ITSを疑う

ITS(高度道路交通システム)やカーマルチメディア、スマホ、中国関連を中心に書き綴っています。

ソニー・ホンダモビリティ 新EV「アフィーラ」の危うさ

2023年02月13日 | 自動運転

1月のアメリカCESで発表され、2年後の発売に向けて先行予約の開始がアナウンスされたソニーのEV。
先日ラジオを聞いていたら、車に詳しいITライターの人が単純に「これはすごいことになるでしょう」とお話しされてましたが、私は非常に悲観的。

番組ではまず、「クルマはスマホになるといわれており、ソニーとホンダの協業の未来は明るい」的な話から始まりました。
いやいや、ソニーのXperiaって世界的に見たら決して成功してないよね?という突っ込みはおいといて。

この「クルマはスマホになる」、耳にタコができるくらい聞く言葉ですが私はならないと思います。なぜなら、車に乗るときスマホはすでにポケットに入っているから。
ネットに繋がり、ソフトのインストールでカスタムができ、エンターテイメントを楽しめる、というのがどうやらクルマはスマホになる、の根拠らしいけど、そんなこと言ったらデスクトップパソコンはすでにスマホだよね。でもデスクトップパソコンはスマホだ、とはだれも言わない。

なぜか

持ち歩けないからです。家でしか使えないものはスマホではない。

一方、クルマは移動時につかえるからデスクトップパソコンよりはモバイル性があるかもしかもしれないけど、でも目的地に着いたら駐車場に置いておかなくてはならない。
「クルマでの移動時にしか使えない」スマホなんて要ります?私は要りません。ポケットに入ってるiPhoneで十分です。

さて、この方のお話、後半は車内エンターテイメントが中心になりました。クルマは自動運転になる、すると人は運転業務から解放される。すると何をするか?ゲームだ。ソニーはゲームの世界でPSという非常に大きな資産を持っており、これが大きなビジネスチャンスにつながる。ということのようです。

この、自動運転で運転から解放されることで生まれる市場ってのも、特にテック系の人たちから過大評価されてますね。
有料エンターテイメントやら、ショッピングやらで莫大な市場が生まれる、とか。

本当かね。

まずはこの車、おそらく1000万円くらいする。裕福層しか買わない。クルマの中でちょっと時間ができたらすぐゲームしたい層とは多分マッチングしないでしょう。
そもそも運転業務から解放されたらみんな嬉々としてゲームをするのか?という疑問があります。例えばいまでも助手席の人は運転業務から解放されてる。なんで助手席専用ゲーム機がないんでしょうか?
タクシーに乗っているときは運転しなくていい。じゃみんなゲームしてますか?飛行機も運転しなくていいし、目の前にモニターがある。どれだけの人がゲームしてます?

移動時間中のエンタメなんて、ポケットに入ってるスマホでSNSチェック、で十分なんじゃないでしょうかね。
もちろん、運転しなくてよくなったからっていきなりネットショッピングをはじめる人もそんなにはいないでしょう。

ソニーとホンダが組んだら誰もが想像すらできなかったすごいことが起きる、という論調もあるけど、この分野はもう10年以上騒がれているから、もう「誰も想像すらできないすごいこと」なんてないんだ、と考える方が自然です。

ソニーが展示したこの車、じっさいかなり苦悩されたとおもいます。フロントグリルにフロントバーと称するインフォメーションディスプレイが付いていますが、ソニーっぽさを出すにはこれくらいしかなかったんでしょう。クルマのフロントグリルに情報表示するなんてまったく使い道がないってことは百も承知で、でもそれくらいしか思いつかなかった、というのが正直なところじゃないのかな?

