天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

カテゴリは事柄の性質を区分する上での最も基本的な分類のことで、それが正しく表示されるなら細分化も必要

2010-08-24 23:10:08 | 日記
今日の日記は、categoryに関する私の意見及び回答書です。
私見『甥っ子たちを分類仕分categoryで「家族」と整理している某ブログ管理人は、独自の集団教義により、日本語の「家族」を、英語の”family”(ファミリー)と同義であると拡大解釈して、彼女の親族全員を彼女の”family”「家族」と看做している』に対する反論が、ネット掲示板と私のコメント欄にありました。それに対して真摯にお答えします。以下に、その二つの問題文を掲載します。
・コメント・『Unknown (Unknown) 2010-08-23 23:48:16 甥っ子→親族→カテゴリとして家族のいったいどこがおかしいのでしょうか。画像の盗用をしてまでこじつけようにも完全に破綻しています。』
・投稿客A・『「家族」ってカテゴリーと別に「親族」をつくっていくと、どんどん細分化されてわかりにくくなるだけなんだよな。○○さんは実務のできないサラリーマンのようですね。』
・(反論1)Unknown の論理『甥っ子→親族→カテゴリとして家族』は、事柄の性質を区分する分類になっていない・・・
Unknownはこのcategoryという用語を明確に正しく把握していません。この言葉は、電子辞典Wikipediaによれば、『カテゴリ(独: Kategorie、英: Category、仏: Catégorie)は、事柄の性質を区分する上でのもっとも基本的な分類のことである。』です。だから、事柄の性質を区分を曖昧しては、その分類を行った事には決してなりません。
まず、「甥っ子」は「家族」の一員には入らないから、その事柄の性質を正しく表現した事になりません。だから、その事柄の性質を正しく表現している「親族」が正しいと、私は自身の日記で強く主張したのです。
また、「家族」よりもっと範囲を広げた「近親者」の表現なら、まだ大きく間違っていなかったでしょう。以下に、近親者の言葉の意味を掲載します。『「近親者」とは、配偶者、父母、兄弟、姉妹、祖父母、子、孫をいい、配偶者の父母、兄弟、姉妹、祖父母が含まれる。また、兄弟、姉妹、子、孫の配偶者も含まれる。』(平成18年6月6日企業会計基準委員会作成 企業会計基準公開草案第14号:関連当事者の開示に関する会計基準(案)より)
・(反論2)投稿客Aの論理『「家族」とは別に「親族」をつくっていくと、どんどん細分化されてわかりにくくなる』はブログ管理人の現状の分類処理を正しく把握していない・・・
投稿客Aには、現状のブログ管理人の劇場演技者女性投稿文の分類処理をよく見てほしい。細分化、重複化しているのはここのブログ管理人です。この管理人の今までの分類処理で、私が疑問を持っている分類項目を、以下に具体的に指摘します。
・<1>ボディ&ヘアケア(34)と体調(4)の違い?:ケアとは「注意 用心 心づかい 配慮 世話すること 介護や看護」です。関連ある項目を、管理人はあえて区分しています。
・<2>食べ物(138)と食事(1)の違い?:まったく同一もしくは類似に見えるが、管理人はあえて区分している。食事とは食べ物を食う行為と、管理人が考えているなら該当するのは1項目だけでない。
・<3>ファッション(1)とショッピング(5)の違い?:ショッピングで購入した着物の投稿を、管理人はファッションのカテゴリに入れて、より細分している。
・<4>風景(6)と観光(20)の違い?:観光で訪れた土地の風景を、風景のカテゴリに入れている。
・<5>劇場(7)と楽屋(23)の違い?:この楽屋の項目は、劇場のカテゴリをより細分化したものと考えられる。しかし、その線引きはとても曖昧です。
以上、こんな事はまったく些細なことですが、私への不当な非難ですので、真摯に説明しました。
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松竹『家族』家族観と違い米映画『ゴッドファーザー』マーロンブランドは家族を大切にしない奴は男じゃない

