ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

放射能の恐怖を身ごもっているわたしたちの身体を、原子力、資本、戦争による支配から解放しよう!

2012年03月13日 | 日本とわたし
あやちゃん、ありがっとぉ~!!



It has been almost a year since the earthquake and tsunami that triggered the Fukushima nuclear accident.
大地震、津波に伴う原発事故から、1年が経とうとしていま​す。


Despite the "it's safe" campaign played by the Japanese government, the crippled Fukushima Daiichi is far from the state of 'stabilization'.
福島第一原発は、政府による「収束」の虚言に反するごとく​、今でも落ち着く気配はありません。


Ignoring the growing nation-wide anti-nuke resistance, the Noda Administration publicly states their will to restart nuclear reactors that are in test period. On top of it, Japan is eager to export nuclear technology overseas. It is a shameful behavior as a country where many people are still suffering the after effects of the nuclear disaster. The
radioactive substances, all which are the property of TEPCO (Tokyo Electric Power Co.), are spreading in the wider area as we find out every day. Radiation equally contaminates the land, water, air and all living things.
野田政権は、「脱原発」を否定し、現在停止中の原発の再​稼働を公言しています。
さらに、原発の技術を、海外に輸出​する計画もすすめています。
今でも、事故の影響によって苦​しむ人が、たくさんいる中での、恥ずべき行為です。
東京電​力の所有物である放射能は、大地を、水を、空気を汚し、​分け隔てなく、すべてのものを汚しています。



There are many who cannot evacuate. Radiation certainly is getting inside bodies of the people. Many forms of labor- especially reproductive care work is burdening a great damage, while many children continue to live in highly
contaminated area, banned to play outdoors. Families and communities are torn apart, and today many fissures are created in Japanese society. Such fissures are no longer contained only within the archipelago.
そんな中、今でも避難ができずに、東北や関東で暮らす人々​がたくさん居ます。
いま、放射能は確実に、そこに住む人々​の、体内に存在します。
さまざまな労働が、とくに再生産労​働が、大きな傷を負っています。
こどもが、線量の高い地域で​、外で遊べずに暮らしています。
夫婦が、家族が、離ればな​れになり、コミュニティーが分離され、さまざまな亀裂が​、日本社会の中に走っています。
その亀裂は、もう、日本国内​だけにとどまるものではありません。



On the first anniversary we will stand up from our loss and will fight to prevent further losses. Let us demand Japanese government that they take responsibility. Let us send alert to the US nuclear industry (the biggest of the global nuclear regime). Let us all walk in the streets of New York to end the nuclear energy!
1年後の今日、わたしたちは、失った悲しみから立ち上がり​、失われつつあるものを守るための、アクションをおこしま​す。
共に、日本政府に、人間を棄てるなと訴え、アメリカの​原子力産業に向けて、警告を出しましょう。
そして、すべて​の原発の廃止を求めて、ニューヨークの街を歩きましょう。



We stand in solidarity with the growing anti-nuclear movements in Japan, as well as all the people who are living under the threats of nuclear plants, uranium mining, nuclear waste dumps, and military industrial complexes. We stand with the women in Japan who continue their autonomous struggles while living under the threats of
radiation.
私たちは、日本で拡大し続ける、脱原発運動に連帯します。
原​子力、ウラン鉱山、核廃棄物などの存在に、生活を脅かされ​ている人たちに連帯します。
日々の家事労働の中で、放射能​汚染と闘いながら、権力と立ち向かい、生存をかけて、自立的​な草の根運動を続けている日本の人々、特に女性たちに連​帯します。



We say no to all the forms of control over our lives.
生きものを犠牲にするな。
わたしたちの生存を支配するな​。



We are pregnant with fear of radiation.
私たちは、放射能の恐怖を身ごもっている。


Let us liberate our bodies from the control of nuclear energy!
わたしたちの身体を、原子力、資本、戦争による支配から​解放しよう。


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放射線が怖い?いいえ本当に怖いのは、あなたのような無知な人が今だにウジャウジャしてるということ!