もちろんソニーの強みである各種センサーで自動運転方面ではいろいろなことができるでしょうが、それ自身がキラーコンテンツとなるものではありません。
ソニー+ホンダという往年の日本ブランドの協業というクールジャパン的ブランドパワーでそこそこの台数は売れるとは思うけど、私はそれ以上の物にはならないと思います。

 

蛇足だけど、クルマとゲームの融合で唯一優れていること。それはドライブ系ゲームです。

シート、ハンドル、ブレーキ、アクセルが付いているから、ハンドルコントローラーが要らない。これ、シートや大画面液晶の本格的シミュレーター買おうとすると数十万円かかりますからね。

以上です。


自動運転車がITプラットフォームになんかならないと思う3つの理由

2022年01月31日 | 自動運転

今年のラスベガスCESショーで自動運転車のコンセプトを展示したSONYの吉田会長は「車の価値を『移動』から『エンタメ』に変える」と語っている。

ソニーグループのトップがモビリティー分野で示した「価値観の大転換」

これに限らず、今後車が自動運転になることで車は単なる移動手段からITプラットフォームとなるのだ、という論調がIT業界から聞こえてくる。
しかし、私はどうしてもそんな未来が来るとは思えず、むしろ壮大な勘違いではないか、と思う。

先ず第一の理由
単なる通話コミュニケーション機器だった電話機は携帯になり、そしてITプラットフォームであるスマホに進化した。同じことが車に起きようとしている、という考え方がある。
しかし、携帯電話はその名前の通り携帯するもので、スマホとなった現在、朝起きてから寝るまで身に着けていることができる。

しかし車は基本的に移動の道具であり、移動にしか使わない。この最も基本的な事実をなぜ無視するのだろうか?一日の中で車の中にいる時間がどのくらいかを考えれば、そんなものをITプラットフォームにして何の意味がある?それをありがたいと思うのは終日車の中にいる職業ドライバーの方だけだろうが、自動運転の世界ではその職業ドライバーも存在しなくなるのだ。

第二の理由
前項とも関連するが、もうすでにポケットに中にスマホが入ってるということ。移動中のITプラットフォームという意味ではスマホはすでに不動のものであり、さらにこの先まだ進化するだろう。もちろん車の中でも使える。そうした状況の中で、車から降りたら使えない「スマホ化した車」に何の意味があるのだろうか?
いうまでもないことだが、車というものは目的地に着いたら降りなくてはならない。コミュニケーション、エンタメ、ショッピング、なんにせよそこで中断を余儀なくされることになる。

第三の理由
完全自動運転が実現した世界で、はたして人は車を「所有」するのだろうか?という問題がある。
すでにタクシーやシェアカーがあるのに人はなぜ車を所有するのか?高級車ではブランド品と同じような所有満足という世界も存在するが、一番の理由は「使いたいときにすぐ使える」からだろう。しかし完全自動運転の世界では、車は使いたいときに来てくれ、タクシーのように乗り捨てできる。その状況でまだ所有にこだわる人は多くないだろう。捕まえるタクシーの車種を誰も気にしないように、ユーザーはブランドや車種の決定には関与しない。車種はフリート業者が決めることになる。現実的に考えれば、車種選択で一番重視されるのはコストだろう。
スマホ化した車であれば利用者が車内広告、エンタメや車内e-コマースを利用するからマネタライズできる、という意見もあるがそれはあまりに楽観的過ぎる。ないとは言わないが、せいぜい交通広告の一種というレベルの話だろう。

自分で運転をしなくていい移動という意味では電車バス、タクシーや飛行機と自動運転車に差はない。とくにタクシーと飛行機はプライベートな空間を持てるということで自動運転車と類似する。では現在そこでどれほどのビジネスができているか、と考えればおのずと答えはみえてくる。

車はそもそも自分で操縦するというエンタメ性とブランド価値による所有満足があるから冷蔵庫や洗濯機などに比べてはるかにエモーショナルな消費財だ。市場規模もけた違いに大きい。だからこそ、ITとの結びつきでなにかでかいマーケットが存在するのでは、とIT業界は思うのだろう。
しかし自動運転車は運転するというエンタメ性が失われ、さらに所有からシェアにかわり、電車やバスとおなじ「単なる輸送機器」になる。モビリティという意味では革命的な変化が起きるだろうが、その車内でなにか革命的なことが起きる必然性はなにもない。


はたしてSONYは車を作れるのか

2022年01月09日 | 自動運転

本年のラスベガスCESショー2022でソニーは2022年春に「ソニーモビリティ株式会社」を設立し本格的にEVの市場参入を検討すると発表した。
果たしてどこまで実現性のある話なのだろうか?

