ポルトガル初代王妃
アフォンソ1世妃 マファルダ・デ・サボイア
1125~1158/在位 1146~1158
肖像画…ビビッドね。
以前喜久子さんにいただいたコメントにポルトガルのことが書いてありまして
「そーよ!ポルトガルがあるじゃない」と考えたしだいです。
ポルトガルは現在の日本ではちょいと地味目な印象ですけど、すごい国だと思うわ。
イベリア半島のアラゴン、レオン、カスティーリャ、グラナダなんかが集結して
スペインという大国が形成される中を踏みとどまり
そのスペインさえ、ハプスブルク家だ、ブルボン家だと外国の王を戴いてしまった時代を
短期間を除いてほぼ自前の王家でまかなったというのは…
植民地だってすごかった!
日本にも来た!! 鉄砲がやってきたじゃないの。
そんなポルトガルは、他のヨーロッパ諸国同様古代ローマの支配があり
ゲルマン人ゴート族の支配の後、イスラム教の影響が強く入り込んできました。
11世紀、イベリア半島のキリスト教徒からの支援要請に対して
フランスのブルゴーニュ公アンリが援軍として訪れ、掌握したのがポルトゥカーレです。
エンリケ(アンリ)の息子アフォンソはポルトゥカーレ伯として父を継ぎましたが
カスティーリャからの独立、領土拡大の末、1139年のオーリッケの戦いで勝利をおさめ
ポルトガル王を宣言しました。
そんな初代王アフォンソの妃は、サヴォイア伯アメデーオ3世の娘マファルダです。
21歳の時に、少なくとも16歳年上のアフォンソと結婚しました。
33歳で亡くなっています。
たぶんアフォンソ1世のことだと思われる物語の中に書かれている
嫉妬した王が王妃を殺した説は、まったくもって根も葉もない話だそうです。
早くも家系図が込み入ってきた・・・
サンショ1世妃 ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナ
1160~1198/在位 1185~1198
ドゥルセはアラゴン女王ペトロニラとバルセロナ伯ラモン・ベレンゲル4世の娘です。
美しかったらしいですよ。
この結婚は、ポルトガルとアラゴンの同盟を復活させたいと考えた
ドゥルセの兄アフォンソ2世によってまとめられました。
イベリア半島にスペイン王国は誕生していなくて、覇権争いの真っ最中ですからね。
ポルトガルだって王国になったとはいえ、まだイスラム教の力もあり
レオンやカスティーリャも再び宗主国に返り咲こうと狙っています。
カスティーリャを挟んで位置するアラゴンとの同盟は願ったり叶ったりです。
サンショ1世は文学好きで、詩などをしたためる知識人だったそうです。
植民を奨励し、新しい村や町を誕生させたことから “ 植民王 ” と呼ばれました。
ドゥルセは14歳の時、20歳のサンショと結婚し、11人のお子様を産んでいます。
王女のうち長女テレサはアラゴン王アフォンソ9世妃に
ベレンガリアはデンマーク王ヴァルデマー2世妃に
マファルダはカスティーリャ王エンリケ1世に嫁ぎました。
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
アフォンソ1世妃 マファルダ・デ・サボイア
1125~1158/在位 1146~1158
肖像画…ビビッドね。
以前喜久子さんにいただいたコメントにポルトガルのことが書いてありまして
「そーよ!ポルトガルがあるじゃない」と考えたしだいです。
ポルトガルは現在の日本ではちょいと地味目な印象ですけど、すごい国だと思うわ。
イベリア半島のアラゴン、レオン、カスティーリャ、グラナダなんかが集結して
スペインという大国が形成される中を踏みとどまり
そのスペインさえ、ハプスブルク家だ、ブルボン家だと外国の王を戴いてしまった時代を
短期間を除いてほぼ自前の王家でまかなったというのは…
植民地だってすごかった!
