ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

我が輩は『テロリストな野田!』

2012年03月26日 | 日本とわたし
結局のところ、日本は、テロリストに占拠されてしもた。
野田は小物で、原稿を渡されて、それを丸読みするだけ。
声が演説に向いてるもんな。

だいたい、一国の首相たる者が、しかも、その国が緊急事態に陥ったまんま一年以上も経ってしもたという状況の中で、
「TPPはビートルズと考えたら、日本はポール・マッカートニーです。ポールのいないビートルズはありえません。もちろんアメリカはジョン・レノンです。この2人がしっかりハーモニーしないといけません」などと言う。

この男はいったい、どんな脳をしてるんやろう。
まさか、これがあの男のアイディアなんやろか?
もしこれを、誰かが考えた文句やとして、それが書かれたのんを読んで、そのまんま言える阿呆はまず、世界中どこ探してもおらんやろ。
こんな恥ずかしいこと言えるか!と、普通激怒するやろ。

こんな脳の持ち主で、言われたまんまなんでもできる特殊なロボット的気質を持った男やからこそ、
原発テロリストの連中は、この男を首相にならせたんやと思う。

原発テロリストは、自分が全く痛まんように、すべてを支配してる。
マスコミ、電力会社、銀行、自治体、学者、政治家、それらがみんな、金なり命なりを失いとうないがために、
危険なもんを安全と言うたり、在るもんを無いと言うたり、見てもせんもんを見たみたいに言うたり、
あの手この手で、まずは薄く広くまんべんに、放射能汚染を広げようとしてる。

まだ、汚染の無いとこが残ってるのに。まだ、汚染がほとんど無いとこがのこってるのに。

汚染が激しいとこに住民を閉じ込めて、そこで食べ物を作らせたり獲らせたりしてる。
できるだけ汚染のある作物や肉を作らせて、それをまんべんなく混ぜ、全国津々浦々の店で売る。
どんだけ除染しても、結局は意味の無い汚染地の、除染キャンペーンを強行して、得られた泥やゴミをセメントなどの建築材料にして、マンションや家を建てる。
汚染地で、マラソン大会、◯◯大会とか開いて、若い子を呼び寄せて運動させる。
なによりも、放射能危険区域とおんなじ線量のとこで、学校が営まれてて、そこで子供が被曝させられてる。

日本の国民がどんだけ病気になろうが、疲労感に苛まれようが、突然死しようが癌になろうが、それで結局は人口が減ろうが、
テロリストにとってはなんの問題もない。ノープロブレム!
原発テロリストは、ただただ、コツコツと、核発電機からプルトニウムを作り、それを兵器狂いの国に売る。
それさえできたら満足やねん。
その核発電機から出る膨大な核物質を、地震だらけの、その地震がこれからどんどん活発になると予想されてる国の、地面に穴掘って埋める言うんやからお笑いや。
どんだけホラーやねん!?

あんな、今が勝負やで。原発が全基停止状態になるねん。
全基停止状態で夏を乗り切られたらめちゃ困るねん。
ウソが思いっきりバレるもんな。原発が無かったら電気が足りんようになるっちゅう大ウソが。
この夏、原発ゼロでいくためには、なんとしても再稼働を止めなあかん。
これはいったい、どないしたら可能やろか。

またあのテロリストの子分が、首相面して、「◯◯原発の再稼働を認める」とか言うまでに、思いっきりみんなで団結して手を打たな!
今回ばっかりは、またや~とか言うて、怒ったりがっかりしたりするわけにはいかんねん。
早急にやで!徹底的にやで!

