![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/2f/502dbd808a730f1075dd2c2e629f2f4a.jpg)
ヴェルサイユの初代女主人
ルイ14世妃 マリー・テレーズ・ドートリッシュ
1638~1683/在位 1660~1683
スペインがフランスに破れ、政略結婚でルイ14世に嫁ぐことになったマリー・テレーズは
ルイ13世妃アンヌ・ドートリッシュの姪にあたります。
母はアンリ4世の娘イザベルですが、6歳の時に亡くなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/a5/109054339befcc4c31322930821fc38c.jpg)
王妃イサベルを深く愛していた父王フェリペ4世でしたが、危機感を覚えたのか
1649年、死亡した息子バルタザールの婚約者だったマリアナと再婚します。
これがマリー・テレーズの不幸の始まり…マリアナは15歳でマリー・テレーズは11歳、
母娘というよりライバルにしか思えなかったんでしょうね?
マリアナはマリー・テレーズの身分や、フェリペ4世から与えられる愛情に嫉妬して
仲良くしようとはしませんでした。(同じハプスブルク家なんですけどね)
1659年にルイ14世の婚約がととのった時、マリー・テレーズより年長だった兄弟は
生き残っておらず、弟がひとりいましたがあまり強い子には見えませんでした。
フランスはマリー・テレーズのスペイン女王即位とスペイン併合の野望が
ムクムクと湧いてきたはずです。
渋るスペインに対して、ルイ14世と他の女性との婚約を偽装して婚約を急がせました。
1660年、涙にかきくれながらスペインを後にしたマリー・テレーズは
2日後フランスでルイ14世と式をあげました…けれど、さすがは好色漢ルイ14世!
式が終わるや否や寝室に行くと言いだしてマリー・テレーズを戸惑わせます。
マリー・テレーズも22歳ですからそんなに幼くはないのですが、必死に拒んで
結局逆らえず、何を着ればいいのかなどとパニクった挙げ句やっと寝室に向かいました。
その後1年ほどはふたりはとても仲睦まじく、ルイ14世は毎晩王妃の寝室に泊まり
朝はそこから儀式に向かうほどで、マリー・テレーズは9ヶ月ほどで身籠りました。
ルイ14世は「王妃と自分を隔てるものは何もない」的なことをのたまったそうですが
ご存知のように次々と愛妾をつくりはじめます。
きらびやかなフランス流に馴染めなかったマリー・テレーズは、スペイン訛も抜けず
ボーとしてて洗練されてない人ということでバカにされたらしいのね。
マリー・テレーズもだんだん自信をなくすでしょうし
ルイ14世もなんだか退屈だと思いはじめたところへきて
これぞフランス!っていう貴婦人がゴロゴロいるんだもの。
よりどりみどりですよ、そりゃあもう…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
有名どころはルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールとモンテスパン夫人ですね。
人の良いマリー・テレーズは、控えめなルイーズのことは気に入ったらしいのですが
出しゃばりなモンテスパン夫人のことは嫌いだったということです。
マリー・テレーズの心のよりどころは、里が同じ義母で叔母のアンヌ・ドートリッシュで
おしゃべりをしたり、手仕事をしたりと彼女べったりで過ごすようになりました。
スペイン語で故郷の話しをするほうが、宮廷でウィットに富んだ会話を交わしたり
スキャンダルを噂し合うより楽しかったのでしょう
ほとんど宮廷には顔を見せませんでした。
1665年、もともとは狩猟場だったヴェルサイユに華麗な宮殿が完成します。
ルイ14世は「ヴェルサイユ宮殿を母后アンヌと王妃マリー・テレーズに捧げる」と
たからかに宣言しましたが、実際の女主人は愛妾たちでした。
しかも1666年には義母アンヌも亡くなって、さらに寂しい日々を送るようになります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/1e/c45663a979d10458ac7f824b12ae3c83.jpg)
フランス式になったマリー・テレーズ
どことなく寂しそうですね
1683年、ヴェルサイユ宮殿に新しくできたスペイン式噴水を楽しんでいた
マリー・テレーズは元気そうに見えましたが、数日後脇の下に腫瘍が見つかり
みるみるうちに悪化して1ヶ月後に亡くなりました。
死の床でもらした言葉は「王妃になってから1日でも幸せな日があったかしら?」
結局、結婚から1年後には弟が生まれてスペイン女王にはなれなかったマリー・テレーズ。
スペインでの評判は上々だったというのですが、フランス王家へ嫁いだことが
彼女の人生だけではなく性格まで変えてしまったのでしょうか?
スペイン王女からフランス王妃になったというのに、ひっそりとした哀しい人生でした。
彼女の死に際してルイ14世が涙を流した…というのがせめてもの慰めでしょうか?
余談です
当時のスペインの貴婦人はみなさん肖像画のようなヘアスタイルをしているのですが
どういう仕組みなの?
(参考文献 エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』『王たちのセックス』
Wikipedia英語版)
ルイ14世妃 マリー・テレーズ・ドートリッシュ
1638~1683/在位 1660~1683
スペインがフランスに破れ、政略結婚でルイ14世に嫁ぐことになったマリー・テレーズは
ルイ13世妃アンヌ・ドートリッシュの姪にあたります。
母はアンリ4世の娘イザベルですが、6歳の時に亡くなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/a5/109054339befcc4c31322930821fc38c.jpg)
王妃イサベルを深く愛していた父王フェリペ4世でしたが、危機感を覚えたのか
1649年、死亡した息子バルタザールの婚約者だったマリアナと再婚します。
これがマリー・テレーズの不幸の始まり…マリアナは15歳でマリー・テレーズは11歳、
母娘というよりライバルにしか思えなかったんでしょうね?