日本にも来た!! 鉄砲がやってきたじゃないの。
そんなポルトガルは、他のヨーロッパ諸国同様古代ローマの支配があり
ゲルマン人ゴート族の支配の後、イスラム教の影響が強く入り込んできました。
11世紀、イベリア半島のキリスト教徒からの支援要請に対して
フランスのブルゴーニュ公アンリが援軍として訪れ、掌握したのがポルトゥカーレです。
エンリケ(アンリ)の息子アフォンソはポルトゥカーレ伯として父を継ぎましたが
カスティーリャからの独立、領土拡大の末、1139年のオーリッケの戦いで勝利をおさめ
ポルトガル王を宣言しました。
そんな初代王アフォンソの妃は、サヴォイア伯アメデーオ3世の娘マファルダです。
21歳の時に、少なくとも16歳年上のアフォンソと結婚しました。
33歳で亡くなっています。
たぶんアフォンソ1世のことだと思われる物語の中に書かれている
嫉妬した王が王妃を殺した説は、まったくもって根も葉もない話だそうです。
早くも家系図が込み入ってきた・・・
サンショ1世妃 ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナ
1160~1198/在位 1185~1198
ドゥルセはアラゴン女王ペトロニラとバルセロナ伯ラモン・ベレンゲル4世の娘です。
美しかったらしいですよ。
この結婚は、ポルトガルとアラゴンの同盟を復活させたいと考えた
ドゥルセの兄アフォンソ2世によってまとめられました。
イベリア半島にスペイン王国は誕生していなくて、覇権争いの真っ最中ですからね。
ポルトガルだって王国になったとはいえ、まだイスラム教の力もあり
レオンやカスティーリャも再び宗主国に返り咲こうと狙っています。
カスティーリャを挟んで位置するアラゴンとの同盟は願ったり叶ったりです。
サンショ1世は文学好きで、詩などをしたためる知識人だったそうです。
植民を奨励し、新しい村や町を誕生させたことから “ 植民王 ” と呼ばれました。
ドゥルセは14歳の時、20歳のサンショと結婚し、11人のお子様を産んでいます。
王女のうち長女テレサはアラゴン王アフォンソ9世妃に
ベレンガリアはデンマーク王ヴァルデマー2世妃に
マファルダはカスティーリャ王エンリケ1世に嫁ぎました。
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
新シリーズの国名見て驚きました。
ポルトガルって、マニアックな国ですよね?私としては、ルネッサンス頃でしたか、王族の名前はエンリケ航海王子の名前しか、頭に浮かばない程、この国の事知らないのです。
まりっぺ様のシリーズ読んで勉強させて頂きますよ。
期待しています。
とはいえ私もポルトガルに詳しいわけではなくて…
以前家系図を作った時に、入り組んでるぅ!と感激したのは覚えてるんですけど、歴史はさっぱり…デビッド・バーミンガムでどこまでフォローできるか不安です。
リュクサンブール家について調べていてこちらにお邪魔いたします。
すてきなサイトですね。私はいまできの歴女などとはちがう根性のはいった歴史マニアです・・といばるほどの者ではありません。単なるオタク・・・ソースは本にかぎらず、漫画でも、テレビドラマでも、最近はネットでいろんな方にご教示いただいてます。
すきな王様はルイ9世です。よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
気に入っていただけて嬉しいです。
お恥ずかしいのですが、私はどちらかというと家系図オタクでして、歴史にはあまり強くないんです…
ブログに家系図を載せたいばっかりに四苦八苦している次第です。
ご存知のことがあったら教えて下さいね。
宜しくお願いします。
きのうアラン・ベネットの「やんごとなき読者」という本(エリザベス2世女王が読書にはまり、周囲を混乱に陥れるという現代風刺小説)を読んでたら、英国のミッドフォード姉妹のことがでてたので、「ミットフォード家の娘たち」を読んでみるつもりです。ミットフォード家の遠祖はジェームズ2世だそうです。ダイアナ妃もびっくりのスキャンダルメーカーらしいです。
さて、「ミットフォード家の娘たち」、実はもう私は読んでおります。講談社刊で定価の2800円で購入したのですが、内容は第二次世界大戦前後の欧州の上流階級の事満載でしたよ。
でも、圧巻は、この本の冒頭にある家系図でした。エアリー伯爵を通じて、チャーチル元首相や英王室のアレクサンドラ王女とも親戚になっている、という事が一目瞭然にわかり、非常に興味深い家系図です。
写真も随所に渡って掲載されてあり、このミットフォード家の娘たちが非常に美人だった事がわかりますよ。
この種の本(欧州の上流階級の実態を赤裸々に描いた本という意味で)は日本では余り発行されないので、貴重な本だと思います。
こんばんわ。
私はミドフォード家のことはあまり分らないのですが、とてもためになりました。
ありがとうございました。