ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

やっぱり『海中凧』が、日本に一番だと思う!

2011年06月14日 | 日本とわたし


スウェーデンのMINESTOという会社が、ディープグリーンという名の、潮力発電プラントのための新しい製品を開発しました。

ディープグリーンは、潮の流れから電力を得るという、根本的に新しい原理に基づいています。
この製品による発電所は、とても緩やかな速度で動くにも関わらず、画期的な実績が得られるというユニークな能力のため、既に開発されているどの技術もが実現できなかった地域にでも、効果が期待できます。 

MINESTOは、全海洋エネルギーの潜在能力を発展させ、潮汐エネルギーによる新しいクリーンエネルギーの変革への歩みを提供しています。

技術の原則は、二段階の行程で説明することができます。

第一段階では、タービンに入力する相対的な流れの速度を増加させます。潮が上昇力を作成する翼に当たると、凧は鎖によって海底に取り付けられ、舵によって制御されているので、このように、8の字のような、美しい曲線を描きながらゆっくりと動きます。
この方法は実際の潮流の速度よりも、10倍もの速い流れをタービンに入力できます。

第二段階は、電力に運動エネルギーを変換する発電機を利用します。

最も大きな成果は、その力が、小さい物から得られ、拡大されたことにあります。

通常の企画サイズは、つなぎの鎖を含めてもわずか7トン。既に存在する、国内(スウェーデン)の風力発電と比較すると、エネルギー供給への元金回収は8ヶ月、海中凧では3週間で効果的な回収が可能です。 

電力生産の成果を確認するためのテストは、オランダの海で行われました。

(↑以上の説明文は、こういう部類のことにはてんで頭が回らない上に、翻訳が下手くそなわたしが、うんうん唸りながら、会社による製品説明を日本語に直しました。
なので、かなり???かもしれません。
でも、なんとかご理解のほど、よろしくお願いいたします!)




この写真をわたしは、毎日一回、うっとりと眺めます。
なんて美しい、静かで、荘厳なエネルギー施設でしょう。
このエネルギーの元となるのは、深い海の底を流れる潮です。
海上がどんなに荒れようと、深い海の中はいつもの姿を優雅に保っています。
この美しい凧が、日本をぐるりと囲んでいる様子を想像してみてください。
地上からの景観は全く変わりません。
音もしません。
ただただ静かに、永遠の印8を描きながら、ゆっくりと海の中を泳いでいる海中凧。

みなさんはどう思われますか?


 



たかが電気のたかが1000円のために

2011年06月14日 | 日本とわたし
たった一回の事故で、ここまでめちゃくちゃにされて、ほんまにぎょうさんの家族が、生活の拠り所を失うことになった。

「どんなおっきな地震がきても、津波がきても、絶対に大丈夫です!」

あんたらそう言うてたやんか。
どんなけ聞いても、いっつも、当たり前のような顔して、時にはムッとして、自信満々にそう言うてたやんか。

「いや、そんなこと言われてもねえ、あの地震と津波はおっき過ぎたんですわ」

それで済まそうとしてるんやな。
それで済む思てるんやな。
国は一緒にグルになってきてんから、今回のゴタゴタも、国がなんとかしてくれるわさって思てるんやな。

『もし原発施設を全部すべての原子力発電所が運転停止し、火力発電所が発電を代行した場合、
液化天然ガス(LNG)や石炭など、燃料調達費が増えるため、2012年度の毎月の標準家庭の電気料金が平均で1049円上昇し、6812円になる』


↑これ、日経に載ってた記事やねん。
読んですぐに、え?って思てん。
月1000円、今より安なる電気のための『原子力』やったん……て。
月1000円なんかクソやんか、なんて言うつもりは無いよ。
その1000円の違いが、めちゃくちゃ響く家庭もある。
うちがそやったからわかる。
でも、もともとその料金ってなんやの?
誰がどうやって決めてんの?
いったいどんなもんを足したり引いたりしてんの?
十年以上もポンコツになった

けど、核で電気を作ることが、これほど恐ろしいことやって知ってたら、知る機会が与えられてたら、隠されてなかったら、
「絶対に原子力電気はいらん!」と断ってたと思う。もっともっとずっと前に。
いくら貧乏でヒイヒイ言うてても、どうせケチって使てる電気やもん、1000円もの値上がりにならんように工夫してるはず。
それに、あの記事は、火力発電所が発電を一手に代行した場合の話やん。
送電線の自由化についての想定もされてへんやん。
1000円の値上げなんか、ほんの一時のことで、制度や発電手段が多様になったら、すぐに解決するはずやわ。
十年以上も前からポンコツになったまんまの、もんじゅとかいう原発を、廃炉にせんと使いたいからいうて、いったいなんぼ使てるん?
一日5500万円やで!5500万円!5500円ちゃうで!万がつくねんで!

