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イングランド王チャールズ2世愛妾 オルタンス

2009-06-12 01:01:55 | 王の寵姫・愛妾
伯父の判断ミスに泣いた
マザラン公夫人 オルタンス・マンチーニ


1646~1699/愛妾 1676

オルタンスは、ルイ14世の治世で絶対王政を確立したことで有名な
枢機卿マザランの姪にあたります。
5人姉妹で皆とても美しくかったので、伯父の力もあってそれぞれ名家に嫁いでいます。

チャールズは亡命時代にオルタンスに求婚したんですが、伯父マザランは
イングランド王になれないかもしれないし…などと思って断ってしまいました。
しかしこれはとんでもないミスで、わずか1ヶ月後に王政復古でチャールズが即位します。
マザランは即50,000リーブルの持参金付きで話しを持ち出したのですが
チャールズ2世はこれを拒否しました。 そりゃそうだろうね。

オルタンスにはルイ14世のいとこサヴォイ公やロレーヌ公からの求婚もありましたが
持参金になる領土の件で折り合わず、結局15歳の時に大富豪メラユイエと結婚しました。

       

メラユイエはマザラン公という爵位を手に入れたわけです。
しかし結婚生活はまったくうまくいきませんでした、というか最悪

オルタンスより14歳年上の夫はしみったれで嫉妬深く、奇妙な考えの持ち主でした。
たとえば性的だからといって乳搾りを禁止したり、ローマの彫像の性器を切り落としたり
女中たちが誘惑されないようにと前歯を折って醜くしたりという
ちょっと軌道を逸した性的思考っていうんですかね? 気持ち悪い人ですね

そんな人の妻が若くて美しくて人気者ときてるんですから、嫉妬も普通ではありません。
男性に会うことを禁じたり、田舎の屋敷に軟禁したり、女中に尾行させたり
15歳の少女ならますます反抗しそうな手をうちます。

オルタンスは「それなら!」とばかりにレズビアンに走り、最後には閉じ込められていた
修道院から脱走してローマにいる姉のコロナ公妃マリアのもとに逃げ込みました。

ルイ14世は彼女の保護者になると公言して年金と邸宅を与えました。
負けじとサヴォイ公も保護者に名乗りでています…けど保護者ってどういう意味だ?

1675年サヴォイ公が亡くなって収入がなくなったオルタンスに(ルイ14世はどうした?)
イングランド大使モンタギューが「チャールズ2世に援助を申し入れたら?」と進言、
オルタンスはノリノリでイングランドに向かいました。
どうやら自分が一番引き立つと言われていた男装で乗り込んだらしいですよ。
いとこで王弟ジェイムズの再婚相手メアリー・オブ・モデナに会いに…という口実で
宮殿を訪れたオルタンスはまんまとチャールズ2世の愛妾におさまりました。

これでお金の心配もなくなったわけですが、ふたりの関係はあまり続きませんでした。
オルタンスの浮気が大きな原因で、まずはチャールズ2世とバーバラ・ヴィリアーズの娘
サセックス伯妃アンとのレズビアンが発覚しました。
夫がアンを領地に連れ戻すと今度はモナコ公子ルイスと浮気を始めます。

チャールズ2世は暇を出していたルイーズ・ケロワールを呼び戻して
オルタンスと手を切ることにしました。
ただし友人としてはずっと付き合っていたらしく、チャールズ2世の死後も
いとこメアリーの力添えもあってジェイムズ2世の宮廷でサロンを開いたりしていました。
話し相手としては楽しい女性だったのではないでしょうか?

1699年、たぶん自殺で亡くなりました。
チャールズ2世の死後は酒に溺れていたとも言われています。
夫マザラン公は遺体をフランスに持ち帰りドラマティックに埋葬したそうです。
夫に葬られるのはきっといやだったと思うんだけどね。

もし、最初のプロポーズでチャールズと結婚していたら
それともサヴォイ公との縁談がまとまっていたら…幸せな人生が
送れた“かも”しれなかったけどんだけどね…
結婚生活なんて始めてみなきゃわからないものですから…

(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)

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