まりっぺのお気楽読書

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フランス王ルイ14世愛妾 フランソワーズ

2010-04-25 00:20:04 | 王の寵姫・愛妾
愛人界のスーパースター
モンテスパン候夫人 フランソワーズ・アテナイス・ド・ロシュシュアール


1641~1707/愛妾 1666~1691

王の愛妾を3人挙げよ、と言われたら、とりあえずポンパドゥール夫人と
モンテスパン候夫人は名前が出るんじゃないかしら?

そんな真打ちのフランソワーズにはルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール同様
エピソードがてんこ盛りですので、ルイーズと比較しやすい部分を書こうと思います。

父のモンテマール候ガブリエルはエスプリに富んだ方だったそうで
フランソワーズはそのエスプリを受け継いでいました。

        

小さな頃からルーブル宮に出入りしていましたが
20歳の時にオルレアン公妃アンリエッタ・アンヌの侍女になりました。

1663年、婚約者が殺されたため、婚約者の弟モンテスパン候ルイと結婚します。
結婚後はルーブル宮の近くに邸宅を借りて、宮廷に出仕していました。

美しさに加えて会話の上手さ、高い芸術性など、フランソワーズは魅力に溢れていました。
公的なイベントにも積極的に参加して(主に男性に)魅力をアピールしていました。

その後フランソワーズは、王妃マリー・テレーズの侍女になりました。
最初、ふたりは親友のように気が合っていたそうです。

フランソワーズは、ルイーズから公妾の座を奪おうと考えるようになります。
1666年、ルイ14世とお近づきになり、ほどなく愛妾になったフランソワーズは
ルイーズより才気走ったところをアピールして、自分を公妾にするようせまります。

すでにルイーズへの興味が薄れ始めていたルイは、フランソワーズを公妾にしました。
フランソワーズは、嫉妬にかられた夫と公式に別居しました。

ルイの子を生み、絶大な力を持ったフランソワーズは、ルイーズを鼻であしらい
王妃にさえ失礼な態度をとるようになります。
宮廷内では、横柄なフランソワーズの態度にちらほら敵が現れます。

ルイは例によって興味がうつり始め
1679年、フォンタンジュ公アンジェリークを新たに愛妾にします。
1681年に彼女が亡くなると、フランソワーズが毒殺したという噂が流れました。

どうやらフランソワーズは早くから黒魔術に手を染めていたようです。
1670年代から、ライバルになりそうな女性たちには毒を盛ったと言われています。

ラ・ヴォワザンという、黒魔術で有名な女性がいました。
彼女の裁判の時、ルイの心をとらえるための媚薬を1665年に使ったとか
ルイの心が離れそうになると黒魔術で取り戻そうとしたとか
次々とフランソワーズの黒い部分が表沙汰になりました。

当時フランソワーズの子供たちの教育係を務めていたマントノン候夫人
母親のスキャンダルを子供たちから隠そうと必死でした。

しかし、フランソワーズへの愛が完全には冷めきらなかったのか
それともほったらかしにしてギャーギャー騒がれるのが面倒だったのか
ルイはスキャンダルの後も毎日彼女のもとへ通っていました。

ルイはこの頃からマントノン候夫人を愛するようになり、愛妾にします。
フランソワーズの嫉妬は凄まじいものだったと言われています。
だけど、さすがにもう毒は使えないよね…
生活は荒れていき、ルイもだんだん愛想をつかし始めました。

ルイは、1685年にはこっそりマントノン夫人と結婚したと言われていて
たぶんフランソワーズは宮廷に置いてもらっているだけだったんじゃないかしら?
子供たちがいましたのでね。

1691年、フランソワーズは公妾を引退して修道院に入りました。
ルイは感謝の気持ちを込めて…ということで父親をパリ市長にして
フランソワーズにも50万フランの年金を与えました。
これは「もう戻ってこないでね」という気持ちの表れだったみたいです。

フランソワーズはその後、子供の結婚式でさえ宮廷に招かれることは無く
自分の城に用意したルイの部屋に彼が訪れることもありませんでした。

ここへきてやっと心を入れ換えたのかしら?
フランソワーズは手にした50万フランを慈善や病院に寄付しました。

1707年にフランソワーズが亡くなった時、子供の中には嘆く者もありましたが
ルイは喪に服すことを許さなかったそうです。

              
               こちらはより愛妾感が漂ってますね

普通に考えればルイーズの方を選びそうなものよね。
でも王様ともなりますと、見た目ゴージャス な女性を侍らせたいものかしら?

