ITSを疑う

ITS(高度道路交通システム)やカーマルチメディア、スマホ、中国関連を中心に書き綴っています。

神社というビジネス

2017年12月11日 | 雑記
富岡八幡宮の事件で思うこと。
まあ、簡単に言っちゃえ姉弟ともに金遣いに問題ありだったようだけど、金のなる木があれば人間は贅沢をするものだしそうした場面で骨肉の争いが起きるのは世の常。
問題は、どうやらそれがあまりに美味しい金のなる木だった、ということなのかもしれない。

そこで、神社というビジネスモデルについて考えてみたい。

神社は歴史的な名声が確立されていれば失敗のないビジネス。何かを仕入れて加工販売するわけじゃないからオペレーションも難しくなく、新商品を出さなければいけないとか、品質管理とかの心配も殆どない。また、氏子を除けば一般参拝客に関しては顧客管理も顧客満足度も関係ない。経営失敗リスクが非常に少ない、つまりは誰でもできるビジネスだといえる。

業態的にはアミューズメントパークに近い。そもそも日本人は本気で神様を信じてないんだからその宗教的な意味はディスニーの魔法と似たり寄ったりだろう。
アミューズメントパークのように計画的にアトラクションを更新する必要もなく、歴史的な重みがあれば何もしなくてもリピート客は離れることはない。
このビジネスが顧客にもたらすものはなんなのだろう?
メーカーであれば、良い製品。サービス業であればサービス。アミューズメントは思い出に残る経験。
一方で神社が基本的に顧客へ提供するサービスは「ご利益」という目に見えない、またその効果も誰にも証明できないものだ。
たから顧客満足度は余程のことがない限り下がることはない。少なくとも顧客は喜んで数百円のお賽銭を支払い、満足して帰る。

宗教法人という税制優遇と領収書発行の必要がないお賽銭という収入がある一方、コスト側は設備の保守と一定数の管理スタッフ、お守りなどの販売スタッフだけでいいので利益率は表向きの財務表でもかなりのものになるだろうし、間違いなく簿外利益もあるだろう。

このビジネスのトップになれば、それは美味しいということは誰にでもわかる。
神様に捧げられたはずのお金でベンツを買います、クラブに通います、豪邸建てます、というのはとても品位がない行為だけど、いざその立場になったら人間は弱いものだ。

だからこそ上部組織の神社本庁があり宮司の任命権を持っているのだが、神社本庁加盟の神社だからといって経営上特段のメリットもないわけだからそのグリップには限界がある。
実際、その疑惑と身内内紛から神社本庁が宮司就任を認めなかったから離脱したわけで。

ということで、このビジネスを健全にすることはとても難しい。社会的権力者のような人が監査役(氏子代表?)になるくらいしか解決策はないのかもしれない。

余談だけど、今回の件に関しては姉弟のどちらか一方、もしくは神社本庁が極悪人だとするメディア記事が複数存在し、これは当人たちのメディアを使った印象操作工作合戦だとおもうんだけど、週刊誌の記事は余程疑ってかからないといけないという教訓。


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