻します」って、背中をさすって言ってたらしい。
大丈夫、未来あるよ。
停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、
原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。
勝手に復旧しているわけじゃない。
俺らが室内でマダカナーとか言ってる間、クソ寒い中で死ぬ気で、
がんばってくれている人がいる。
2歳の息子が独りでシューズをはいて外に出ようとしていた。
「地震を逮捕しに行く!」とのこと。
小さな体に宿る勇気の正義感に力をもらう。
みなさん、気持ちを強く持ってがんばりましょう。
都心から4時間かけて歩いて思った。
歩道は溢れんばかりの人だったが、皆整然と黙々と歩いていた。
コンビニをはじめ各店舗も淡々と仕事をしていた。
ネットのインフラは揺れに耐え抜き、
各地では帰宅困難者受け入れ施設が開設され、
鉄道も復旧して終日運転するという。
すごい国だよ。
GDP何位とか関係ない。
ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人たちが「寒いから敷けって」段ボールをくれた。
いつも私たちは横目で流しているのに。
あたたかいです。
韓国人の友達からのさっき来たメール。
「世界唯一の被爆国。大戦にも負けた。毎年台風が来る。地震だって来る。津波も来る……。
小さい島国だけど、それでも立ち上がってきたのが日本なんじゃないの。頑張れ超頑張れ」
ちなみに僕はいま泣いている。
昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、
とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが、無料でパンを配布していた。
こんな喧噪の中でも、自分にできることを見つけて実践している人に感動。
心温まった。
東京も捨てたもんじゃないな。
国連からのコメント
「日本は今まで世界中に援助してきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する」
ものが散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、
そして列に黙って並んで買い物をする。
運転再開した電車で、混んでるのに、妊婦に席を譲るお年寄り。
この光景を見て、外国人は絶句したようだ。
本当だろう。この話。すごいよ日本。
ディズニーランドでは、ショップのお菓子が配給された。
ちょっと派手目な女子高生たちが、必要以上にたくさんお菓子をもらってて、「なんだ?」って一瞬おもったけど、
その後その子たちが避難所の子供たちにお菓子を配っていたところを見て感動。
子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい気配りだった。
駅員さんに「昨日は一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」って言ってる小さな子供たちを見た。
駅員さんは泣いていた。俺は号泣してた。
" Operation Tomodachi "
米軍による救助活動名
あの時は、胸がつぶれるぐらいに辛くて、哀しくて、このメッセージが涙で霞んで読めへんかった。
あれから一年近く経ち、毎日日本と向き合う日々を過ごし、日本という国のシステムがいかに歪んでいたかを知った今では、
このメッセージを、斜に構えて読んでしまう自分がいる。
けれど、ここに残された方々の思いは真実で、そこに居た人々の姿もまた真実。
市民ひとりひとりの、人間としての、切ないまでの美しさ、強さ、そして弱さ、
あの日があと一週間ほどでやってくる。
わたしに何ができたのか、わたしに何ができてないのか、
昨日から、BBCで放映された、『日本の子供達にとっての津波』という、1時間のビデオを文字起こししている。
いつもなら、ズルをして、どなたかが作業してくれはったものを使わせてもろたりするのやけど、
今回のこれは、どうしても自分で、どんねん時間がかかってもやらなあかんと思た。
頭が疲れたら、このメッセージを読みにくる。
震災から、そして原発事故からもうすぐ一年。
クソな世界は、ちょっとでもマシになったんか。
地震発生後、ツィッターに投稿された、心に残る言葉
prayforjapan.jpから一部引用。
家の非常袋を取り出したら、父親が40年前に書いたメッセージが残っていた。
「心に太陽を持て 口びるにうたをもて」
わたしも新しい非常袋にメッセージを書こう。
見た人が励まされるような。
いつか自分の子供や孫に話そう。
「おばあちゃんが若かったとき、東日本大震災があって、世界中が一つになった。
皆が一つのために必死になって、支え合って輝いていたんだよ」って。
