まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

イギリス王ジョージ3世妃 シャーロット

2008-11-20 01:34:41 | イングランド王妃・王女
マリー・アントワネットのペンフレンド
ジョージ3世妃 シャーロット・オブ・メックレンブルク=ストレリッツ


1744~1818/在位 1761~1818

ジョージ2世の皇太子フレデリックが急死したため即位したジョージ3世は
正直さと敬虔さで国民から愛された王でしたが、シャーロットも才気があり
それでいて慎ましやかなところが王と同様に愛された王妃でした。

それにはジョージ3世の母親で
“ でしゃばり ” と不評だったオーガスタの存在も影響していると思われます。

       

王太子フレデリック同様、ジョージ2世とその妃キャロラインのことが
大嫌いだったオーガスタは、夫の死後も常に義父ジョージ2世と対決姿勢を崩さず
そのせいでジョージ(3世)は孤立し
即位後は母とその愛人と噂されたビュート伯の影響を受けすぎているとして
評判を落としたことがありました。

しかし結婚に関してはめずらしく母に反抗し、理想の女性と思われる女性を探し出そうと
信頼あついグレイム大佐に託します。
こうして選ばれたシャーロットは才気煥発で、特にお妃教育をしなくてもよいほど
出来た娘でしたが、オーガスタとは緊張が耐えなかったようです。
いずこにもありますねぇ 嫁姑問題。
国民はシャーロットに同情したようですね。

シャーロットは芸術にとても興味があったようで
彼女の音楽教師だったヨハン・クリスチャン・バッハのパトロンになったりしています。
また、8歳のモーツァルトは彼女の依頼で3曲のオペラを献上していますが
これにはもしかしたら、フランス王妃マリー・アントワネットの
アドバイスが影響していたかもしれません。

二人は直接会ったことはなかったのですが
やはり芸術を愛するマリー・アントワネットとの文通は
シャーロットにとってすごく楽しかったようで
音楽や絵画についての思いを熱心にやりとりしていました。

フランス革命の時には、シャーロットはフランス王家が亡命して来た時のために
住居まで用意していたと言われています。
マリー・アントワネットの処刑を聞いた時、シャーロットはとてもショックを受け
打ちひしがれたそうです。

でも会ってたらどうだったかしら? 全く違うタイプの二人のようですが・・・
シャーロットは派手でもなく、堅実なやりくりをしていたらしいんだけど
気が合うかなぁ? マリー・アントワネットと。
もしかしたらお互いがいい影響を与え合って
マリー・アントワネットの生き方も変わっていたかもね。

ジョージ3世は浮気もせず(珍し~)、二人は仲睦まじく
子供も15人産まれて幸せな日々を送っていたのですが、ジョージ3世は
度々精神異常に陥るようになり、子供たちも病気になったり反抗的になったりで
(そりゃ15人もいればさ・・・いろいろあるよね
晩年は気苦労が耐えませんでした。

特に王太子ジョージの素行の悪さ、三男ヨーク公の増収相事件関与、
次男、四男の女性関係に加え、末娘アミリアの駆落ち結婚などが
夫ジョージの精神異常を重くしていき、シャーロットを悩ませました。

最後には田舎の別荘のアームチェアーで、皇太子ジョージに腕をとられて
静かに息をひきとったそうです。
その約1年後、夫ジョージ3世が亡くなります。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版
      デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

    

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8 コメント

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ジョージ3世とヴィクトリア女王 (ケイコ・オカモト)
2011-04-11 16:42:45
まりっぺ様、お久しぶりです。

しばらく読んでいなかったのですが、久しぶりに読んでみたらたくさん書いてあってびっくりしました。
王や王妃の人生も色々ですが、子供たちも有名無名に関係なく波乱万丈だなあ、と思いました。
ジョージ3世に関しては、有名なジョージ4世以外の子供たちの事は全然知らなかったのですが、ジョージ3世の王女たちの話とヴィクトリア女王の娘たちの話を読んで感じたのは、ジョージ3世とヴィクトリア女王は似ているなあ、と思いました。

二人とも母親が強烈だったことや、長生きだったこと。子沢山であること。
二人とも子供を(特に娘たち)をそばにおきたがったことや両親が仲が良く品行方正だったにもかかわらず何故か子供たちが全員(とはいえませんが)問題行動が多いところとか、共通するところが多いと思いました。

