ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

カーネギーホールの舞台に再び立つ喜び

2011年06月18日 | 音楽とわたし
10月に開催される、ACMAのカーネギーコンサートのための、第一回目のディレクター会議があった。
今日からここ、セント・ルークス・オーケストラのビルディングの会議室が借りられることになった。


階段を上がり、会議室にこもること3時間、ニューヨーカーの超~早口英語に加え、メンバーが皆切れ者ぞろいなので、わたしの脳みそはいつも、へとへとに疲れる。


やっと開放されて、旦那の待つチャイナタウンに向かう。
やっぱこのビルを目にすると、ついつい。


カナウ・ストリートを歩いていると、三角のでっかいビルが目の前に。


人間ウォッチングを楽しめそうなバーに寄り、ちょっと一息。




オレンジおじさん発見。


散歩にブラブラ歩いたトライベッカの風景を少し。


植え込みに、落とし穴みたいなおっきな穴が空いていた。奥には水が流れている。
旦那に教えてもらわなかったら多分……くわばらくわばら……。


今日は幸運にも、ホランド・トンネルのすぐ近くの路上に、車を停めることができた旦那。
さあ帰ろうかと思ったが、目の前のこの状況を見て考えを変えた。


なぜかシュレッダーのゴミ袋が破られていて、歩道に散らばっていた。ほんと、ここはなんでもアリ!


歩き疲れたので、またちょっと休憩。


だんだんと暮れていく街。この時間のマンハッタンがけっこう好きでもある。


さて、コンサートについての、事務的なことはすべて片づいた。
まだまだ先などと油断している間に、時間は容赦なく過ぎていく。
そろそろ本気で練習を始めないと。
もう若くはない。無茶はきかないし、時間もかかる。
舞台の上で後悔しなくてもいいだけの、訓練と研究と勉強と練習。
またまた胸がワクワクしてきた。

あと二時間しかありませんが、『総理・国民のオープン対話』が始まります!

2011年06月18日 | 日本とわたし
以下は、枝廣淳子氏(環境ジャーナリスト)のニュースレターからの抜粋です。

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6月12日日曜日の午後、総理官邸にて、自然エネルギーに関する「総理・有識者によるオープン懇談会」が開催されました。

これは、菅直人内閣総理大臣への自然エネルギーの普及を要望する声に応えるかたちで開催が決まったもので、
元サッカー日本代表監督の岡田武史氏、ミュージシャンの坂本龍一氏、ソフトバンク社長の孫正義氏、ap bank代表理事の小林武史氏、そして私の5人が参加し、
政府側からは菅総理のほか、福山哲郎官房副長官、田坂広志官房参与が出席されました。

予定の1時間半を大きく上回り、2時間にわたって率直な意見交換をしました。

この懇談会の大きな特徴は、すべて「オープン」だったことです。
インターネットを通じて動画で中継され、ツイッターでコメントや質問を受けつけることにより、
関心あるすべての人々とメディアがリアルタイムで参加できるという、画期的な試みでした。

懇談会のようすは、現在も政府のインターネットテレビで観られます。

当日から昨日まで、映像をみた人の数は約12万人に達しているそうです。
また、オープン懇談会をベースに、ツイッターやフェイスブック、ブログなどでも、
自然エネルギーや政治・民主主義のあり方などについて熱心な議論が展開されているようで、うれしく思っています。

冒頭、菅総理はこのように挨拶されました。

「我が国はエネルギー基本計画を3年おきに決めています。
原発事故が起こる前は、2030年までに原子力は53%、自然エネは20%にする計画になっていましたが、
今回の事故を受けて、私はエネルギー基本計画を白紙から見直す、と申し上げました。

『2030年までに再生可能エネルギーの割合を20%に』だった計画を『2020年代のできるだけ早い時期に20%達成』とすることを先のG8サミットで発表しました。
これは、総理という立場でやらなくてはいけないと思っているのと同時に、この課題には関心があるので、生きている限りしっかり取り組んでいきたいと思っています」