2012年03月13日 | 日本とわたし
徳島県のホームページの、『とくしま 目安箱』というページがあります。
そこに送られてきた、60歳の男性の意見に対しての回答を、ここに転載させていただきます。

ご意見
登録・更新日:2012-03-13
60歳 男性
タイトル:放射線が怖い?いいえ本当に怖いのは無知から来る恐怖

東北がんばれ!!それってただ言葉だけだったのか?
東北の瓦礫は今だ5%しか処理されていない。
東京、山形県を除く日本全国の道府県そして市民が瓦礫搬入を拒んでいるからだ。
ただ放射能が怖いと言う無知から来る身勝手な言い分で、マスコミの垂れ流した風評を真に受けて、
自分から勉強もせず大きな声で醜い感情を露わにして反対している人々よ、恥を知れ!!
徳島県の市民は、自分だけ良ければいいって言う人間ばっかりなのか。
声を大にして正義を叫ぶ人間はいないのか? 
情け無い君たち東京を見習え。


回答

【環境整備課からの回答】
貴重なご意見ありがとうございます。
せっかくの機会でございますので、徳島県としての見解を述べさせていただきます。
 
このたびの東日本大震災では、想定をはるかに超える大津波により、膨大な量の災害廃棄物が発生しており、
被災自治体だけでは処理しきれない量と考えられます。

こうしたことから、徳島県や、県内のいくつかの市町村は、協力できる部分は協力したいという思いで、国に対し、協力する姿勢を表明しておりました。

しかしながら、現行の法体制で想定していなかった、放射能を帯びた震災がれきも発生していることから、
その処理について、国においては、1kgあたり8000ベクレルまでは、全国において埋立処分できる、といたしました。
(なお、徳島県においては、放射能を帯びた震災がれきは、国の責任で、国において処理すべきである、と政策提言しております)

放射性物質については、封じ込め、拡散させないことが原則であり、
その観点から、東日本大震災前は、IAEAの国際的な基準に基づき、
放射性セシウム濃度が、1kgあたり100ベクレルを超える場合は、特別な管理下に置かれ、低レベル放射性廃棄物処分場に封じ込めてきました。(クリアランス制度)

ところが、国においては、東日本大震災後、当初、福島県内限定の基準として出された8000ベクレル(従来の基準の80倍)を、
その十分な説明も根拠の明示もないまま、広域処理の基準にも転用いたしました。
(したがって、現在、原子力発電所の事業所内から出た廃棄物は、100ベクレルを超えれば、低レベル放射性廃棄物処分場で厳格に管理されているのに、事業所の外では、8000ベクレルまで、東京都をはじめとする東日本では埋立処分されております)

ひとつ、お考えいただきたいのは、この8000ベクレルという水準は、国際的には、低レベル放射性廃棄物として厳格に管理されている、ということです。

例えば、フランスやドイツでは、低レベル放射性廃棄物処分場は、国内に1カ所だけであり、
しかも、鉱山の跡地など、放射性セシウム等が水に溶出して外部にでないように、地下水と接触しないように、注意深く保管されています。


また、群馬県伊勢崎市の処分場では、1キロ当たり1800ベクレルという、国の基準より大幅に低い焼却灰を埋め立てていたにもかかわらず、
大雨により、放射性セシウムが水に溶け出し、排水基準を超えた事件がございました。


徳島県としては、県民の安心・安全を、何より重視しなければならないことから、
一度、生活環境上に流出すれば、大きな影響のある放射性物質を含むがれきについて、十分な検討もなく受け入れることは難しい、と考えております。


もちろん、放射能に汚染されていない廃棄物など、安全性が確認された廃棄物まで、受け入れないということではありません。
安全な瓦礫については、協力したいという思いはございます。

ただ、瓦礫を処理する施設を、県は保有していないため、受け入れについては、施設を有する各市町村、及び県民の、理解と同意が不可欠です。

われわれとしては、国に対し、上記のような事柄に対する、丁寧で明確な説明を求めているところであり、
県民の理解が進めば、協力できる部分は協力していきたい
と考えております。


※回答文については、提言者にお返事した際の内容を掲載しております。
その後の事情変更により、現在の状況と異なる場合がありますので、詳しくは担当課までお問い合わせください。
この件に関するお問い合わせ
環境総局環境整備課 ゴミゼロ推進室・ゴミゼロ推進担当
電話番号:088-621-2259
ファクシミリ:088-621-2846
メールアドレス:kankyouseibika@pref.tokushima.lg.jp