ほんまに騙されてたんやなあ……。
可哀相やったなあ、わたしら……。
もっと可哀相なんは、騙された挙げ句に、事故の影響をまともに食ろてる人達や。
けど、可哀相でも、無責任でもあったかもしれん。
なんでかって、ほんまはおかしいと思ててんもん。
なんか変やと感じててんもん。
そのことを考えた時、ふとこみ上げてくるいや~な予感と心配を、こっそり仕舞い込んできてんもん。
ほんで祈った。どうかなんの事故も起こりませんようにって。
それって、原子力大好き派の人とおんなじやん。
そやし、あの人らのことだけを、無責任で人でなし!やとは言えへん思うねん。
けどな、やっぱり騙された方より騙した方があかん。
その罪の大きさは、本人が思てるよりはるかにデカい。

環境に優しいたら、クリーンたら、ようそんなデタラメを言い続けられてたな。
広告会社もマスコミも、あんたらいったいどこに目ぇついてるん?
ほんまに全然知らんかったん?
わたしは知ってたで。核のゴミのこと。兵器への捧げもんのこと。
自分のことに追われてめんどくさかったから、なんも言うてこんかってん。
今、そのことで腹立ってんねん。
恥ずかしいねん。
えらそうに、環境のこと、平和のことを、ちゃんと考えてる方の人間やって思いながら生きてきてたから。

たかが月1000円のために、たかが電気のために、なんぼほど危ない橋渡ってたん、わたしらは。
その橋もとうとうぶっ壊れた。
どないして直したらええのかもわからへんぐらいに。
そもそも、いっぺんぶっ壊れたら直せへんもんやってん。
それがわかってんからもうええやん。

核はいらん。核はもともとあったらあかんもんやってん。
電気作らんようになったら、核もちょっとずつやけど減っていくやん。
そしたら、そのゴミから兵器作ろと企んでる悪党らも、ちょっとは困って考え変えるかもしれんやん。

そやし、なあみんな、もっと一緒に通りに出て、一緒に歩かへん?
なんも言わんでもええやんか。
声張り上げんでもええやんか。
『核はいらん』て書いたちっちゃいカード持って歩かへん?
数がものを言うねん。
見た感じが大事やねん。
こないだの『脱原発』アクションかて、東京中の人が歩かはるんちゃうかと、ワクワクしてた。
何十万人っちゅう人が、なんかの形で参加しはるやろと思てた。
こっちでやったマンハッタンでの集会も、ここにいる日本人の数からいうて、少なくとも何百人っちゅう規模になるやろ思てた。
けど、実際にその日集まった日本人は30人くらい。50人にも届かんかった。後は、近くの原発を止めたいアメリカ人。

それでもがっかりなんかしてないよ。
こんなもんやと思うもん。
今の今まで、なんの意識も無かってんから。
そやし、頑張って続けなあかんと思う。
一回や二回で終わってたらあかんと思う。
心配することに飽きたらあかんのと同じように、世の中がいい方向に矛先を変えるまで、なんべんでもやらなあかんと思う。

えらいことになったわほんまに。
それがたった1000円のためやったやなんて……なんか、ちゃんちゃら可笑して、アホらし過ぎて、笑い泣きしそうやわ。

もの言わぬ小さな生き物が教えてくれること

2011年06月14日 | ひとりごと
昨日、早くに仕事が終わったので、ずっと気になっていたことを解決すべく、ホームセンターに向かった。

我が家のミニミニ菜園の、無事に生存してくれているお豆さん達が、いよいよ背が高くなってきた。
今までは、その辺に落ちている枯れ木の枝を突き刺して誤摩化していたが、日に日に伸びて間に合わなくなっていた。
それと、前からかなり楽しみにしているブルーベリーの実が、とうとう色づいてきたからだ。

鳥除けのネットを被せ、ホッと一安心。


むふふ、これであの連中もくちばしが届かないであろう。


ピーマンさんはほれ、こんなにおっきくなってきた。(ほんとは親指の半分ぐらいのおっきさしかない!)


ざあっといきなりの雨が降り、いきなり止んだ。
すが子さんちから引っ越してきてくれた白いあじさいが嬉しそうに咲いている。


お昼寝岩も。


ホームセンターで安売りしていた花。


洗い清めてもらって気持ち良さそうな緑。



一日を生きていて、事ある毎に、いつもふと思ってしまう。
日本のある地域ではもう、こんなことをしたり、考えたり、心配したり喜んだりできなくなった人達がいるんだなあと。
なんとなくやりたいことをやれるってことは、本当はものすごく恵まれていることだったんだなあと。
なんとなく歩いて、なんとなくお水を飲んで、なんとなくおかずを作って、なんとなくお風呂に入る。
当たり前だったなにもかもが、当たり前ではなくなるって、いったい全体、どれほどの大変さなのか、

わたしが子供だった頃、何回か、当たり前だったなにもかもがパンといきなり消え失せて、全く新しい世界に生きなければならなかったことがある。
けれども、少なくとも水は普通に安全で、空気にも恐ろしい放射能などは混ざっていなかった。
気持ちを強く持って、頑張って生きてさえいれば、いつかなんとかなる未来がちゃんと見えていた。

もの言わぬ小さな生き物を前にすると、心がしんと静まり、自分が自分を見ようとする。