1月9日つけのCarview記事

リンク先記事では、家電メーカーの自動車参入はハードルが高いと指摘している。
一方で、「ソニーがカメラに参入するときや、ホンダがプライベートジェットに参入するときにも無理だという人がいたが結果をみてみろ」、という反論がある。

筆者の見解は前者に近い。それについて説明しよう。

自動車メーカーはどこもいまだに毎年大規模なリコールを出している。リコールするのは人命にかかわる重大な問題であり、またそこまで至らない自主改善などの不具合がその数倍発生している。これは自動車メーカーの怠慢ではなく、主に設計時点では想定外の使われ方や消耗、経年で露呈した部材の不適合などによるもので、市場からのフィードバックにより発見され改善されていくものだ。
引き合いに出されたカメラの不具合と車の不具合ではその構造やスケールが全く違うし、そもそもカメラで人命にかかわる問題は起きない。

自動車メーカーはこうした過去の失敗の蓄積を50年以上にわたり蓄積して設計に反映している。新規参入者には絶対に手に入れることができない財産なのだ。
問題があれば即人命にかかわるジェット機にホンダは参入したが、発売までに30年かかっている。
いやいやテスラはいきなりEVに参入したではないか、という人もいるかもしれないが、テスラのトラブルの多さは誰もが知るところ。大雑把な言い方をすれば、イーロンマスク氏の個人的なカリスマ性だけで支えられているようなメーカーだ。

そのテスラは莫大な先行投資で生産ラインを作り、利益が出るまでには相当な年月がかかってる。(現在は黒字化しているが、多くはco2排出権の販売によるもの)
これもイーロンマスクの個人企業だからできることで、ソニーにその胆力があるだろうか?

また、自動車販売には販売ネットワークが必要だ。ネット販売になり実店舗ディーラーなどいらないのだ、という意見もあるが、車には定期的なアフターサービスがあり日本中をカバーする物理的なネットワーク拠点はどうしても必要となる。

ということで、革新的技術力やスピリットだけではどうにもならないハードルがある。
それを乗り越えるためにはすべてを一手に引き受けるカリスマ経営者がいないと無理だが、残念ながらSONYはそういう体制にはなっていない。

生産に関しては、おそらくすでに稼働しているEV工場(多分中国)にオリジナルのOEMを生産させるという方法以外ないと思う。中国の自動車メーカーも大手であればそこそこ経験の蓄積が進み品質は上がってきている。そこでどこまでSONYブランドを発揮できるか、がカギだろう。

販売ネットワークに関しては、自前でやるのはまだハードルが高い。既存の家電のネットワークは物理的な修理工場スペースがないので新規構築が必要になる。

巷でよく言われる、EVがエンジンがないので家電が参入できるのだ、というような簡単な話ではない。


自動運転タクシーへの過剰な期待

2022年01月02日 | 自動運転

将来自動運転が相当レベルに普及し、それにより自動運転タクシーがモビリティの主役となり自家用車やその他公共交通機関は衰退していく、というのは実現までの時間軸の議論はあるにせよ既定路線であることは間違いない。

時間軸に関しては、人車の完全分離インフラがいつ実現されるかにかかっている。どんなに優れた自動運転制御も突然の飛び出しには対応できない。しかしこれも段階的に進んでいくことになると思う。

自動運転の拡大については全く異論がないのだが、自動運転及び自動運転タクシーに関してはそのビジネスモデルに対して楽観的な言説が多い。

たとえば自動運転タクシーは無料もありうるというこの記事

タクシーのコストの過半をドライバーの人件費が占めること、またビッグデータ処理により適正配車をすることで実車時間が大幅に向上することなどから、自動運転タクシーは車両のコスト高という初期投資を十分にカバーできるほどコストが下がることは間違いない。

しかし、広告収入に過大な期待をもつのは非常に危険だと思う。
タクシーに限らず、自動運転化により運転が不要となるため車内でのEC需要が発生するという見方は以前からされており、アップルやGoogleが自動運転に乗り出す真の理由はそれだ、という人もいる。

本当だろうか?

