ふんばろう東日本支援プロジェクト
家電を被災地に送ろう!
↑このふたつのプロジェクトは、西條剛央氏(構造構成主義を体系化した日本の心理学者であり哲学者。早稲田大学大学院専任講師)が、次々に浮かび上がるアイディアをツィッターに流し、そこからのつながりによって立ち上げられたものです。
3月11日から30日までの間は、仙台にある実家がとりあえず無事だったということを確認し、教えることと書くことを続けておられたのですが、
16日にとうとう、被災地に向かうことを心の中で決められたそうです。
土地勘のあるお父様と一緒に向かった始めの被災地が、南三陸町でした。
以下は、糸井さんとの対談(ほぼ日刊イトイ新聞)からの抜粋です。
『そのときは、こんなプロジェクト(ふんばろう東日本プロジェクト)をやろうなんて、まったく思ってませんでした。
とにかく、やれることをやんなきゃと思って、バンを荷物いっぱいにして行ったんです。
被災地は南北400キロにも及んでいるわけだから、ふつうに考えたら、ものが足りてるなんてことあり得ない。
絶対、人が行ってないところがあるはずだ、と。
でも、それにしても、あまりにもすべてが、破壊されていました。
その場に降り立ったら、すぐに、言葉を失ってしまいました。
ふらふらと、被災地をさまよい歩いてる感じだったです。
でも、たまたま、現地の三浦さんという方と知り合いまして、
「大きな避難所はすでに物資が山積みになってるから、小さな避難所を案内するよ」と。
それが、4月1日のことだったんです』
被災地を自分の足で回り、目で見、肌で感じた彼は、自分の学問がこの混沌とした世界に役立てることに気がつきました。
『「ある特定の状況」のもとで「ある目的を達成する手段」のことを「方法」と呼びますが、
これって「例外」がないんです、定義上。
ようするに、考えればいいポイントはふたつしかない。
それは「状況」と「目的」です。
今はどういう状況で、何を目的にしてるのか。
今回の場合は「被災者支援」ですけれども、このふたつを見定めることで「方法」の有効性が決まってくるんです。
方法化して、ツイッターでつぶやいて、あるていどまとまったら、ブログに載せました。
そんなことを、ほとんど寝ないでやってたら、1時間に1000人ぐらい、フォロワーがどんどん増えてって。
次の日の昼にはもう、サイトが立ち上がっていたんです。
みんなが、方向性の分からないベクトルみたいなものを持っていて、手をつなぐ先を探してたんですよね、きっと』
西條氏が立ち上げた『ふんばろう東日本支援プロジェクト』のことをわたしが知ったのも、ツィッターでした。
見知らぬ人とネットを通じて知り合い、知り合った後も会えるかどうかも定かでなく、どうしてそんな人達を信用できるのか、家族や友人から問われたことがあります。
わたしはいつもそういう時に、答が浮かんできません。
でも、それぞれが持つ、方向性が分からないベクトルみたいなものが、自分のそれと合っている、という直感、
そして、もちろんバーチャルな世界の中での会話でも、続けているうちに、そこにその人の思いや人となりが透けて見えてきます。
阪神大震災の時にはなかった新しい世界が、この震災を新しい形に導いてくれるかもしれません。
きっかけがネットであれなんであれ、最後には人の手から手に渡されるところにつながっていくのだと思います。
さあ、わたしもまたがんばるぞ!
家電を被災地に送ろう!
↑このふたつのプロジェクトは、西條剛央氏(構造構成主義を体系化した日本の心理学者であり哲学者。早稲田大学大学院専任講師)が、次々に浮かび上がるアイディアをツィッターに流し、そこからのつながりによって立ち上げられたものです。
3月11日から30日までの間は、仙台にある実家がとりあえず無事だったということを確認し、教えることと書くことを続けておられたのですが、
16日にとうとう、被災地に向かうことを心の中で決められたそうです。
土地勘のあるお父様と一緒に向かった始めの被災地が、南三陸町でした。
以下は、糸井さんとの対談(ほぼ日刊イトイ新聞)からの抜粋です。
『そのときは、こんなプロジェクト(ふんばろう東日本プロジェクト)をやろうなんて、まったく思ってませんでした。
とにかく、やれることをやんなきゃと思って、バンを荷物いっぱいにして行ったんです。
被災地は南北400キロにも及んでいるわけだから、ふつうに考えたら、ものが足りてるなんてことあり得ない。
絶対、人が行ってないところがあるはずだ、と。
でも、それにしても、あまりにもすべてが、破壊されていました。
その場に降り立ったら、すぐに、言葉を失ってしまいました。
ふらふらと、被災地をさまよい歩いてる感じだったです。
でも、たまたま、現地の三浦さんという方と知り合いまして、
「大きな避難所はすでに物資が山積みになってるから、小さな避難所を案内するよ」と。
それが、4月1日のことだったんです』
被災地を自分の足で回り、目で見、肌で感じた彼は、自分の学問がこの混沌とした世界に役立てることに気がつきました。
『「ある特定の状況」のもとで「ある目的を達成する手段」のことを「方法」と呼びますが、
これって「例外」がないんです、定義上。
ようするに、考えればいいポイントはふたつしかない。
それは「状況」と「目的」です。
今はどういう状況で、何を目的にしてるのか。
今回の場合は「被災者支援」ですけれども、このふたつを見定めることで「方法」の有効性が決まってくるんです。
方法化して、ツイッターでつぶやいて、あるていどまとまったら、ブログに載せました。
そんなことを、ほとんど寝ないでやってたら、1時間に1000人ぐらい、フォロワーがどんどん増えてって。
次の日の昼にはもう、サイトが立ち上がっていたんです。
みんなが、方向性の分からないベクトルみたいなものを持っていて、手をつなぐ先を探してたんですよね、きっと』
西條氏が立ち上げた『ふんばろう東日本支援プロジェクト』のことをわたしが知ったのも、ツィッターでした。
見知らぬ人とネットを通じて知り合い、知り合った後も会えるかどうかも定かでなく、どうしてそんな人達を信用できるのか、家族や友人から問われたことがあります。
わたしはいつもそういう時に、答が浮かんできません。
でも、それぞれが持つ、方向性が分からないベクトルみたいなものが、自分のそれと合っている、という直感、
そして、もちろんバーチャルな世界の中での会話でも、続けているうちに、そこにその人の思いや人となりが透けて見えてきます。
阪神大震災の時にはなかった新しい世界が、この震災を新しい形に導いてくれるかもしれません。
きっかけがネットであれなんであれ、最後には人の手から手に渡されるところにつながっていくのだと思います。
さあ、わたしもまたがんばるぞ!