マリアナはマリー・テレーズの身分や、フェリペ4世から与えられる愛情に嫉妬して
仲良くしようとはしませんでした。(同じハプスブルク家なんですけどね)
1659年にルイ14世の婚約がととのった時、マリー・テレーズより年長だった兄弟は
生き残っておらず、弟がひとりいましたがあまり強い子には見えませんでした。
フランスはマリー・テレーズのスペイン女王即位とスペイン併合の野望が
ムクムクと湧いてきたはずです。
渋るスペインに対して、ルイ14世と他の女性との婚約を偽装して婚約を急がせました。
1660年、涙にかきくれながらスペインを後にしたマリー・テレーズは
2日後フランスでルイ14世と式をあげました…けれど、さすがは好色漢ルイ14世!
式が終わるや否や寝室に行くと言いだしてマリー・テレーズを戸惑わせます。
マリー・テレーズも22歳ですからそんなに幼くはないのですが、必死に拒んで
結局逆らえず、何を着ればいいのかなどとパニクった挙げ句やっと寝室に向かいました。
その後1年ほどはふたりはとても仲睦まじく、ルイ14世は毎晩王妃の寝室に泊まり
朝はそこから儀式に向かうほどで、マリー・テレーズは9ヶ月ほどで身籠りました。
ルイ14世は「王妃と自分を隔てるものは何もない」的なことをのたまったそうですが
ご存知のように次々と愛妾をつくりはじめます。
きらびやかなフランス流に馴染めなかったマリー・テレーズは、スペイン訛も抜けず
ボーとしてて洗練されてない人ということでバカにされたらしいのね。
マリー・テレーズもだんだん自信をなくすでしょうし
ルイ14世もなんだか退屈だと思いはじめたところへきて
これぞフランス!っていう貴婦人がゴロゴロいるんだもの。
よりどりみどりですよ、そりゃあもう…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
有名どころはルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールとモンテスパン夫人ですね。
人の良いマリー・テレーズは、控えめなルイーズのことは気に入ったらしいのですが
出しゃばりなモンテスパン夫人のことは嫌いだったということです。
マリー・テレーズの心のよりどころは、里が同じ義母で叔母のアンヌ・ドートリッシュで
おしゃべりをしたり、手仕事をしたりと彼女べったりで過ごすようになりました。
スペイン語で故郷の話しをするほうが、宮廷でウィットに富んだ会話を交わしたり
スキャンダルを噂し合うより楽しかったのでしょう
ほとんど宮廷には顔を見せませんでした。
1665年、もともとは狩猟場だったヴェルサイユに華麗な宮殿が完成します。
ルイ14世は「ヴェルサイユ宮殿を母后アンヌと王妃マリー・テレーズに捧げる」と
たからかに宣言しましたが、実際の女主人は愛妾たちでした。
しかも1666年には義母アンヌも亡くなって、さらに寂しい日々を送るようになります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/1e/c45663a979d10458ac7f824b12ae3c83.jpg)
フランス式になったマリー・テレーズ
どことなく寂しそうですね
1683年、ヴェルサイユ宮殿に新しくできたスペイン式噴水を楽しんでいた
マリー・テレーズは元気そうに見えましたが、数日後脇の下に腫瘍が見つかり
みるみるうちに悪化して1ヶ月後に亡くなりました。
死の床でもらした言葉は「王妃になってから1日でも幸せな日があったかしら?」
結局、結婚から1年後には弟が生まれてスペイン女王にはなれなかったマリー・テレーズ。
スペインでの評判は上々だったというのですが、フランス王家へ嫁いだことが
彼女の人生だけではなく性格まで変えてしまったのでしょうか?
スペイン王女からフランス王妃になったというのに、ひっそりとした哀しい人生でした。
彼女の死に際してルイ14世が涙を流した…というのがせめてもの慰めでしょうか?
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当時のスペインの貴婦人はみなさん肖像画のようなヘアスタイルをしているのですが
どういう仕組みなの?
(参考文献 エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』『王たちのセックス』
Wikipedia英語版)
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輝かしい身分、地位にありながら、彼女の性格のせいか、ド派手な寵姫に宮廷の女主人の座を奪われ、地味で大人しいイメージがあります。
フランス王妃は、私の偏見かもしれませんが、(一部を除いて )美しくて、才気煥発なやり手の寵姫のせいで、地味な存在が多いですよね。フランス王妃は、こう言うと失礼ですが‥所謂、“産む機〇”みたいな存在だったようですね‥マリー・テレーズ王妃は、きちんとその義務を果たしていますが、私生活では、フランス語が上手く話せず、姑(義母)とばかりスペイン語で会話を楽しみ、趣味といえば トランプ遊び等で、チョコレートが大好物で、食べ過ぎで虫歯だらけだったとも‥“王とチョコレートはわたくしの情熱”と断言するほどの中毒(笑)。外見は、美貌とは言い難く、身体も小さいけどコロコロ太っていて、宮廷人達は王妃の野暮ったさをバカにしてたみたいですね、(とりわけ、あの寵姫なんかが‥)でも、夫たる王は、王妃をきちんと正妻と遇していて、さほどないがしろにしていなかったところは、けっこう、救いどころがあったのでしょうか?