私には、しょせん交通広告の一種であるとしか思えない。
じっさいタクシーにはすでに液晶モニターが設置されている。これは自動運転とは直接関係ない。しかし、このタクシーに設置されているデジタル広告が大成功しているという話はあまり聞かない。事実上海で2013年ころからこの事業を展開した中国企業は撤退した。

それはそうだろう。ほぼ100%の人のポケットにはスマホという自分に最適化された液晶モニターが入っている。わざわざタクシーの画面を見る必要はあまりない。
自動運転車のモニターやデジタルサイネージは電車の中吊広告とたいして違いのない交通広告なのだ。
いや、属性や目的地に応じた広告を出せるのだ、という反論もあるかもしれない。確かにその通りだが中吊広告よりはまし、という程度のことなのではないか。

どう考えてもタクシー料金を相殺できるような広告費を広告主からとれるとは思えない。

さらにリンク先の記事は道路状況や交通状況データの販売に関するオポチュニティがあるとしているが、誰に販売したところでそのデータを買って使うのは当の自動運転車じゃないのか?というか、それ以外に誰が使うのか、ということになる。

自動運転車はドライバーが不要、事故を起こさないからおそらく保険料もやすくなり、また適正配車による生産性もアップするだろうから相当に料金は安くなるだろうが、無料化にできるビジネスモデルが構築できるとは到底考えられない。


車の価格は2030年には5分の1になる?

2020年11月11日 | 自動運転

日本電産の永守重信会長兼最高経営責任者(CEO)は11月10日、第22回「世界経営者会議」において、「2030年に自動車の価格は現在の5分の1程度になるだろう」と述べた。
日経リンク(日経のリンクは短期間で消えます)

要約すれば、
1.カーメーカーがハードウェアで勝負する時代は終わり、ソフトが重要になる。
2.使う部品は専門のメーカーに任せることになる。専門メーカーがシェアを取ればコストが下がる
3.今はバッテリーの価格が高いから車の価格も高い。しかしEVのバッテリー価格は技術革新でまだまだ下がる
4.2030年にはEVのシェアが50%を超える。その頃には車の価格も5分の1くらいになる。

なぜバッテリー価格が下がると車全体の価格が5分の1になるのかさっぱりわからない。駆動及び駆動制御は車の根幹ではあるがあくまで一部だ。
現実的には「2030年時点でEVはガソリン車並の価格程度まで下がる可能性がある」くらいのことだろう。

永守会長は現在カーメーカーが部品を作っていると思っているのだろうか?カーメーカーが作っているのはエンジンと骨格、板金パネル位のものでその他の部品はすべて専門のメーカーが作っている。その部品メーカーも相当な努力でコスト低減を重ねており、簡単にコストが下がるわけがない。言い間違いであると信じたい。

ただし、そうは言っても今後車の価格が劇的に下がる可能性がないわけではない。
それをもたらすのはEVではなく、自動運転だ。

自動運転は先進技術が必要だからむしろコストが上がるのでは?と思うかもしれない。なぜコストが下がるのか?

そのポイントは車という商品のポジショニングが根本から変わる可能性にある。それはどういうことか?