その後、5人の参加者から5分ずつ、主に自然エネルギーの普及についての提言や意見表明がありました。

五十音順により、トップバッターだった私は、このようなお話をしました。
資料はこちらにアップしてあります。

*******************ここまで引用******************************

これを受けて、今日(19日・日)に再び、管総理などが、ツイッターからの質問に答える放送があるとのことです。
直接、質問をする機会です。
いろいろな思惑が管にはあるのでしょうが、脱原発の追い風をつくる機会にもなります。
また、このような、総理と市民とのオープンな意見交換の場所ができるというのも、今までなかったことだと思います。

~~~~~~~~~~~~~ここからご案内~~~~~~~~~~~~~~~~~~

自然エネルギーに関す「総理・国民オープン対話」

1.開催趣旨

6月12日(日)に、官邸に5人の有識者をお招きして開催された「自然エネルギーに関する総理・有識者オープン懇談会」は、
ネット動画中継を通じて、延べ15万人を超える方々が視聴され、ツイッターを通じて1万5千を超えるコメントや質問を頂きました。
この結果を踏まえ、今週末、6月19日(日)に、官邸にて「自然エネルギーに関する総理・国民オープン対話」を開催いたします。

これは、前回の「オープン懇談会」の最中に、ツイッターで投げかけられた主な質問を取り上げ、
総理が直接にコメントや回答を述べることを通じて、多くの国民の方々との対話を試みるものです。

また、同時に、全国各地でグループで会場に集まり、この「オープン対話」に視聴参加される方々とは、
動画中継を使って会場と官邸を結び、メッセージの交換をさせて頂きます。

今回の「オープン対話」も、前回の「オープン懇談会」と同様、ネットを通じてすべての動画中継を行い、
ツイッターを通じて、コメントや質問をお受けいたします。

6月12日に引き続き、多くの方々に参加して頂ければ、幸いです。

なお、6月12日の「オープン懇談会」は、政府インターネットテレビから、そのすべての動画がご覧になれます。

また、今回の対話の中でも、12日の懇談会の一部を映像で振り返ります。


2.日時 2011年6月19(日) 14:00-16:00

3.場所  官邸4階大会議室

4.会場側 参加者

・菅 直人 内閣総理大臣
・福山哲郎 内閣官房副長官
・田坂広志 内閣官房参与
[司会]藤沢久美 シンクタンク・ソフィアバンク 副代表

5.その他

*オープン対話での議論に対しては、ツイッターの次のハッシュタグによって、コメント参加をすることができます。(コメント用 #openkonc)
*同様に、次のハッシュタグを使って、質問することができます。(質問用 #openkonq)
*また、専門家、メディアの方は、次のハッシュタグを使って、質問して下さい。(#openkonm 職業と氏名を明記の上ご質問ください)
*時間の制約上、頂いた質問の全てに対して、対話の中でお答えすることは困難な場合があります。ご了承ください。

~~~~~~~~~~~~~ご案内ここまで~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「原発にさようなら集会」&「原発にさようなら1000万人署名」の記者会見より

2011年06月18日 | 日本とわたし
鎌田慧さん、澤地久枝さん、内橋克人さんが、脱原発に向けた思いを訴え、行動を提起。

澤地久枝氏の挨拶より抜粋。

『政府や、原子力安全・保安院の発表は、一日一日と変わりましたね。
はっきりとした数字も見せません。つまり私たちは、知る権利があるのに、知らされていない状態に、放置されていたのです。

政権が交代するのかどうかわかりません。
国会では「政治ごっこ」をしています。
この事態に対して具体的な手を打てる、一人の政治家もいないのです。
それなら、いまこそ衆智を集めなければならないと思うのです。
その時に誰が首相かは、二の次だと思うのです。
勇気を持て、やれる人を、私たちは首相として選びたいのです。
菅さんを変えなければならない理由はありませんが、新聞やテレビを見ているとその話ばかりです。
 
そうした事態の中で、自分に何ができるのかを考えました。
私一人の力は本当に小さいけれども、原発はいやだという気持ち、危ない物を持ってしまったことが世界に対して恥ずかしい気持ちがあります。
なぜなら、広島・長崎があり、第五福竜丸があり、東海村のJCO事故があり、日本は他の国にはない被爆の歴史を背負っているのです。