ヤクザに斡旋されていようが、お金の為だけに働いていようが、日本は、我々は、彼らによって守られている

2012年03月26日 | 日本とわたし


『EX-SKF-JP』という、米国在住の方が書かれているブログがあります。
ここでも何度か紹介させていただいた、いつもわたしが読ませていただいているブログです。
そこに、原発作業員の方々を、現場に通って撮影し続けているジャーナリストの記事が、2週間前に掲載されていました。
先日、ガンダーセン氏が、講演中に、何度も何度も、作業員の方々に、心から感謝を述べられているのを聞き、
今まで感謝をしているつもりでいたけれど、まるでその思いが足りなかったことに気がつき、とても恥ずかしくなりました。
彼らを取り巻く環境の厳しさ、悲惨さを、また凝りもせず、事故前の自分のように、大変なのはわかってるけど、という感じになっていました。
恥ずかしいし、申し訳ないと思いました。



関西テレビ・スーパーニュースアンカー
『誰かがやらねば……福島第1原発作業員の素顔』

若い写真家の小原一真(おばらかずま)さんは、去年の8月に、福島原発に入り、
作業員の姿、東電発表の写真からは伝わってこない、敷地内の荒涼とした様子を、写真に収めた方です。
(例えば英語ブログのポストhttp://ex-skf.blogspot.com/2011/08/never-give-up-fukushima-sign-right-next.htmlに出したこの写真など)

原発事故1周年を期して、写真集を出版、その中には、現在も原発で働く、作業員の方々の素顔が、実名入りのコメントで入っているとのこと』

以上、EX-SKFさんのブログ転載終わり。



↓ここから以下は、関西テレビ・スーパーニュースアンカー、3月12日放送のバックナンバーから転載させていただきます。

スーパーニュースアンカー番組バックナンバーより:http://www.ktv.co.jp/anchor/today/2012_03_12.html#02
誰かがやらねば……福島第一原発作業員の素顔

福島第一原子力発電所で、懸命に続けられる復旧作業。
それを担う作業員を、撮影し続けるジャーナリストがいます。
過酷な環境で、作業を続ける作業員たち。
素顔に迫る写真で、伝えたいことがあります。

福島第一原子力発電所から、20キロ地点のゲート。
撮影するのは、岩手県盛岡市出身のフォトジャーナリスト、小原一真(おばらかずま)さん(26)です。



小原さんは去年8月、福島第一原子力発電所の、敷地内に入りました。
事故後の様子に加え、作業員の姿も、カメラに収めました。

【小原一真さん】
「毎時15マイクロシーベルトとか18マイクロシーベルトとか、そういうような状況にあって、
はっきり言って、あり得ないぐらいの線量の高さの中で、食事とか仮眠だとか、床にしてるわけですし、
そういう状況の中で、皆さん休憩してるんだなというのが、一番最初のショックでしたね」



マスクを外し、煙草を吸う姿。
薄いマットの上で、体を休める作業員。
マスクを置いて、報告書を書く姿もみられます。

【小原一真さん】
「僕ら自身も、守られてるわけですよね、彼らの働きによって。
それが仮に、ヤクザに斡旋されていようが、お金の為だけに働いていようが、それははっきりいって関係なくて、
実際、彼らがやっている事によって、今の僕らの、当たり前の生活っていうのが成り立っている。
にも関わらず、自分が、カメラマンという立場を考えた時に、なにも出来てないんですよね、
それを思った時に、誰かが、彼らの思いっていうのを、伝えなくちゃいけないですし」



福島第一原子力発電所の、写真を発表して以来、海外のメディアからも、注目されるようになりました。
この日も、オーストリアの放送局の取材を受け、作業員が置かれている実態を伝えました。

小原さんは、震災発生から一年を機に、大阪で、写真展を開くことにしました。

日常の報道では、顔が見えにくい作業員。
小原さんは、そんな彼らに、正面から向き合い、顔や名前を出す承諾を、取り付けました。

過酷な作業に当たる彼らは、ごく普通の人たちでした。
そして、事故の被害者でもありました。

福島県川内村へ、続く道です。
小原さんが、この道を走るのは、もう100回を超えています。

【小原一真さん】
「結局、毎時0.3マイクロシーベルトの低い基準だと、低くないんですけど、すぐ鳴っちゃう。
ウクライナ製で、設定が、毎時0.3マイクロシーベルトでやってるわけじゃないですか。
設定は変えれますけど、変えちゃいけないなって思いますよね。
経験則にしたがって、こういうの作ってるわけですよね」

