毎日じゃないけど。
でもほぼ毎日くらい。
タマゴを割る機会がある。
自分や息子(3歳)の朝ご飯用にね。
でもなぁ。
これだけ毎日のように割っても、全然上手く割れないんだよな。
毎回のように、殻が入ってるんじゃないかと不安になってしまうのよ。
殻の入ったタマゴほど憎らしいものはない。
食べた時の、あのガリッとした違和感。
それを味わった時の絶望感。
心底悲しくなっちゃうんだよな。
だから毎回タマゴを割った後は、タマゴを凝視する事になる。
殻は落ちてないか。
綺麗に割れてるか。
例え数ミリの欠片でも、あっちゃいけないものだから、それはもう必死で探す。
食べる頃にはもうヘトヘトだ。
どうすりゃいいんだろう。
よく、料理の達人とかは、片手で割ってポンポンとボウルに落としてるよなぁ。
あれかっこいい。
いかにも料理が出来る人っぽく見えてくる。
ああいうふうにボクも割ってみたい。
あんなのがさりげなく出来たら、きっとモテると思うよ。
でも現実は、一個一個真剣に割る事になってしまうんだよね。
片手割りを真似でやってみた事は何度もあるけど、あんなの上手く出来やしない。
そして殻チェックなんてやっているもんだから、とてもモテる要素がない。
そりゃ割ってる数が違うからな。
あちらは毎日何百個と割っているのに対し、こちらは一日2個程度。
そりゃ比べようがないわ。
そういや、そうして割ったタマゴだけど、タマゴ焼きを作るのもあまり上手く出来ない。
黄身まで固くするのってどうすりゃいいんだろ。
ボクは柔くても固くてもいいんだけど、息子が食べやすいように固いほうがいいんだよね。
固くしようと思ったら裏が焦げるし、でも引っくり返したら黄身がペシャンコになっちゃうし。
愚妻はフタをしたらいいと言うけど、そうしたら黄身に白い膜みたいなのが出来て、見た目がよくない。
たかがたまごなのに、なかなか奥が深いよ。
いつか片手で割ったのを簡単に料理出来るようになったのを、さりげなくみんなに披露したいものだ。
でもほぼ毎日くらい。
タマゴを割る機会がある。
自分や息子(3歳)の朝ご飯用にね。
でもなぁ。
これだけ毎日のように割っても、全然上手く割れないんだよな。
毎回のように、殻が入ってるんじゃないかと不安になってしまうのよ。
殻の入ったタマゴほど憎らしいものはない。
食べた時の、あのガリッとした違和感。
それを味わった時の絶望感。
心底悲しくなっちゃうんだよな。
だから毎回タマゴを割った後は、タマゴを凝視する事になる。
殻は落ちてないか。
綺麗に割れてるか。
例え数ミリの欠片でも、あっちゃいけないものだから、それはもう必死で探す。
食べる頃にはもうヘトヘトだ。
どうすりゃいいんだろう。
よく、料理の達人とかは、片手で割ってポンポンとボウルに落としてるよなぁ。
あれかっこいい。
いかにも料理が出来る人っぽく見えてくる。
ああいうふうにボクも割ってみたい。
あんなのがさりげなく出来たら、きっとモテると思うよ。
でも現実は、一個一個真剣に割る事になってしまうんだよね。
片手割りを真似でやってみた事は何度もあるけど、あんなの上手く出来やしない。
そして殻チェックなんてやっているもんだから、とてもモテる要素がない。
そりゃ割ってる数が違うからな。
あちらは毎日何百個と割っているのに対し、こちらは一日2個程度。
そりゃ比べようがないわ。
そういや、そうして割ったタマゴだけど、タマゴ焼きを作るのもあまり上手く出来ない。
黄身まで固くするのってどうすりゃいいんだろ。
ボクは柔くても固くてもいいんだけど、息子が食べやすいように固いほうがいいんだよね。
固くしようと思ったら裏が焦げるし、でも引っくり返したら黄身がペシャンコになっちゃうし。
愚妻はフタをしたらいいと言うけど、そうしたら黄身に白い膜みたいなのが出来て、見た目がよくない。
たかがたまごなのに、なかなか奥が深いよ。
いつか片手で割ったのを簡単に料理出来るようになったのを、さりげなくみんなに披露したいものだ。