署名に際しては、自分の意思で名前を書ける人は、年齢制限は必要ないと思います。
ハンディキャップを持っていて自筆で書けない人は、そのむね記して誰かが代筆する。
そうした幅の広い署名をやっていきたいと思います。
最初は18歳以上とか、20歳以上とか、有権者とか、年齢制限を考えたのです。
でもいま関心を持っているのは、子どもたちも同じです。
ですから年齢制限なしで、自筆の署名を1000万人集めます。
 
この事故は、日本だけの問題では済みません。
海には仕切りはありません。
空気にも仕切りはありません。
ですから、朝鮮半島や、アメリカ西海岸や、台湾で、福島原発の事故による放射能被害が出ているのです。
地球に対する致命傷になるようなマイナスなことを、日本はやってしまったのです。
私は恥じたいと思います。
恥じるだけでなく、行動に移したいと思います』


内橋克人氏の挨拶より抜粋。

『子どもさんを二人も持っている若いお母さんが、例えば、「島根原発で事故があった場合に、私たちに宍道湖を泳いで逃げろというのか」と、本当に胸詰まる質問を発するのです。
そうすると、原子力安全委員会の委員長が議長をしておりましたけれども、一切無視したのです。
「私たちはあなた方の話を聞くだけだ」、「私たちは意見を述べない」という、こういう態度、これを終始貫いたのです。
ついに通産省の方は、次の発言者をうながす。
こういう事態を、長い時間をかけて取材をし、発見いたしました。

市民の漠然とした不安。
生きている人間が、生体、生きている身体として、ごく自然に、どっかやっぱり不安なのではないでしょうか。
科学者はそういう風に言うけれども、技術者はそういう風に言うけれども、不安ではないか、漠とした不安というものを持つ。
それを一切、考慮することない。
そういう漠然とした不安こそが、実はこれからの、21世紀のリスク社会といわれる世の中で、最も大事な平衡感覚なのです。
それを全て無視してしまって、果たして、本当に安全な技術開発、人間の幸せにつながる技術開発はあるかと、そういう疑問をどんどんどんどん含めてきたわけです。
そういう意味では私は、原子力発電に対する疑問を、30年前に一つの形として、既にまとめているわけです。その中で、「合意なき国策」です』


鎌田慧氏の挨拶。

『いま原発のある地域は、全部、反対運動のあった地域です。
反対運動があったけれども、潰されてきた地域なのです。
お金で潰された地域です。
僕は全てまわってきましたが、全部お金で潰されているのです。
買収されています。
電力会社が、何でも寄付し、お金で買ってあげてしまう。
それは電力料金にそのまま加算されていますから、ものすごいお金をばら撒くということなのです。
 
電源三法で、原発を1基作りますと、最初の建設までの10年間で500億円、稼働してから10年間で400数十億円、20年間で1000億円が入るのです。
建設でも5000億円くらいのお金が入りますから、膨大なお金が、地域に流れ込んでいくのです。
 
ですから反対運動も、なかなか成立しません。
いまでも、ほんの少数の人たちが残っていますが、ほとんどが負けてしまっています。
反対すると、「お金を返せ」と言われるのではないかという話もあります。
原発は、アン・モラル、非道徳な存在です。
全てをお金で解決してきたのです』
 
原発体制として、国・官僚・政治家・学者・マスコミ・裁判所が一体化して、頭の上に乗っていました。
それがいま、不幸なことですが事故が起きて、それがはじけて、語りやすくなったのです。
そういう時に、大きな運動で、押し返していく、そのチャンスなのです。
なんとか署名と、集会を、やり遂げていきたいと思います。
ヨーロッパに負けないような、大きな力を発揮したいと思います。

百箇日を迎えて

2011年06月18日 | 日本とわたし
今日が百日目、百箇日。
百箇日は卒哭忌(そっこくき)ともいわれ、「哭」は声をあげて泣きさけぶ、「卒」は終わる、という意味。
故人を思い、泣き悲しんでいた親族や近親者たちも、泣くことをやめる頃、それが百箇日を迎える頃やっちゅうんで、卒哭忌て言われるようになったんやて。