現在の車は人間が運転することを前提に作られている。自動運転の車には要らない物がついている。もちろんハンドルやアクセルと言った操縦装置が要らなくなるが、話はもう少し複雑なのだ。
わかりやすい話が最高速度。自動運転車は速度違反をしないから、制限最高速度を超える性能を保つ必要がない。自動運転車はカーブの手前で安全な速度まで減速するから、コーナリング性能等を考える必要もない。自動運転車は原則ぶつからない車だから、衝突安全を考えなくてもいい。
人間が運転しないから、乗り心地や騒音以外の「官能性能」、加速感とかハンドリングとか、は一切考慮しなくていい。

そして、もう一段階進むと車は輸送機器になる。
自動運転車は呼べば来る、好きなところで降りていい。自家用車よりはるかに便利なので自家用車を持つという発想がなくなるかもしれない。
そうなると車という商品は公共財のようなものになる。ブランドやスタイルには誰も関心を持たなくなる。電車やバスと同じ。

そうなるとメーカーとしても差別化の意味がなるなる。すべての車を同じにして大量生産し徹底的にコストを下げる方向になる。部品の共通化、大量生産化が進み、また差別化に使われていた装飾的な部品のコストも不要になる。

そこまで行けば5分の1も夢ではないかもしれない。
そんな世界は私は嫌だけど。


Uber自動運転車のアリゾナ人身事故は人災では?

2018年03月23日 | 自動運転
Uberの自動運転車がアリゾナで起こした不幸な人身事故について、当初は不可抗力だったのではないか、と思っていた。
しかし、公開されたドライブレコーダーの画像を見る限りそうとも言えないと感じる。

まず、画像からみるにこの女性は決して飛び出していない。40代の女性が自転車を押して道路を横断するというのは普通はかなりゆっくり動いている筈。
どんな安全装置がついていても急な飛び出しには対応できないが、これは当てはまらないと感じた。

また、地元警察は影から急に出てきたから人が運転していても避けられなかった、というコメントをしたが、これには大きな疑問がある。
どうもこの車はロービームで走っているように見える。時速40マイルということだが、40マイルでハイビームなら道路を横断する人間は問題なく事前に確認できるはずだ。
あの道を人間が運転していたら通常はハイビームにすると思うし、であれば間違いなく避けられた事故だと思う。

なぜハイビームでなかったかといえば、自動運転車はレーダーや赤外線感知が装備されていて見えないものも見えるから、ということなのだろうか?
自転車を押す女性という、急な飛び出しではない障害物であればレーダー捕捉による衝突回避は間違いなく可能なはずだ。あれが回避できないのであれば自動運転装置として成立していない。私はレーダー等に不具合があったのではないかと推測する。

また、通常自動運転車はレーダーの他にカメラによる画像認識を行っている。画像認識を行うのであればハイビームでなければおかしいがこれはどうなっていたのか?

いずれにしても、ビデオを見る限り人間運転だったら(ハイビーム走行で)回避できたし、またまっとうに機能している自動運転車であれば当然回避できた事故に見える。

追記
機械任せにして死亡事故が発生した、というとそのリスクに対して過度なバイアスがかかる可能性があるが、この事故をもって自動運転車は危険である、というような論調にはなってほしくない。
本来正しくセンサーが機能していれば人間運転よりも自動運転のほうが事故は少なくなる。自動運転は将来的に交通事故を劇的に減らすことができるテクノロジーなのだ。

自動運転車の事故責任

2018年03月21日 | 自動運転
国土交通省は自動運転車両の事故とその賠償責任に関して検討してきた有識者研究会の報告書を公表した。
Nifty News 自動運転事故は所有者に責任
これは乗車者が運転に全く関与しない完全自動運転車、いわゆるレベル4のことを言っていると考えられる。レベル3までは運転者の責任であることは明確。

それによれば、事故に対する賠償責任は車両の所有者に有ることを確認し、車のシステムの欠陥により発生した事故である場合は自動車メーカー側が製造責任を負うとしている。
責任は車両の所有者にあり運転者(というより、完全自動運転の場合は乗車者か)ではない、ということ。
まあこれはそうだと思う。自身は運転に関与しなくていい完全自動運転車の場合は乗車者には責任はない。
さらに、将来自動運転車はカーシェアやロボットタクシーになったとしたら、車の中にいる人は乗客であり事故責任を負う理由はなにもない。

