ITSを疑う

ITS(高度道路交通システム)やカーマルチメディア、スマホ、中国関連を中心に書き綴っています。

土用の丑の日で思う違和感

2013年07月16日 | 雑記

今年も土用の丑の日が近づいてきた。
各メディアは、「不漁による価格高騰で高いけどスタミナ付けよう」みたいなほのぼの系の記事とか、「ウナギが絶滅危惧種に認定されたらもっと価格が高騰する」というような論調しか見られない。本当にこんな認識で良いのか?

多くの人がご承知だと思うが、ウナギは完全養殖が出来ず、資源は天然の稚魚に頼っている。
最盛期は200トン/年の水揚げがあった日本ウナギの稚魚は2013年には5.2トンまで落ち込んでいる。
この数字からはこのままとり続ければ必ず絶滅するとしか思えないのだが、メディア報道にはそうした切迫感はなく、もっぱら「高くなったか困る」としか言わない。

絶滅危惧種になったら鰻屋は悲鳴をあげる、とかいっているが、このままとり続ければ悲鳴を上げることすら出来なくなるのだ。

また、中国が国を挙げてうなぎの養殖をし、これが乱獲に拍車をかけているというような報道もあるが、食べてるのは日本人でしょ。

その上、日本ウナギが少なくなったからといってタスマニアウナギの稚魚をつかうという。地球上からウナギがいなくなるまで食べつくすつもりだろうか?
多分、自分が生きているうちは大丈夫だとみんな思っているに違いない。

ウナギが減ったのはダムや河川のコンクリ化である、という話もある。それもその通りだが、そうして減ってきた資源を今までと同じ様に消費すれば急速に絶滅に向かうのは自明のことだろう。

ウナギが日本の伝統的な庶民の食文化に結びついているから、庶民的世論に迎合するメディアはぬるい論調になる。
たとえそれが伝統だろうか庶民的だろうが、絶滅しそうなものは保護するしかないだろう。

ディスプレイオーディオ

2013年07月09日 | ITS
ディスプレイオーディオ、通称DAとは一見カーナビに見える液晶画面をもったカーオーディオのこと。
スマートフォンを連携させることによりカーナビにも使えるし、スマートフォンの情報を表示することでネット上のコンテンツが使えるということから、将来の普及は鉄板だといわれている。
これについて、懐疑的な考えを持っていた。スマフォ連携というのはそんなに垣根が低いものではなく、ある程度のデジタルリテラシーが必要。一家に1台の共用車の場合、ガラケー、アンドロイド、iPhoneが混在してもやっていけるのか、ということが疑問だった。

しかし、実はどうもそうではないのだ。ディスプレイオーディオ化というのは、液晶7インチ画面が全車に標準装備される、ということであり、必ずしもスマフォ連携を意味しない。

液晶のコストが下がったことから、低価格類別にも7インチ画面を装着し、そこに各種情報を表示する。
ナビがほしければ、ナビユニットを付ければいい。もちろん、スマフォ連携もできる。

ディスプレイオーディオになればスマフォ連携でカーナビは駆逐されるという見方があるが、私は本命はナビユニット別売だと思う。そしてさらに次のステップでは低価格類別にもナビが標準装備されるだろう。

スマフォ連携といっても、スマートフォンに表示される内容をそのまま車の液晶画面に表示し、タッチパネルで操作できるようになるわけではない。これは技術的には可能、というよりそのほうが簡単なのだが、運転操作への支障を考えるとそれは許されない。歩きながらのスマフォいじりが社会問題化しつつある中、運転中はもってのほか。
したがって運転中操作できない、且つ視認性のいい専用ソフトしか表示しない、というような制約が出てくる。

そして、そのコンテンツ自体はスマフォがもたなければならない。先に書いたように、一家に1台の共用車の場合、各人の電話機にそのソフトを仕込まなければならない。メカに弱いお母さんが付いていける世界には思えない。

この先のスマフォとDAの連携拡大は否定しないが、カーナビについて言えば車の基本装備としてわかりやすく実用的なものが標準装備される、というのが最終形だと思っている。
むしろ、ディスプレイオーディオはそこにいく過程の商品なのではないか。

上海古北地区 ビトンビルオープン

2013年07月07日 | 上海生活
7月5日、上海古北地区、日本大使館の近くに尚嘉広場、通称「ビトンビル」がオープンしたので行ってきた。
ルイビトンをはじめとする高級ブランドモールと、地下の日系百貨店久光(旧そごう)系のスーパーマーケットと食料品という組み合わせ。
スーパーの品揃えは強力で、日本食材も地方の醤油やポン酢など、幅広い品揃え。
それなりに人は入っていたが、グランドオープン最初の日曜としては今ひとつかもしれない。
ここは地下鉄の駅からはかなり歩く。また、周辺に日本人向け商店等はないので、ぶらりとくる所ではない。
久光のスーパーはわざわざ来る価値のある品揃えだといえるが、古北に住む日本人駐在員の奥さん達がバスやタクシーを利用してどれだけ来てくれるかが今後のポイントだろう。

さて、ここは今まで色々書いてきた上海高島屋と商圏が重なる。
高島屋には欧州系高級ブランドはなく、中国の富裕層が行く場所ではない。
また地下の食料品もビトンビルの久光には完全に負けていて、日本人としても行く価値は小さくなった。
相当大きな改善をしない限り、高島屋に将来はないだろう。

また、日本語の乱れだって。

2013年07月04日 | 雑記
岐阜の71歳の男性がNHKに対して「外来語が多すぎ精神的苦痛を受けた」として訴訟を起こしたというニュースがちょっと話題になった。
この人は「日本語を大切にする会」世話人だそうで、NHKに対する訴訟というのは象徴的なものだろう。

訴状にある(らしい)ケアとかリスクという言葉を日本語で言い換えたほうがいいかどうかは、人それぞれ意見があると思う。
人それぞれの意見が自然に集約されて言葉は出来ていくものだから、NHKに訴訟を起こしても殆ど意味はない。
しかし、各メディアで取り上げられある程度関心を集めたという意味では、訴訟の効果はあったのだろう。

これに対するメディアの対応には微妙なものがあった。大雑把に言えば、「日本語にはカタカナ文化が存在するが、しかし安易に外来語を使うのはいかがなものか」という、ばら色なものが多かったように感じる。どうも、メディアは世論の顔色を見ているな、と感じた。

言葉は揉まれて変わっていくものだから、何がいいとか悪いとか個人の感想を述べても大した意味はない。ただ、こうした「日本語を大切にする」系の人にとっての日本語は何を基準にしているのか? 一体どこまでさかのぼるべきだと考えているのだろうか? 10年?20年?戦前?明治?江戸時代? 外来語がだめなら漢字が渡来する前までさかのぼらなくちゃだめでしょ。

要は、こうした人は自分が正しいと思っている言葉が正しい日本語で、それはたいてい「自分が教育を受けた頃」の言葉なんですよね。それ以降の変化を「乱れ」と捉える。このタイプの人は若い頃に確立したライフスタイルを絶対に変えない。スマフォなんか絶対使わない。

ここまで書いて、この文書に出てくるカタカナは「ニュース」「メディア」「タイプ」「ライフスタイル」「スマフォ」。
ちなみに、これをカタカナがない中国では「新聞」「媒体」「類型」「生活方式」「智能手机」と表記します。