3月11日、パソコンのモニターに映し出された、あの世にも恐ろしい地震と津波の映像を見つめながら、呆然と座ることもできんと立ちすくんでた。
広島のひとりの中学生君のおかげで、遠く離れたわたしの所にも、状況を伝えるNHKの映像を、インターネットを通して見ることができた。

あの日から、もう100日が経ってん。
片づいたとこ、そのまんまのとこ、
世話が行き届いてるとこ、放っとかれっぱなしのとこ、置きっ放しにされてる御遺体、
ちょっとはお金が渡された人、渡されてるどころか、今までもろてた保護まで止められてしもた人、
助かったのに、飼い主と引き離されて、食べもんも飲みもんももらえんと、ガリガリになって死んでってる動物、
原発があっけなく壊れて、ものすごい量の放射能が飛び散ったのに、それをなんも教えてもらわんかったから、
困ってる人を助けようと必死で頑張った子、お手伝いしとうてお水をもらいに並んだ子、はぐれてしもた家族を歩き回って探した子、
みんなみんな、めちゃくちゃな量の放射線が、外側からも内側からも突き刺さってしもたやんか!

あの日、せめて翌日、百歩譲って翌々日に、
国がさっさと、きびきびと、賢う対処して、人任せにせんと、自らがいろんな情報を得る努力をしてたら……。

こらあかん、えらいこっちゃ、危ないがな!
どうのこうの言うてる時ちゃうがな!
原発のことはわしらには手に負えん。
国家危機宣言出すから、世界中から知識のあるもん、適切な作業ができるもん集めて、なんとかしてもろてくれ!
そのかわり、わしらは、国の宝もんを守ることに専念させてもらう。
まずは、まああそこまで過敏にならんでもよかったなあって、後から笑うようなことになってもええから、
とにかく放射能の影響がちょっとでも出そうなとこに居る国民を、最善の手を尽くして移動させなあかん!
そうや、それと同時に、子供や子供!ヨウ素剤をかき集めてきてくれ!
今飲ませとかなあかん!タイミングが遅れてもたら意味あらへん!

……あれからもう100日も経って、2400時間も経ったのに、
その間、いったいなにしたん?
国民のためになにしたん?

動ける人いっぱいおるやん。
選挙の時やったらあんだけ町中に立って、それはもうしつっこいほど握手しに来んのに、
放射能がどんだけあるんか、それがどんな影響を及ぼすんか、そやから人がどないしたらええんか、
マジでほんまに、なんもまともなことしてへんのとちゃう?

この100日の間、毎日朝から晩まで、心配しながら暮らしてる大勢の人が居て、
それを集団ヒステリーやとか、過敏症やとか言うたり、
みんなが食べてるのに、自分だけお弁当イヤや思わせたり、
自分とこの土地が汚染されてるのかされてないのか、ちょっとの汚染でもやっぱりあかんのか、
それだけでも知りたいから調べて欲しい!言うても無視されたり、

それもこれもみんな、無視と無行動を決めてかかってる国のせいやん。

こんなかっこ悪い、ええ加減な国やとは思てなんだわ。
いや、それだけやない、ウソを平気で垂れ流せる学者やら自治体の長やらまで使て、「安心、大丈夫、もっと元気、頭が良うなる」、
それからなんやったっけ、ああそうそう、「ただちに影響は出えへん」、やったな。
まあ、確かにただちにはウソやない。元弁護士やってただけあるわ。後で突っ込まれた時に言い訳しやすい便利な日本語やし。

弁護士で思い出したわ。検察って、こういう時こそ実力の見せ所とちゃうん?
公務執行拒否やで!
しかも100日もそれ続けてるねんで!
公務執行拒否は職務拒否やんな。
それも、わたしらみたいな個人的なもんと違て、国を背中に背負ってる人間が、その職務をちゃんと果たしてないねんで!
これって刑事ちゃうん?
こんなデカイ犯罪、なんでなんもせんと見逃してるん?

