まりっぺのお気楽読書

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ポルトガル王アフォンソ2世妃 ウラッカ

2010-04-29 20:33:27 | ポルトガル王妃
フランス王妃だったかもしれない
アフォンソ2世妃 ウラッカ・デ・カステーラ


1186~1220/在位 1212~1220

アラゴンとは手を結んだものの、やはりお隣にも予防策を、というわけで
アフォンソの妃はカスティーリャ王アフォンソ8世の王女から迎えることになりました。
母レオノールはイングランド王ヘンリー2世王女です。

         
ウラッカは、フランス王ルイ8世のお妃候補に挙がっていたのですが
祖母であるヘンリー2世妃エリナー・オブ・アキテーヌが直々に検分して
ブランカの方がフランス王妃に相応しいと言ったとかで、妹が嫁ぐことになりました。
ウラッカという名前がフランスに受け入れられないと言ったという説もあります。

欧州の中心みたいなフランス王妃になれず落胆したのか
近くに嫁げて良かったと安堵したのか、ウラッカの心境が知りたいですね。

20歳の時、1歳年上のアフォンソと結婚しました。
後にアフォンソの妹マファルダが、ウラッカの弟エンリケ(1世)と結婚します。




              
実はすごくエピソードがありそう・・・
サンショ2世妃 メシア・ロペズ・デ・ハーロ


1215~1270/在位 1246~1248

メシアは、サンショ1世とドゥルセの王女テレサが嫁いだ
レオン王アフォンソ9世の庶子ウラッカの娘です。

        

1215年頃に生まれたことになってるんですけど、だとすると結婚した時31歳。
初婚じゃないんじゃないかしら?
ちなみにサンショ2世は37歳なので、年齢的には釣り合います。
今ならなんの問題も無く適齢期と言えましょう。

しかし、メシアがサンショと結婚した時ポルトガルでは
聖職者による王権強化のせいで貴族が反発し内乱が起きていました。
1427年、サンショ2世は廃位され、トレドに亡命して1248年に亡くなりました。

その後のメシアのことがWikipedia英語版だとさっぱりわからんのですが
ポルトガル語版はかなりボリュームがあります。
[このページを訳す]で見てみたけど、やっぱり理解不能でした

やはり初婚じゃなかったみたいです。
そして死についてはバレンシアが関係しているらしい…

でも「婚姻無効の宣告を」とか「クイーン誘拐 蒸着の王」とか
気になるフレーズが並んでいてものすごく面白そうですよ!
どなたか英語版か日本語版に書きこんで下さらないでしょうか?

* Cucciolaさんがイタリア語を訳して下さいました
  コメント欄を見て下さいね。

(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)

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2 コメント

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Unknown (cucciola)
2010-05-01 01:05:32
まりっぺさま、

こんにちは。ごぶさたをしております。
いつも楽しく読んでいるのですが、読み逃げですみません。
今回のメシアさん、イタリア語で読んでみました。初婚の相手はアルヴァーロ・ペレス・デ・カストロという人で、イタリア語版では1239年ごろサンチョ二世と再婚しています。二度の結婚で子供はいかかったそうで、気弱なサンチョ二世を操縦する子なしの王妃、とけなされていたそうです。1245年に、法王インノチェンツォ四世から結婚の無効を言い渡されていますが、理由は結婚の際に「二人は親族なのに法王の許可を得てなかった」からだそう。
ブルゴーニュ公アルフォンソ(かな?この時代の歴史が全く分からないのでごめんなさい)は、なんと彼女を拉致してVila nova de ouremというところに幽閉してしまい、リヨンの公会議においてサンチョ二世から権力も取り上げてしまったそうです。1247年に、サンチョ二世はトレドに追放され、王妃も彼にしたがったそうですが翌年王は死亡。そのご、メシアさんはナヘラに移住して1272年に亡くなっています。イタリア語版なので間違いもあるかもしれませんけど。また楽しみにしています。
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ありがとうございます! (まりっぺ)
2010-05-01 23:27:19
Cucciolaさま

こんばんわ、ご無沙汰しています。
わざわざ訳していただいてものすごく感激です! ありがとうございます。

英語版と本国版の情報量にあまりにもギャップがあって興味津々になってしまったんです。
とても気になってポルトガル大使館にお願いのメールをしようかなどと思っていたところです。
迷惑千万な日本人になるところでした

いつも奥深くて美しいブログに感激しております。
また遊びに行きますね。
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