では、所有者の責任とはなんなのか?この問題には様々なケースがあり、結構厄介だ。

まず、簡単なケースとして自動運転車自体に問題があり事故になった場合。
必要な整備点検は所有者の責任なので、それを怠ったことに起因するなら所有者の責任。そうした瑕疵が所有者にない車両の欠陥によるものであれば、製造者の責任。
しかし、おそらくは被害者-製造者との間の争いではなく、被害者は所有者に賠償され、その後所有者が製造者と争うことになるのだと思う。

次に、自動運転車であっても避けられない事故が発生した場合。例えば物理的に止まれないタイミングでの飛び出し等。
自賠責では過失割合に関係なく支払われるので問題にならないが、それを越えた補償問題は被害者と所有者との間での争いになる。これは結構厄介なことになるだろう。

自動運転車の事故は所有者の責任ということだけをとると非常に違和感があるが、では誰の責任という話になる。
乗車者は無関係。製造者の責任か否かはその後の調査がなくては断定できない。所有者の責任という結論は妥当だと思う。

自動運転なのに所有者が事故の責任を取らなければならないなんて納得できないかもしれないが、現実的にはさほど問題はないと思う。
自動運転車になれば事故は激減する。仮に1/10になるとすれば、現在の自賠責保険料を据え置けば補償額が10倍になり、交通事故補償としてはおそらく概ね十分な金額になるだろう。また、所有者は任意保険に入ることも可能。その場合、保険料は車両の安全性能によって評価される。保険会社は各社の車両を審査し保険料を決めることになるから製造者にとっても性能向上のインセンティブとなる。

BMW,カーシェアのDrivenowを完全子会社化。その意味は?

2018年01月31日 | 自動運転
BMWは1月29日にカーシェアの合弁会社「Drivenow」を完全子会社化すると発表した。
レスポンス記事

子会社化にはいろいろなケースが有るが、これはこの事業に対して本腰をいれるという意味だと考えていいだろう。
この事業ではダイムラーのCar2Goがトップを走り、欧米で14000台を稼働させている。DrivenowはBMW,Miniをつかったプレミアムに特化し欧州主要都市に6000台。
1月23日のロイターによれば、この2社のオペレーション部分の合併もダイムラーとBMWでは検討されているらしい。まさにライバル同士の2社だがUber等のアメリカ系ライドシェアへの対抗策だという。

何れにせよ、欧米のカーメーカーはシェアビジネスに対して関与を深めており、これは先駆者として先に市場を確保しようという姿勢に見える。
それはどういう意味なのか?

このCar2GoやDrivenow、日本のカーシェアと何が違うかというと「フリーフロー方式」であるということ。Car2Goについては以前何回か当ブログでも紹介しているが、「どこでも乗り捨て可能」のカーシェアなのだ。

返却場所が決められているカーシェアはステーション方式という。日本のTimesが運営しているカーシェアはその中でも貸出、返却のステーションが同じでなければならないタイプ。
10分走行し目的地について2時間滞在し、また10分走行し戻ってきた場合、Timesは2時間20分の費用が発生する。しかし、フリーフロー方式の場合は走行している時間だけの課金になる。勿論、目的地で乗り捨てた車が帰るときも確保されているかは保証されないが、出費額ははるかに安い。

このフリーフロー方式は、実は昨年日本でも話題になった中国のシェア自転車と同じ考え方なのだ。
中国でも以前から主に自治体が運営するステーション方式のシェア自転車が存在した。これはTimesとは異なりどこのステーションに返却しても良いのだが、それでもステーションから目的地までは歩かなければならない。それもあって殆ど利用されていなかった。
それがMobikeやofoというどこでも乗り捨て可能なフリーフロー方式になり、大ブレイクしたという経緯がある。

カーシェアに関してもCar2Goの利用伸び率は非常に高く、2017年の利用者は対前年30%増、またCar2Goが進出した都市では若者の車両保有率が顕著に下がっているという話もある。

少なくとも都市生活者にとっては極めて便利なシステムであり、またこれが普及すると車が売れなくなるという意味ではカーメーカーにとっては厄介な存在かもしれない。
中国でもシェアリングのサプライヤーとなれなかった既存の自転車メーカーは販売不振に苦しんでいる。
しかし、メーカー自身が運営すれば、少なくともそこに使われる車両は確保できる。
ダイムラー、BMWが危機感をもって自ら乗り出す理由はそこにあるのだ。

