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まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『ジェルミニィ・ラセルトゥウ』裏切り者が役に立つ

2010-04-09 02:35:56 | フランスの作家
GERMINIE LACERTEUX 
1865年 エドモン&ジュウル・ド・ゴンクウル(ゴンクウル兄弟)

愛情深い女性がそれ故に堕ちていく…というお話で
古今東西書かれているテーマだけに作家の力量が大きくものを言いますね。

あらすじは冒頭の1行で書いちゃったも同然なんですけど
もう少し詳しく…

幼いころから貧しい毎日を送り、14歳でパリに出てからも
辛い目に遭い続けてきたジェルミニィ(文中ヂェルミニィ)という女性が
横暴な父親のせいで何十年も酷な生活を強いられてきた
マドモアゼル・ヴァランドゥイユという老嬢に仕えていました。

で、はしょってくと
ジェルミニィは、熱烈に愛する対象が必要なのです。
それは近くの教会の懺悔僧でも、母を亡くした姪でもいいわけなんですが
よりによって、女を搾り取る道具のように考えている、遊び人の、ひとまわり下の
ジュピヨンを愛してしまうのでした。

それで、身を持ち崩し、借金をつくり、尊敬を失い…
さらには恩のあるマドモアゼルを裏切ることになります。

内容はほぼ全部書いちゃった…
ただ、良心とどう戦うか、どうやって堕ちていくかという経緯を読むことに
とても意義があると思いますので、このタイプの物語に興味があったら
ぜひ手に取って読まれてみては?

同じような感じの物語ですと、ゾラの『居酒屋』があります。
なんでもデビュー前の若きゾラは、この物語に大層感銘を受けたそうです。
『居酒屋』と比較すると本書の方がかなりマイルドな気がします。

物語の登場人物の半分以上に役名が無く、職業名や続柄で書かれていて
下々のお話という感じがよく表れています。
文中 “ 下層階級特有の ” とか “ ならでは ” という表現も多いんですよね。
なんかやな感じ… と思っていましたら
この物語、モデルがいたんですって! それも作者のごく身近に!!

ゴンクウル兄弟は、信頼しきっていた老女中が亡くなった後
彼女に裏切られていたことを知ったそうです。
その苦い経験がこの物語を生み出したのかもしれないですね。
裏切られた代償に書いてやるぞ!!って…

それとも彼女の中に、貧しく、人に仕える一生を送る女性の悲哀を見て
書かずにはいられなかったのでしょうか?

とりあえず、ずーっと騙していたんだから書かれても文句は言えませんね

ラストのマドモアゼルの行動は、ゴンクウル兄弟の思いを反映したものかしら?
そうだとしたら、少しは救われる結末なんですけどね…
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デンマーク王クリスチャン9世妃 ルイーセ

2010-04-09 02:34:22 | デンマーク王妃
熾烈な王位継承レースを勝ち抜く!
クリスチャン9世妃 ルイーセ・アフ・ヘッセン=カッセル


1817~1898/在位 1863~1989

フレデリク7世の嫡子による王太子をあきらめたデンマーク宮廷では
熾烈な王位継承争いが始まったご様子…
王位を勝ち取ったクリスチャン9世の妃がヘッセン公ヴィルヘルムの娘ルイーセでした。
ルイーセがいなかったら、クリスチャンは継承戦争に勝てなかったとも言われています。

         

3歳からデンマークで暮らし、ほぼデンマーク人と言ってもいいルイーセは
デンマーク王子フレデリクの孫で、クリスチャン8世の姪でもあります。
小さな頃からデンマークの王位継承は人ごとではなく、とても興味がありました。

1842年にまたいとこのグリュックスブルク公子クリスチャンと結婚します。
クリスチャンにも王位継承権はありましたが、家系から言うとルイーセの方が上でした。

家柄に申し分無いルイーセは、もちろんフレデリク7世妃ルイーセが好きなはずはなく
よそよそしいお付き合いをするにとどめていました。

ルイーセより上位の継承権を持つ人物もいたようですが
ふたりはひとつひとう編み目をほぐし、王位を引き寄せました。
ルイーセは知性、判断力、精神力、どれをとってもクリスチャンに勝っていたようです。
クリスチャンはルイーセを信頼し、ふたりで複雑な継承問題を勝ち抜きました。

1851年にルイーセは自分の継承権を放棄します。
1852年、クリスチャンが後継者に指名されました。やったね!

ふたりは王と王妃になってからも、簡素で愛情豊かな家庭生活を送りました。
しかしルイーセは一般市民と一線を画すことは忘れず
国民との関係よりは王家を守ることにエネルギーを注ぎました。

子供たちの結婚では、デンマーク王家に格式を与えることを第一に考え
例えば長女アレクサンドラは大英帝国王エドワード7世妃に
次女ダグマーはロシア皇帝アレクサンドル3世皇妃に嫁いでいます。

ですので三女ティーラが1871年にある将校の子供を未婚で生んだ時
ルイーセはその事実を国民に知られないよう全力を傾けました。
ティーラはその後ハノーヴァー王子エルンストと結婚しています。

ルイーセは王妃ですから、もちろん慈善にも精をだしました。
しかしその方法が一風変わっていました。
彼女が設立したのは、いわゆる “ 召使い専門学校 ” です。
孤児の少女たちの手に職をというのは、ま、間違ってはいないかもしれないけど
身寄りが無いから召使い…保守的な方だったそうでございます。

絵画は大好きで、芸術家に融資をしたりするだけでなく
ご自分の展覧会も開きました。
他国の王室にも贈ったということですが、どこかの美術館にあるのかしら?
どんな絵を描いていたんでしょうね。

晩年は看護婦の世話になりながら暮らし、1898年に亡くなりました。
ルイーセの在位期間35年は、デンマーク王妃歴代1位を誇ります。

             
                 少しお歳を召された写真
              このドレスの贅沢に生地を使っていることと言ったら…さすが


(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
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