又長々と書いてごめんなさい。
これからも楽しみにしてます。
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2011-04-11 23:41:21
ケイコ・オカモトさま
こんばんわ、お久しぶりです。

読んで下さってありがとうございます。

スピン・オフ気味に始めたんですけど、なんだか王妃より家系図が入り組んじゃって、楽しくて仕方がありません。
そんなわけで次回も王女シリーズでいくつもりです 

ジョージ3世とかヴィクトリア女王のことを読んでいると、王家における家庭的ってなんだろう…?と考えてしまいました。
家庭的というよりは強権だったんじゃないかなぁ、なんて思えたりして…
次回の王女シリーズでもそこらへんを探ってみたいと思います。
返信する
Unknown (ケイコ・オカモト)
2011-04-15 14:00:22
いつも丁寧なお返事ありがとうございます。

ヴィクトリア女王の娘のところを読んでいると、何だか子供の人生を自分の思い通りに管理しようとしているところが見られて娘たちを順々に嫁がせようとしたりして譲らなかったジョージ3世も変なところで頑固だなあ、と思います。

Wikipedeliaで改めて調べたら女王の父であるケント公は女王が生まれた翌年に亡くなってますが、その同じ年の同じ月に祖父のジョージ3世も亡くなっています。
在位もそれほど変わらないから、正直偶然かもしれませんが因縁めいたものを感じます。

お返事が遅くなってごめんなさい。
王女シリーズもすごく楽しいです。

返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2011-04-16 22:36:25
ケイコ・オカモトさま
こんばんわ

因縁めいた話しと言うと、ウィリアム4世はヴィクトリア女王の母ケント公妃がとっても嫌いだったようで、彼女が摂政にならないようヴィクトリア女王の成年まで生きられますように、と祈ったそうです。

祈りが届いたのか、ヴィクトリア女王が成年に達した1ヶ月後に亡くなっています。

歴史にはいろいろな噂や憶測や伝説がつきものですが、これもけっこうぐっとくるエピソードだなぁ…と個人的に思っています。
返信する
Unknown (花屋)
2015-09-10 20:37:22
こんにちは
赤毛のアンシリーズの「アンの愛情」の一節に、「ドーラはあのこの上なしの用心深さで知られたシャーロットそっくりだった。シャーロットは自分の発狂した恋人の体が戸板にのせられて通りすぎるのに「バタつきパンを切りつづけた」女性であるが、ドーラもどんなことにもめったに動揺しない、そういう幸運な人間のひとりであった。」とあり、「赤毛のアンの秘密」の著者、小倉千加子氏はこのシャーロットはジョージ三世妃シャーロットか、と書いているのですがどうでしょう。こんなエピソードあるのでしょうか。発狂繋がりかと思うのですが、妃がバタつきパンて…。
返信する
こんばんは (まりっぺ)
2015-09-14 19:34:12
花屋さま、こんばんは

ブログをアップしてなくて、コメントチェックもしておらず、お返事がすっかり遅くなってしまってすみません。

パンのエピソードは知らないですぅ。
王妃が自らパンを切る… 食事ではなくティータイムの話しでしょうか?

でも、子供たちがそろいもそろって不祥事を起こしてたから、だんだん肝が据わっちゃったのかもしれませんね。
ジョージ3世は、狂気に陥っては回復するという症状を繰り返していたらしいので、慣れっこになったのかもしれないですね。
返信する
Unknown (花屋)
2015-10-25 13:53:03
こんにちは
前回のコメント取り消します、違うようです。
シャーロット妃は関係なく「若きウェルテルの悩み」の想い人シャーロットだそうで、それを元にしたサッカレーの詩 からきているそうです。よそで読みました。おさがわせしました。ごめんね。
返信する
こんにちは (まりっぺ)
2015-10-27 14:25:09
花屋さま、こんにちわ

真相がわかってすっきりしましたね!
わざわざお知らせくださってありがとうございます。

『若きウェルテルの悩み』
ゲーテでしたっけ? 読んでないんですけど…
いつ書かれたか知りませんが、もしかしたらシャーロット妃がモデルだったりして…
返信する

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