大事な時こそのあんたらやのに、まるっぽ人任せにして、それでこれからも日本の国背負ってまんねんて顔して生きていけるん?
なんちゅうあほんだらばっかやねん。

百箇日に、しみじみと情けななったわ。
あの日、原発の電源と一緒くたに流されてしまいはった何万もの命も、
せっかく生き残ってくれた家族や動物を、大事に世話してきた土を、ほんで、愛して止まんかった美しい故郷の町や村や山を、
国が放ったらかしにして、今だに辛い毎日を強いてるばかりか、放射能漬けにしてること、
「悔しいて腹立たしいてかなんわ」言うて泣いてはるわ。

こんなこと、ここでブツブツつぶやいたかて、しょうがないことはわかってるよ。
けどな、それでも言わんでいられへん。
こんなひどいことになってしもた責任が、日本で大人として生きてた自分にもあるから。
それをちゃんと悔やんで、反省して、それから後はもう前や前!前に足を一歩でも半歩でも進めなあかん。

次の百日は、もうおんなじような調子にはいかんで。
さすがに目ぇ覚めたからな。
素人やからってなめてたらあかんで。
目覚めた素人ほど厄介なもんはあらへんねから。

米国カミナリさんの置き土産事情

2011年06月18日 | 米国○○事情
昨日の夜中から、ド派手に光ってはドンドンガラガラとうるさかったカミナリさん。
どうしたわけか、すっかり居座って、あんなことしたりこんなことしたり、好きなように遊んでた。

時間にして、どれも数十分。
ピャ~ッと晴れたかと思ったら、いきなりザワザワッと風が吹き、ぶっとい雨粒を落としまくりながらドンドンガラガラ!


畑の溝が川になってる!


こんな調子で夕方になり、車で出かけようと外に出た息子から電話がかかってきた。
「えらいことになってるで!」
カメラを手に外に飛び出てみたら、向こうに見えるはうちの車ではないか?!おのれ息子!あの水たまりを走りよったな!


空き地を挟んだお隣のアンドレの家の周りが水浸し。うちは辛うじてセーフ。なんちゅうヤバいとこに住んどんねんわたし?!


あっという間にパトカーがやってきて、当然のごとく規制開始。旦那はよその様子を尋ねている。


うちから一筋向こうのトーマス通りもこの状態。奥のお兄さん、やけくそなのか楽し気なのか微妙……。


電車の駅辺りがすごいことになってるよ、という情報を得て、そちらに向かう。
いつもはの~んびり流れている用水路が激変していた。


そして、我が家から徒歩5分のところにある駅の周り。どっひぇ~……。


とりあえず、本日はようやく気が済んだらしい。


なんてのんきに近所の写真を撮っている場合ではなかった。
これだけの雨が地面からしみ込んでいるのだ。地下室調べにゃ~!


この二年間で最高の水かさ。でもまあ、これぐらいならすぐに引いて無くなると旦那が言う。

雨でボトボトになった通りを散歩する。


カミナリさんの力作。


用水路が激しく流れていくのを、写真に撮ろうと熱心に歩き回っているわたしに、旦那が厳しく叱った。
「なんで?この様子ならまだ大変なことにはならへんやん」
「水があふれるのを心配してるのとちゃう。今まうみが立ってるそのアスファルトが崩れてしもたらどないするねん?」
「そんなん……こんなごっついのん、崩れるわけないやん」
「そういう奢りが事故に巻き込まれる原因!この水の流れにつかまったら絶対に死ぬのはわかってるやろ」
「もちろんわかってるけど、このアスファルトが崩れへんのもわかってる」
「つける薬無いな……」

意地になって言い返しながら、わたしは心の中でものすごく反省していた。
きっとわたしのような者は、あの大津波のような災害が起こった時に、一番に呑み込まれているに違いないと。
変な自信と危機感の無さ。運がいいと信じ過ぎている奢り。
こんなこっちゃあかんなと、心の中で、旦那と、あの日あらゆる手段を使って必死に逃げたのに、間に合わずに亡くなってしまった人達に謝った。