2010-08-23 22:26:02 | 日記
今日の日記は、松竹映画『家族』「1970年製作 山田洋次監督 倍賞千恵子(風見民子:精一の妻)井川比佐志(風見精一:源造の長男)木下剛志(風見剛:夫婦の子供)瀬尾千亜紀(風見早苗:夫婦の子供)笠智衆(風見源造:精一の父親)主演」のこと・その5です。
以下に、その名作映画『家族』で山田洋次監督で訴えたかった家族とは何か?を私見として具体的に述べます(その5)。
・(5)男と女が結婚して、一つ屋根の下で二人が暮らして、一つの家族が誕生--長崎県の離島・伊王島から北海道標津郡中標津町へ移住を決意した風見家の夫婦、風見精一(井川比佐志)と民子(倍賞千恵子)は、伊王島のキリスト教会で結婚式をあげています。その移住旅行の最中、妻の倍賞千恵子は、昔の二人が夫婦になるまでの思い出を回想しています。その彼女が回想した場面は、夫婦になった井川比佐志と倍賞千恵子の二人が、いつも登場してくるだけです。唯一の例外として、夫の父親である風見源造(笠智衆)を訪問して、倍賞千恵子が三つ指を付いて挨拶した対面シーンだけです。この親子になった対面も、笠智衆が風見家の家族の一員だと、映画の観客に知らしめる為、山田洋次監督がわざわざ挿入したエピソードです。
山田洋次監督は、新たな家族の誕生を、男と女が結婚して一つ屋根の下で、二人が暮らし始めることと思っているでしょう。だから、新たな家族を描く時、それに直接関係しない人物にはまったく触れる必要はないと考えて、このような回想シーンを自己の映画で表現したと、私は思っています。
その一方、松竹映画『家族』が公開されて2年後に製作されたアメリカ映画『ゴッドファーザー』( フランシス・フォード・コッポラ監督 マーロン・ブランド アル・パチーノ ジェームズ・カーン主演)では、描かれた家族(ファミリー)の捉えかたがまったく違います。
その象徴的な映画のシーンは、冒頭のマーロン・ブランドの娘の結婚式(添付した写真を参照)です。この結婚式には、マーロン・ブランドの親族や彼の同志のすべてが出席し、その家族(ファミリー)の結束を誇示しています。さらに、マーロン・ブランドは自分のファミリーを大家族と看做して、『家族を大切にしない奴は男じゃない』を豪語し、その集団を庇護することを自らの信条としています。
この鉄の結束で結ばれた家族(ファミリー)思想と同じ教義を持つのが、某劇場演技者女性のブログ管理人です。だから、彼は、家族を英語の”family”(ファミリー)と同義であると拡大解釈して、彼女の親族全員を彼女の”family”『家族』と看做しているです。彼の論理によれば、甥っ子も当然の如く家族(ファミリー)になります。
コメント (1)
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映画『家族』あんまん売店前で物欲しそうな顔をし食べ物を貰った孫に祖父笠智衆は「お前はコジキじゃなか」

2010-08-22 23:15:09 | 日記
今日の続々編日記も、松竹映画『家族』「1970年製作 山田洋次監督 倍賞千恵子(風見民子:精一の妻)井川比佐志(風見精一:源造の長男)木下剛志(風見剛:夫婦の子供)瀬尾千亜紀(風見早苗:夫婦の子供)笠智衆(風見源造:精一の父親)主演」のこと・その4です。
以下に、その名作映画『家族』で山田洋次監督で訴えたかった家族とは何か?を私見として具体的に述べます(その4)。
・(4)祖父や親の生き様は子供、孫に引き継がれる--長崎県の離島・伊王島から北海道標津郡中標津町へ移住を決意した風見家の4人が、やっとの思いでまだ残雪が残る目的地に到着しました。次の夜、家族は地元の人々から歓待をうけ、父源蔵(笠智衆)は彼の生まれた九州の炭坑節を歌い上機嫌な気分になります。そして、とても満足した源蔵はその日、可愛いい孫の剛(木下剛志)と一緒に布団に入って寝込みます。その一緒に寝ている息子を移そうと寝室に入った嫁の民子(倍賞千恵子)は、息を引き取ってしまった隣の義父源蔵を見つけます。とても安らかな死に顔でした。
伊王島を出発した5人家族は、その最終目的を果たした時、2人減って3人家族になってしまったです。でも、残った家族は地元の人々の温かい応援と新しい家族の誕生に恵まれて、その北の新天地で、力強く着実に生活を始めます。そして、死んだ祖父源蔵との旅での思い出を、孫の剛は一生忘れないでしょう。孫の剛は、旅の途中で、上野動物園にあった「あんまん井村屋」の売店前で、物欲しそうな顔をしたので、売り子の若い女性が哀れんで、ただでそのあんまんを貰ってしまいました。その手にした食べ物を発見した祖父笠智衆は孫に『おまえはコジキじゃなか!』と言って、その代金を渡して売店に持って行くように諭しています。この祖父との思い出を、孫は決して忘れないでしょう。だから、親や祖父が死んでも、その生き様はその家族の一員であった子供、孫に引き継がれるのです。
そして、添付した写真は、今私が読んでいる、本人の米寿記念で出版された自伝『あるがままに』(著者:笠智衆ほか1992年世界文化社刊)の表紙です。
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映画『家族』失意の倍賞千恵子に春川ますみは「こんな小さな骨壷に、何だかうちが殺したような気がして」と

