まりっぺのお気楽読書

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イングランド王ウィリアム3世愛妾 エリザベス

2009-09-02 01:56:32 | 王の寵姫・愛妾
家は女で栄える
オークニー伯夫人 エリザベス・ヴィリアーズ


1657~1733/愛妾 1680~1695

中世の男性たちが出世していこうと、具体的には高い爵位や称号を
手に入れようと思ったら、手っ取り早い道は3つ。
まずは戦争でものすごい功績を上げることですかね、王の命を救うのも良し。
次に権力者に気に入ってもらうこと、王や王妃なんかがベストでしょうか?
でも死んでしまっちゃ元も子もないし、王の側に侍る機会もあまりないし…

一番簡単なのは、娘か姉妹が王の妃か愛人になってくれるというパターン。
結婚はかなり至難の業ですが、愛人なら…当時の王様にはほとんどいたんだから。
もちろん、そのお年頃の魅力的な娘が家にいなきゃいけませんし
王の前に連れ出すにもかなり熾烈な争いがあったようですけど…

チャールズ2世の愛妾バーバラのおかげで格上げされてたヴィリアーズ家に
再び家を盛り上げてくれる女性が登場しました。

       

エリザベスの母フランセスは、ジェームズ2世のふたりの王女で
未来のイングランド女王でもあるメアリー2世アンの家庭教師をしていました。
彼女は王女たちのみならず、宮廷でも影響力を持っていたみたいです。
エリザベスの姉妹アンとキャサリンはメアリー(後の2世)がオラニエ公に嫁ぐ際
侍女としてハーグまで随行しました。

エリザベスがウィリアム3世の愛人になったのはメアリー2世との結婚から3年後です。
メアリー2世とウィリアム3世が共治王として即位した1679年の翌年です。
エリザベスはメアリー2世の侍女になっていました。

1694年、エリザベスをめぐってある決闘がありました。
貧しい青年ジョン・ローと伊達男エドワード・ウィルソンの決闘なのですが
これはエリザベスがローを焚き付けたものでした。
エリザベスとウィルソンには金銭上の争いがあり、恐喝される怖れがありました。
ウィルソンが殺され、殺人罪で一度は死刑宣告を受けたローでしたが
その後正当防衛で減刑になりました。
ウィルソンの兄弟は異議を申し立てましたが、その間にローは大陸へ逃がされました。

メアリー2世崩御(1694年末)の翌年、ウィリアム3世はエリザベスと別れます。
これはメアリー2世のたっての希望によるものだと言われていますが
もしかすると決闘事件も関係していたかもしれないですね。

別れたその年、エリザベスは9歳年下のジョージ・ハミルトンと結婚しました。
その翌年ハミルトンはオークニー伯など3つの爵位を贈られて大喜び!
エリザベスは夫のスキルアップに大きく貢献したそうで結婚生活は幸せだった模様。
また、エリザベスの兄エドワードも翌年ジャージー伯に叙位されています。

宮廷がスチュアート家からハノーヴァー家になってからもエリザベスは出仕して
ジョージ1世、2世の治世中女官を務めました。
1733年にロンドンで亡くなりました。

やはり、娘が愛妾になってくれたおかげで(それでけじゃないとは思うが)
破格の出世をした家柄はわりとあります。
シーモア家、チャーチル家なんかがそうですね。
ただ実力が伴っていないと娘の失脚後、あるいは王が変わった時に
生き残れないと思いますけど…そんな家もけっこうありあります。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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