『徳島県としては、県民の安心・安全を、何より重視しなければならないことから、
一度、生活環境上に流出すれば、大きな影響のある放射性物質を含むがれきについて、十分な検討もなく受け入れることは難しい、と考えております』


こんな素晴らしい、真っ当なことをきっぱりと言える人が、環境整備課に居はる県の住民さんは、
今みたいな日本では、極楽に住んでるみたいな心持ちになれるやろね。

この答を大判の紙にコピーして、各県の、環境整備課の窓口に貼って欲しい。
この答をプリントアウトして、各紙の第一面に掲載して欲しい。
この答を録音して、各局のニュースで放送して欲しい。

それが普通のこととしてできる人が、もっともっと増えてきて欲しい。
そのためにも、わたしら市井の人間は、毎週のように町の通りに出て、応援してることを伝えなあかんよね。
黙ってたら、応援してることも伝わらへんから、勇気のモトが作られへん。
今の日本では、まともなことをするには、相当の勇気が要るんやから。
その勇気のモトを、必要としてる人達にあげよう。
それがわたしらのできること。
それがわたしらにしかできひんこと。 

祈ること

2012年03月13日 | 日本とわたし
ゴロスケの小さな不思議というブログがある。
大好きな人である。
木版画と焼き物の作家である。
奥能登の雑木山で暮らしている。
名前を、江崎満という。
そこに、彼の作品とともに、こんな祈りの言葉が載っていた。


祈ること



東北大震災、福島原発事故から一年が経った。
大震災では多くの人が津波に呑まれ、原発事故は世界が経験したことのない大事故となって、今なお事故の収束のめどさえ立っていない。
収束まで何十年、いや、放射能が無毒化するまでには、100万年の時間がかかると言う。
収束する頃、私は確実にこの世にいない。
いや、人類がこの世に存在しないかも知れぬ。


我々人類の何と愚かなことか。
原発のことだけではない。
広島で生まれた私にとって、日本に落とされた2つの原爆を忘れるわけにはいかない。
原発と原爆は同じものである。
過去の政治家たちは、核兵器をいつでもすぐに作れる技術を手に入れたくて、電力会社を主導し、原発を作り続けてきた。

電源の問題ではない、政治家、御用学者、国防と電力会社、原子炉を製造する大企業が作る、原子力村の膨大な利益と既得権益の話であり、国防の話なのだ。

原発事故が起きるまでもなく、地域差別、原発ジプシーと呼ばれる過酷な原発労働従事者たちへの差別、
それに、人間の科学では無毒化出来ない、54基の原発が生み出した、広島型原爆120万発分の放射能の問題。
すでに、青森六ヶ所村は満杯状態で、持って行き場がなく、モンゴルの大草原にもっていこうか、などという話も出ている。
そして、今回の大事故である。
世界中に放射能をまき散らし、福島の10万人の人たちの生活の場を奪い、子供たちや若い人たちに、被曝の日々を強要している現状である。

にも拘らず、この期に及んで政治権力は、隙あらば原発を復活させようと、虎視眈々と狙っているようだ。
電力会社から票と政治資金を集め、政治家としての権力を保っているのだから仕方ないのだろうし、
原子力村の構造自体を解体しないことには、この方向は変わらないのだろう。

ここまで書いて来て、書けば書くほど切りがなく、なんだか途方もなく虚しくなってきた。

しかし、もう少し書いておく。

人間どもの、途方もない愚かさについて。

繰り返される戦争、殺戮、支配、飢餓、貧富の差、民主主義の不在・・・・
人類の歴史は、進歩どころか、膨大な愚かさの歴史でもあったように思われる。

我々人類は、地球を蝕む癌細胞でしかないのか・・・・
一体、世界はどうなってしまうのか?
このまま破滅へと突き進むのか・・・・・

ともあれ、重い一年だった。


しかし、絶望ばかりしてはおれぬ。

2011年3月11日に、確かに世界は変わったとはいえ、
私は生きているのだし、まだ沢山のものたちが生きている。

生きている。
ここからまた始めなければならぬ。

この原発の大事故で、人間の愚かさを痛感したが、それによって学んだこともある。
安全か、そうでないか、賛成か、反対か・・・・・その前に、
核というものが、我々生命体とは全く次元の違うものである、ということである。