相手が飽きるまで話そう。
だから一人でも多くの人に元気になってほしい。
子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、順番が近くなり、
レジを見て考え込み、レジ横にあった募金箱にお金を入れて、
お菓子を棚に戻して出て行きました。
店員さんがその子供の背中に向けてかけた、
「ありがとうございます」という声が、震えてました。
日本のために祈っています。
一つある地球そしてその中にすんでいる私たちは皆家族です。
心が痛くて涙が出ます。
しかし希望はそばにあります。
Seoul, Korea(韓国から)
NHKの男性アナウンサーが被災状況や現況を淡々と読み上げる中、
「ストレスで母乳が出なくなった母親が、夜通しスーパーの開店待ちの列に並んでミルクが手に入った」と紹介後、
絶句、沈黙が流れ、放送事故のようになった。
すぐ立ち直ったけど、泣いているのがわかった。目頭が熱くなった。
暗すぎて今まで見たこともない星がきれいだよ。仙台のみんな、上を向くんだ。
M9.0 世界最大級となったのか。
じゃ、今後復興のためのエネルギーも愛も、
世界最大級にしなくちゃ。
家屋に取り残され、42時間ぶりに救出された高齢の男性の映像。
「チリ地震も経験してきたから、大丈夫です。また、再建しましょう」
と笑顔で答えていた。
私たちが、これから何をするかが大事。
避難所でおじさんが「これからどうなるんだろう」ともらした時、
横にいた高校生ぐらいの男の子が、
「大丈夫、大人になったら僕らが絶対戻します」って、背中をさすって言ってたらしい。
大丈夫、未来あるよ。
停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、
原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。
勝手に復旧しているわけじゃない。
俺らが室内でマダカナーとか言ってる間、クソ寒い中で死ぬ気で、
がんばってくれている人がいる。
2歳の息子が独りでシューズをはいて外に出ようとしていた。
「地震を逮捕しに行く!」とのこと。
小さな体に宿る勇気の正義感に力をもらう。
みなさん、気持ちを強く持ってがんばりましょう。
都心から4時間かけて歩いて思った。
歩道は溢れんばかりの人だったが、皆整然と黙々と歩いていた。
コンビニをはじめ各店舗も淡々と仕事をしていた。
ネットのインフラは揺れに耐え抜き、
各地では帰宅困難者受け入れ施設が開設され、
鉄道も復旧して終日運転するという。
すごい国だよ。
GDP何位とか関係ない。
ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人たちが「寒いから敷けって」段ボールをくれた。
いつも私たちは横目で流しているのに。
あたたかいです。
韓国人の友達からのさっき来たメール。
「世界唯一の被爆国。大戦にも負けた。毎年台風が来る。地震だって来る。津波も来る……。
小さい島国だけど、それでも立ち上がってきたのが日本なんじゃないの。頑張れ超頑張れ」
ちなみに僕はいま泣いている。
昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、
とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが、無料でパンを配布していた。
こんな喧噪の中でも、自分にできることを見つけて実践している人に感動。
心温まった。
東京も捨てたもんじゃないな。
国連からのコメント
「日本は今まで世界中に援助してきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する」
ものが散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、
そして列に黙って並んで買い物をする。
運転再開した電車で、混んでるのに、妊婦に席を譲るお年寄り。
この光景を見て、外国人は絶句したようだ。
本当だろう。この話。すごいよ日本。
ディズニーランドでは、ショップのお菓子が配給された。
ちょっと派手目な女子高生たちが、必要以上にたくさんお菓子をもらってて、「なんだ?」って一瞬おもったけど、
その後その子たちが避難所の子供たちにお菓子を配っていたところを見て感動。
子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい気配りだった。
駅員さんに「昨日は一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」って言ってる小さな子供たちを見た。
駅員さんは泣いていた。俺は号泣してた。
" Operation Tomodachi "
米軍による救助活動名