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フランス王ルイ14世愛妾 オランプ

2010-04-15 01:38:30 | 王の寵姫・愛妾
黒い噂を纏った愛妾
ソワソン伯夫人 オランプ・マンチーニ


1638~1708/1650以降~1679以前

オランプは1638年にローマで生まれ、父の死にともなってパリにやって来ました。
母ジローラマの兄である枢機卿マザランの威光で
1657年、サヴィワ・カリニャーノ家のソワソン伯ウージェーヌと結婚しました。
すでにこの時には、ルイ14世の愛人だという噂がたっていました。

しかしルイは妹のアンヌ・マリーに夢中だったはずだし…
マリーの代わりに…ってことでしょうか?
ちなみに、オランプはかなり簡単にルイに身を任せてしまったらしいです。

        

オランプは、ダークな髪と瞳を持つ魅惑的な女性でした。
もしかすると、ルイはマンチーニ姉妹全てに目をつけていたのかもね
オルタンスも一時期 “ 保護 ” されていたようですし…

オランプはルイ14世の弟オルレアン公の妃アンリエッタの取り巻きで
たいそう親しくしていましたが、実はアンリエッタもルイとはただならぬ仲でした。
ルイとアンリエッタのカモフラージュの女性を選ぶことになった時
ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールを推したのはオランプだと言われています。

しかし、本当にルイーズがルイ14世の愛妾になってしまうとオランプは激しく反抗して
「私のところへ戻って来なければ…」と脅迫までしたそうです。

1679年、オランプがルイーズを毒殺しようとしているという噂が流れます。
夫のウージェエーヌは1673年に亡くなっていましたが
これもオランプによる毒殺だと噂されました。

オランプはついにフランス宮廷から追放されて、1680年にスペインに移りました。
ところが、1689年にルイ14世の姪にあたる
スペイン王カルロス2世妃マリア・ルイサが急死すると
これもオランプのせいだということになって、スペイン宮廷からも追われてしまいます。

オランプは涙ながらに身の潔白を訴えたそうですが受け入れられず
ブリュッセルに移りました。

ブリュッセルでは音楽家のパトロンになったり、妹のマリーやオルタンスを訪ねて
イングランドへ旅行したりと、平穏な日々をすごしたようです。
1708年に亡くなりました。

夫ウージェエーヌとは(何人が本当の子かは抜きにして)8人の子供が生まれました。
その中で最も有名なのがオイゲン・フランツです。
オイゲンは、神聖ローマ軍の兵士としてフランスから勝利し続けていました。
母の悔しさを晴らしてあげたのか…孝行息子ですな。

こんなに怪しい噂がある女性、もう少し有名でもおかしくないのにね?
私が持っている悪女本には登場していません。
やはり毒がらみだとモンテスパン侯爵夫人に負けちゃいますかね

(参考文献 Wikipedia英語版)

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