小原さんが、川内村に通うのは、福島第一原子力発電所で、作業に従事する、村の建設会社を取材するためです。



この会社では、放射性物質に汚染された水を通す、配管作業などを請け負っています。
事故後の被ばく量は、多い人で、すでに30ミリシーベルトを超えています。

【建設会社の社長】
「家族食わしていかなきゃいけない、公共事業がストップしている、
仕事が全くないっていったら、お金払ってもらうためには、東京電力助けなくちゃいけない、というのもあります。
けど、やっぱり家族、自分が食べていくのが一番ですからね」


この会社では、現在、25歳から55歳までの10人が、作業にあたっています。
中には、事故の後、失業して加わった人もいます。
労働者の被ばく限度は、5年で100ミリシーベルト。
このままだと、いずれその値に達します。



川内村は、村全体が、福島第一原子力発電所から30キロ圏内にあります。
震災前、およそ3000人いた村民は、160人にまで減っていました。

村は、この春から、役場や学校を再開することにしました。
原発から、22キロ地点にある、川内小学校。
校庭には、除染で出た、汚染された土が積まれています。
子どもたちが、避難先の郡山市から戻ってくるため、汚染土の運び出しが、急ピッチで進められています。

【建設会社の社長】
「自分ら、こうやって、第一原発で働いていて、どういう状況かっていうのは、行ってるんでわかりますよね。
で、今帰ってもいい時期かっていったら、帰れない、と思うんですけどね」

写真が出来上がりました。



福島第一原子力発電所で働く、27人の素顔です。
小原さんが聞き出した、彼らの心境も合わせて、展示しています。



【写真展・作業員たちのコメント】
「娘のお墓が、ここにあるんですよ。家族はみんな、避難させたけど、俺だけでも残ろうって」
「震災直後だったら、俺、どんなことできたんだろうなって。何で俺、すぐ来なかったのかっていう後悔が強いです」
「若い人は、これから結婚して、子供を作るんだから。やっぱり、私らの年齢の人が、頑張んないと駄目ですよ」
「でも、テレビで見るほど、俺らって、全然悲観的じゃないですよ。福島頑張ろう、とか言われても、頑張ってるしねぇ」



【小原一真さん】
「客観的に、その原発の収束を考えた時に、40年後にどうなっているんだろうって。
40年後も、業務が残っているってことは、結局、今年生まれた赤ちゃんだって、今学校で勉強している子供たちだって、そこで働いているかも知れないわけですよね。
そういう事を考えると、本当に、それをしてくれる人が、いなくなったらどうするんだっていう議論だとか、
その人たちの労働環境だとかっていうのを、見直さなくちゃいけないんじゃなのかなって、すごく思います」


廃炉まで、30年から40年かかるといわれる、福島第一原子力発電所。
今日も、およそ3000人の作業員が、収束に向けた作業を行っています。

『3.11小原一真(おばらかずま)写真展』
大阪市福島区「フォトギャラリーSai」
3月10日~4月1日 入場料500円(子供は無料)
http://kazumaobara.com/


2012年3月12日放送』  

お別れの前に

2012年03月26日 | ひとりごと
ポンちゃんです!


満開になった途端に、気温が15℃以上も下がり、冷たい風がびゅうびゅう、一日中吹き荒れてる中、がんばってくれてるポンちゃん、
今座ってるところから見えるポンちゃんはこんな感じ。


この木はまだ小さくて、一番ぶっとい幹でも、わたしの太ももぐらい。
でも、花が見事なので、誰もが足を止めて眺めてしまう、べっぴんさんです。


花びらが、どんどん落ち始めました。う~ん……。


心配せんでもええで。まだまだいっぱいあるから。


水色の空が良く似合うポンちゃん。


つぼみもみんな花になりました。


こんなふうに、ポンポン咲いているので、ポンちゃんという名前をつけました。


4月にもなっていないのに、満開を迎えた今年のポンちゃんを、もう一度、カメラに残します。


ブルーベリーにも赤ちゃん芽が出てきました。


早春の新芽はいつ見ても、心に元気を運んでくれます。