我々の生身の生命感覚では、形や匂いも、スピードも、パワーも、全く捉えることの出来ぬ、まったく想像を超えたところのものであり、
もともと制御など出来る筈もなく、決して触れてはならないものだ、ということである。

生命は、核の安定を基本に成り立っている。
核の不安定なところでは、生きていけない。
太陽のエネルギーは、核分裂と核融合という、核の不安定で生み出されるが、勿論そんなところには、生命など存在出来ない。
地球も、誕生した頃は燃えたぎっており、不安定な核の世界で放射線は飛び交い、生命は生まれようもなく、
何十億という時を経て、やっと安定し、そこから生命が生まれ、進化が始まった。
不安定な核の世界は、我々生命とは、全く相容れない次元のものなのである。

要するに、私という生命が生きる感覚が、核を拒否するのである。
ここが基本である。

核のない世の中にしないとイケナイ。
核には、希望も未来も見いだすことができぬ。

そのために何が出来るか?
私は何をすればいいのか?
それが問われている。

考えても、簡単には答えは出て来ないが、
私の得意な分野で、私なりのやり方で、やって行くしかないのだろう。

昨年、我々人間の、膨大な愚かさに押しつぶされそうになった時、
自然に、『祈り』という言葉がやってきた。

我々人間の、途方もない愚かさへの祈りである。

そこから始めようと。


私の住む雑木山を降りてゆくと、蓮の池がある。
蓮の葉が天に向かって躍動している姿は、『祈り』の形に見えた。
それで、『蓮の祈り』という連作を作った。

彫ることが、祈りであった。

その後、「ヘタクソを日記のように」で、毎日ひとつ版画を彫っているが、
そのことは変わらない。

私と全ての生命たちに、健やかに弾けよ、と祈るのである。









(『蓮の祈り』の連作は昨年12月福井ゲッコウカフェ展覧会に展示したものである。下の泥の部分にはフクシマ原発事故と広島原爆ドームを彫り込んだ)

3.12.2012

2012年03月13日 | 日本とわたし
今日は、日本が、三度目の、大量で深刻な被ばくをした日。
いや、この三度目は、一回の爆発では終わらず、二度三度、そして毎日、一日も一秒も欠かさず、延々と放射能汚染は発生し続けてる。
そやから今回は、一番ひどい。
『二度あることは三度ある』のことわざを、見事にやってしもた国日本。

一度目と二度目は、アメリカに空から落とされた原爆で。
三度目は、核の支配に囚われたバカ者どもの国が出したチョッカイに、まんまと乗った、あるいは属国やから仕方なくやったか。
地震が頻発する島国やというのに、こともあろうに、沿岸をぐるりと原発で囲むという愚行を繰り返す阿呆がぎょうさん居る国日本。

震災と津波で奪われてしもた命。
その御遺体を捜索することもままならず、それでも捜索した人達には体の異変が起こった。
大きな自然災害を受け入れながら、なんとかして立ち直ってきた日本も、
見えへんミクロの爆弾が空気や水や土に混ざり混んでしもたこの、とんでもない状況を、どないして解決したらええのか、皆目ワケが分からんまま、

一年が経ってしもた。

この一年は、なんでやねんっ!の連続。
怒ったり呆れたりがっかりしたり。
昨日ぐらいは、祈りの一日にしたかったのに、それも叶わんかった。

まともなことを言う報道機関は、ほんの数社。
まともなことをした政治屋は……知らん……。

けどな、それでも一年やで。
一年も経ったんやで。
報道機関や人のせいにして、知らんかってんもんで済ましてるそこの人、
あんな事故が起こったというのに、国が全くうねらんなあ……と、世界は首を傾げて呆れてる。
ほんまに、どういうつもりなん?

もうな、日本の政治屋は変わらん。
システムも変わらん。
このまんま、変わらんと、ずっと進んでいくねん。
わたしらが変わらな、なにも変わらんねん。
わたしらが変わらな、なにも変えられへんねん。
わたしらが変わらな、子供の未来は無いねん。
わたしらが変わらな、日本は放射能まみれになって沈没してまうねん。
日本は、あらためて世界に、発信せなあかんねん。
核に頼らん、新しい暮らしを、世界に知らさんとあかんねん。
新しい日本を創ろうな!
核の無い、新しい日本を創ろうな!