まりっぺのお気楽読書

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フランス王ルイ14世愛妾 カトリーヌ・シャルロッテ

2010-04-21 02:03:38 | 王の寵姫・愛妾
スキャンダルまみれのモナコ公妃
モナコ公妃 カトリーヌ・シャルロッテ・ド・グラモン


1639~1678/愛妾 1662年以降~1668年

カトリーヌはフランス陸軍元帥グラモン伯アントワーヌ3世の娘です。
母は枢機卿リシュリューの姪マルグリート、
兄はハンサムということでフランス宮廷でも名高かったギーシュ伯アルマンです。
アルマンはオルレアン公フィリプ、オルレアン公妃アンリエッタ・アンヌ両方の愛人でした。

         

1660年、カトリーヌはヴァレンティノワ公ルイ・ド・グリマルディと結婚します。
ルイは強欲で見栄っ張りな人だったと言われています。

1662年、ルイがモナコ公になりまして、ふたりはモナコに移りました。
しかし、華やかなフランス宮廷に慣れ親しんだ身、モナコには早々に飽きちゃったらしく
3年後にフランスへ戻り、その後はほとんどモナコに帰りませんでした。

カトリーヌはオルレアン公妃アンリエッタ・アンヌの侍女の座を手に入れます。
彼女は美貌と知性で名を上げ、宮廷の男性たちの視線を引き寄せました。
モテるだけならよかったんだけど、カトリーヌは恋愛を謳歌しちゃったわけですね。

カトリーヌのことを “ 快楽をむさぼり食う女 ” という人があれば
“(上品に訳すと)連発屋 ” というあだ名がついたりもしました。

もちろん数多の愛人の中にはルイ14世も含まれていまして
ルイはその頃から、公妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールに興味を失い始めたそうです。

アンリエッタはルイ14世とルイーズの仲を割くことに必死で
カトリーヌのことには気づかなかったのかしら? と思いきや
カトリーヌとアンリエッタも親密なお付き合いをしていたなんて説もあり…

モンテスパン候夫人が愛妾になったからか、アンリエッタの威光が衰えたせいか
1668年、カトリーヌはフランス宮廷から遠ざけられてモナコに帰りました。

でもやっぱり宮廷がいい!と思ったか、4年後にはフランスに戻ってまいりました。
そのまま宮廷に居着いてしまいまして、6年後に39歳で亡くなりました。

フランス宮廷には麻薬のように逃れられない魅力があったのかしら?
追い出された場所へ戻るなんて、よっぽど好きじゃないとできないことですよね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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