(参考文献 ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』
      エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipdia英語版)

王様たちの恋愛スキャンダル満載です
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3 コメント

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初めまして。 (ちゃる)
2010-05-14 01:01:39
まりっぺ様、こんにちわ。
初めてコメントさせていただきます。

モンテスパン夫人の肖像画色っぽいですね。
派手な悪女らしいですがそこが男性から見ればセクシーなんでしょうね。
傍から見ればルイーズを選ぶほうが賢明ですが善良なタイプは異性としては物足りなくてすぐ飽きてしまうんでしょうね。

以前知り合いの男から「心優しい女性がいいとかは建前で、結局は発情できるかどうかが問題なんだよ」とかほざかれましたが昔から男はそうなんでしょうか(笑)
特に寵姫は趣味に走ることができますからね~

ただ、2人の清楚で善良なルイーズ、
妖艶で悪女なフランソワーズという対照的な人柄もそのほうが面白いから他人が作った話のような気もします。
異性として2人の対極のタイプの恋人を持つって理想的ですしね。
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2010-05-15 00:26:28
ちゃる様、はじめまして

ルイ14世ぐらいになると、もうタイプなんてどうでもいいんじゃないか と思えるぐらいの手当たり次第ぶりですが、家柄のみで会ったこともない、もしかしたらタイプじゃない、もしかしたらブチャイクな相手と結婚しなければならなかった王侯貴族が選ぶ愛妾は、完全に自分好みの女性だったんでしょうね。
性格というよりは顔とからだが…だとは思いますけど。

それにしても、確かにルイーズとフランソワーズの対比は、物語っぽいですよね… 韓流チックな
中世の女性たちは手紙や日記にかなり細かく書いていたようなので、そういう方々の思い込みが含まれているかもしれませんね。
返信する
大陽王の性悪寵姫・アテナイス・モンテスパン (メリエンダ)
2018-10-23 17:51:55
モンテスパン夫人は、フランス最盛期王、ルイ14世が全盛期だった頃の寵姫で、絶世の美貌、才気煥発さ、由緒正しき家柄、と際立った存在でしたが‥性格があまり‥ルイーズ嬢が、権勢、贅沢に無関心だったのに対して、夫人はこれでもか、と言うほど贅沢し、権勢をふるい、王妃を“愚鈍で、哀れなお人好し”とコケにし、さすがに王妃の件には、王も、『王妃が主人であるのを忘れ得ぬように!』と叱ったらしいですが、夫人がここまで増長させたのは、王に責任があるかと‥ある日、夫人が、王に、『わたくしはかのアキテーヌ公の末裔、ブルボン家よりも由緒正しく、古い家柄ですわね。』とブルボン家を成り上がり、的な意味合いの事を言ってのけた事があり、王は、怒るどころか、夫人の気の強さ、プライドの高さに感嘆し、喜んだ、とされているらしいですね‥ルイ14世は、気が強く、冒険を好むような女性(先ずは外見だったと思いますが‥)がタイプだったみたいですね。王には喜ばれても、他の宮廷人たちには嫌われまくりで、後年、夫人が、フォンタンジュ嬢毒殺疑惑から一気に権勢が衰え、マントノンのにとって変わられ、宮廷を去り、寂しく亡くなった後、埋葬するため、馬車に乗せてあった内臓が入った壺が落ちて、中身を草叢にばらまけてしまい、臭いを嗅ぎ付けた野良犬、猫、豚がそれに群がり、あっという間に食い尽くされてしまったらしく、それを聞いた宮廷人たちは、大笑いし、『これは、驚いた!あの人に、畜生を引寄せる中身が存在したとはなぁ‼』と大いに扱き下ろしたそうですね‥どんだけ憎まれていたんでしょう‥
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