2010-08-22 21:16:25 | 日記
今日の続々編日記も、松竹映画『家族』「1970年製作 山田洋次監督 倍賞千恵子(風見民子:精一の妻)井川比佐志(風見精一:源造の長男)木下剛志(風見剛:夫婦の子供)瀬尾千亜紀(風見早苗:夫婦の子供)笠智衆(風見源造:精一の父親)主演」のこと・その3です。
以下に、その名作映画『家族』で山田洋次監督で訴えたかった家族とは何か?を私見として具体的に述べます(その3)。
・(3)死んだ我が子は永遠に家族の一員--長崎県の離島・伊王島から北海道標津郡中標津町へ移住を決意した風見家の長女、まだ赤子の早苗(子役・瀬尾千亜紀)が、旅の途中の上野に着いて体の容態が急変し、旅行の予定を変更して家族は近くの旅館に泊まります。夫婦はやっとの思いで捜し当てた救急病院に馳け込みますが、すでに手遅れであっけなく早苗は死んでしまいます。哀しみの葬儀を終えて、家族4人はすぐに目的地へ出発します。そして、北海道の根室本線の車中で、なれない長旅の心労と愛児を死なしてしまった罪悪感や亡くした哀しみに沈み込み、白い布で包まれた小さな骨壷を膝に抱く民子は、またたま隣の席に座った地元の女性(春川ますみ:添付した写真は3年前に別の映画出演した時のシ一ーン)とお互いにその身内話をし始めます。そして、春川ますみは、失意の倍賞千恵子に、
『ほんとに気の毒だね。あんたもどんなに辛かっただろうね。私もね、子供を亡くしているのよ。生きている時は泣いているばっかしで、手の掛かる子で、こんな喧しい子おらんようになったら、どんなにさっぱりとして、身持ちがいいだろうと思ったけど。死んでみて、こんな小さな骨壷に!何だか・・(突然泣き出して)うちが殺したような気がして・・(嗚咽を上げて泣きじゃくる)』と子供を産んだことのある女性にしか分からない気持ちを吐露しています。とても感動的な名シーンです。
この女優・春川ますみは、元某劇場演技者だった女性です。だから、管理人がブログ管理している女性の大先輩の女性です。やはり、ここの管理人はこの映画を是非観るべきです。
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映画『家族』で父親笠智衆は同居を断った次男前田吟に 「ひょっとするともう会えんかもしれんばい」と語る

2010-08-22 14:34:55 | 日記
今日の続編日記も、松竹映画『家族』「1970年製作 山田洋次監督 倍賞千恵子(風見民子:精一の妻)井川比佐志(風見精一:源造の長男)木下剛志(風見剛:夫婦の子供)瀬尾千亜紀(風見早苗:夫婦の子供)笠智衆(風見源造:精一の父親)主演」のこと・その2です。
以下に、その名作映画『家族』で山田洋次監督で訴えたかった家族とは何か?を私見として具体的に述べます(その2)。
・(2)家族は歳月を経て離散・集合の再編成がなされる--長崎県の離島・伊王島から北海道標津郡中標津町へ移住を決意した風見家の精一の父親(笠智衆)は、広島県福山市に住む自分の次男(前田吟)の家に移るとその自らの処遇を明らかにしていました。だから、5人家族は、その旅の途中に次男夫婦が住む福山市に立ち寄ります。添付した写真は、その映画での団欒風景です。左から次男の妻、長男(井川比佐志)次男(前田吟)長男の妻(倍賞千恵子)長男の子供(頭だけ)、父親(笠智衆の頭半分)の6人です。
でも、次男(前田吟)は長男(井川比佐志)の北海道への移住計画は軽率だったと、非難します。そして、自分の家庭の経済状況はとても苦しくて父親の面倒を見る余裕がないと、暗に長男夫婦に匂わしています。その経緯を脇で聞いていた父親(笠智衆)は、かって炭鉱夫だった自分をその二人の子供が帰り道で待ち受け、一緒に楽しく我が家に帰った自分の家族の思い出の夢をを、その日泊まった次男夫婦の部屋で見ます。
家族は歳月を経れば、その一員の離散もあれば集合も(再編成)あると、山田洋次監督は映画で静かに語っているのです。そして、義父思いの長男の妻(倍賞千恵子)は翌日起きてから、父親も北海道標津郡中標津町へ連れていくと次男(前田吟)に伝えます。
さらに、その出発の福山駅で父親(笠智衆)は、自分との同居を断った次男(前田吟)に、
『お前も元気でな ひょっとするともう会えんかもしれんばい』との別離の言葉をかけています。
家族は、『居住を共にすることによって、ひとつのまとまりを形成した親族集団』(引用:百科事典Wikipediaより)または『夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団。近代家族では、夫婦とその未婚の子からなる核家族が一般的形態。』(引用:大辞泉より)のことを、はっきりと証明した映画の一シーンです。
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