ITSを疑う

ITS(高度道路交通システム)やカーマルチメディア、スマホ、中国関連を中心に書き綴っています。

ETC2.0 案の定普及キャンペーンが始まった

2016年01月11日 | ITS
この先まだなりふり構わない普及策をするだろうと以前のエントリーで予想していたが、案の定今年の1月初めからETC2.0の「アンケートモニター」キャンペーンがはじまった。
VICSホームページ ETC2.0 アンケートモニター募集 
先着5000名に対して、WEBで実施するアンケート(計4回)に回答することを前提に購入に際して2万円を補助するという。
現在通常のものも含めETCは5000万台程度普及している。これに対して5000台という数字はいかにも少ない。この程度の台数を増加させても普及という意味では焼け石に水のような気がする。
「キャンペーンで認知が広がり、その利便性に対する口コミが広がって波及効果が期待できる」と企画書には絶対書いてあるはずだが、実はそんなことはないと思いつつ企画されているのだろう。
本当にいいものであれば、「DSRC対応車載器」と呼ばれていたころにもっと普及している。というか、その当時にもこうした補助金キャンペーンは何度か行われている。
在庫がのこって困っているメーカーさんに対する対策のようなものなのではないかと邪推してしまう。

しかし、2万円の補助金がついても通常のETCよりはるかに高い。現在オートバックスでの価格は取付、セットアップ込で5万円程度する。

現在、ETC2.0の車載器を購入しているユーザーは2.0対応市販ナビ購入時に「せっかく機能があるならそれが使えるETCにしよう」という人だけだろう。メーカー純正ナビが高いから市販にする人ではなく、メーカー純正ナビよりも高級な機能を求めて市販ナビを買う人たちで、こうした趣味的なユーザーの数は決して多くない。
だから2万円の補助をつけて5000台、ってのが精一杯なのではないか。

5000台でも1億円、キャンペーン企画・告知等入れればそれ以上の費用が掛かっている。
その財源は通行料金だ。

中国のダメさ加減をあざ笑うだけでは将来はない

2016年01月10日 | 上海生活
最近、TVや雑誌を見ていると中国や韓国のデタラメさに関する報道が目につく。日刊ゲンダイのように明らかに誇張されたものもあるが、概ねそれは真実だ。しかしその情報元はほとんどが現地の報道であり、こちらでも「事件」として取り上げられたものばかり。
日本にいるとそうしたことが日常的に起きているかのように感じてしまうかもしれないが、実際はそれほどのことはない。

こうした報道が多くなられるのは日本の大衆が喜ぶからに他ならず、それは最近の日本経済・製品の凋落に対して安心を得たいという心理によるものではないのか?

たとえば「中国の旅行者が日本でエスカレーターでなぜ片側を開けているか最初は理解できなかったが、急ぐ人への配慮だとわかり感動した」なんてのがあったが、中国、少なくとも私が住む上海でも普通に見られる。
周りには日本に旅行する中国人が沢山いるが、感想を聞くと「ホテルの部屋が狭い」「どこにもゴミ箱がなくて困った」くらいで、別に何かに感動してきたということもない。
中国では交通事故があっても誰も助けないという報道が日本で広まり、相当サツバツとした社会なのだろうと思っている人が多いが、私の感想でいえば中国人は日本人からみるとお節介と思うほど見知らぬ人に対して親切で人懐っこい。中国では公共交通機関で老人や妊婦への席を譲るのは当たり前だし、路上生活者に恵みを与える人も多い。

確かにレストランの従業員が気が利かない、というのはあるが、最近のチェーン店ではCS教育がしっかりしていて相当改善されている。

むしろ日本より遥かに進んでいると感じるのはITサービス。スマホで検索し予約し、支払いまですませるということがたいていのサービスで提供されている。また無料Wi-Fiはどこのレストランでも当たり前に提供している。
日本もオリンピックでおもてなし、とかいうなら少なくとも新幹線の座席予約くらいは海外からネットでできるようにしないとダメだろう。

中国のスピードは早い。米国留学した若い起業家たちがどんどん出てきている。沿岸部・大卒の若い人たちを見ていると、これはいずれ日本は負けるかもな、という危機感を私は感じる。
まだまだ日本の足元にも及ばないなんて安心していると非常に危ない。

自動運転の展望

2016年01月03日 | ITS
新年明けましておめでとうございます。今年も東京で正月を過ごし、4日に上海に戻ります。

新年の新聞報道などでは16年は自動運転への舵が切られる年というような論調が目立ちましたが、新聞記者の見方はどうも浅く、実際にはまだまだその道のりは遠いと思っています。
とくに、昨年安倍首相が「東京オリンピックでは自動運転のタクシーが東京を走り回る」というコメントをしたことからかなり楽観的なイメージができているようですが、2020年に「走り回る」ことはありえないでしょう。

半自動運転と完全自動運転の間には相当大きな壁があります。
その大きな壁として一般紙が指摘するのは「法整備」と「ハッキング」ですが、実際はそれらより大きな問題があるのです。

法は実態に即して変えればいいこと。
ハッキングに関しても、通信が車両のCAN通信に関与し制御系まで介入する状況になれば可能性は有りますが、それで闇ビジネスができるわけではなく、愉快犯や特定の殺人にしか用途はない。まあ、街を歩いていて包丁で刺されるのと同じようなリスクであり、これは心配しても仕方がない。

それらより大きな障害は大別すると2つ。
一つは、完全自動運転の場合は制御を安全に振らなくてはならない。
人間が運転する場合は、多かれ少なかれ「だろう」運転をします。「だろう運転は事故の元」と教習所では習いますが、実際はそれがないと交通はスムースにはいかない。この状況から考えてあの車が止まってくれるだろう、あの歩行者は飛び出さないだろう、ということで交通は成り立っています。しかし完全自動運転車両は止まらないかもしれない、飛び出すかもしれないという制御をしなければならない。
その理由は、万に一つのリスクでもカーメーカーとしては回避する必要があるからです。
つまり、人間ドライバーは万に一つのリスクは状況判断で背負って運転しているということ。

結果として、車車間通信、人車間通信でお互いの動きを制御できるようになるまでは自動運転車両はあまりに慎重な運転により渋滞を引き起こす事になります。実際GOOGLEカーは交差点で後続車の予想に反して止まってしまい追突される、という事故が多く発生しているようです。

もう一つは、前の理由でも若干触れていますが、カーメーカーは万に一つのリスクも回避する必要があるということ。
人間より優れた自動運転車であっても、60キロで走行している時に目の前に飛び出しがあったら衝突は回避できません。その場合の訴訟問題は完全自動運転車の場合はカーメーカーが被告になります。このリスクは取らないでしょう。
したがって、自動車専用道路等のインフラが整備できない限りカーメーカーは完全自動運転には手を出せない。半自動運転にしておいて、あくまで最終の事故の責任は運転者にあるようにするしかない。

以上の状況から、当面は高速道路での運転支援とか、自動車庫入れいった形のものが徐々に導入されてくることになります。今年はそれらを装備した車が市場に投入されるでしょう。これはどちらかと言うと安全装備というより快適装備であり高級車からの導入になると思います。

自動運転のゴールは交通事故の完全撲滅と老人や障害をもつ方へのモビリティの提供ですが、その実現はまだまだ先ということになります。

現在の半自動運転のテクノロジーはすべて完全自動運転への途上にあるもので、無駄なことは一つもありません。
しかし完全自動運転の社会が実現するためには道路インフラの根本的な整備が必要であり、その実現は相当先の事になると私は考えています。