さらに、彼らはその先の自動運転を見据えている事は間違いない。
どこでも乗り捨て可能といっても乗り捨てできるのは公共駐車場と路肩の合法駐車スペースのみ。欧米の地方都市なら問題ないが、駐車場問題を抱える大都市には展開できないし、路上駐車を基本的に認めない日本の都市でも展開は不可能だ。
しかし、完全自動運転車の時代が来れば解決できる。乗り捨てた車は自ら専用スペースに戻るし、使いたい時も車は自分で来てくれる。自動運転=カーシェアといっても過言ではないのだ。

この時に運営側をグリップできていないカーメーカーは市場から退場するしかなくなる。

欧米、特にドイツメーカーはそこまで読んで今の手を打っている、と考えるべきだろう。

自動運転バスが丸の内の公道を走った。だけどフランス製。

2017年12月25日 | 自動運転
ちょっと加筆12/26

ソフトバンクグループで自動運転関連事業を手がけるSBドライブは丸の内で完全自動運転バスの公道走行を行った。
東京23区内で完全自動運転車が走行するのは初めてという。新聞系の記事は消えるのでレスポンス記事をリンクしておく。

写真をみてデザインクオリティの低さに驚いた。中国の無名メーカー製電気自動車かと思ってしまったが、なんとフランス製。どうしたフランス人!
フランスのNavya(ナビヤ)社製「NAVYA ARMA」(ナビヤ アルマ)という車両らしい。
公道上の自動運転といっても、完全に隔離された40mと100mの区間を時速5kmで走行しただけなので、この走行自体、自動運転としての難易度は非常に低い。
隔離された車線に限定するなら、完全自動運転技術はすでに完成している。一般車両や歩行者・自転車と混交する中を安全かつスムースに走行するまでにはまだかなりの道のりがある。

一方、一年前に国産自動運転車両ベンチャーZMPとの提携を解消したDeNAも、DeNA Automotiveという会社をつくり自動運転事業を進めている。
しかし、DeNAも何故か使っている車両はフランスのEasyMile社製のものだ。(こっちのほうがデザインは良い)
こちらはRobot Shattleという名前ですでに公道実験を行い、私有地では実運用も行われている。
この手のマイクロ自動運転シャトルのスタートアップ企業としてはこの仏2社が先行しているようだ。

しかし、何故2社とも外国製なのか?詳細は確認していないが、おそらく車両本体だけではなく自動運転制御もフランス製だろう。
それが日本国内の地面を走った、というだけのことだ。

我が国のカーメーカーも当然自動運転については相当な技術開発をしており、実際には隔離された車線を低速で走るシャトルというレベルよりはるかに先の開発をしているのだとは思う。
一方、我が国の自動運転スタートアップであるZMPはDeNAとの提携解消後あまり具体的な話を聞かない。
SBやDeNAの自動運転事業が海外のシステムを使わなくてはいけないというのは、ちょっとさびしい。

完全自動運転車はだれにでも作れる

2017年10月24日 | 自動運転
前回のエントリーで、EVはだれにでも作れるというのは幻想だと書いた。
一方で、今話題の自動運転車は自動運転が出来るようになれば逆にだれにでも作れるようになる。まあ、誰でもというのは誇張だが。
これはいままで何回か書いてきたが、改めてここでまとめてみる。

まず自動運転自体についてはここでは深く触れないが、高速道路のような自動車専用道を前提にすればすでに完全自動運転は完成している。一般道路の場合、想定外の対応をいかに限りなく100%にするかが課題であり、これも99.99%位で良ければもう完成している。でもここからが遠いのだ。

さて、完全自動運転(人間が運転しない)車が完成すると、そのハードウェアは現在の車とは全く異なるものになる。
まず、法定速度以上は出さないし、想定外のスピードでカーブを曲がったりすることもないので操縦安定性の要求値が格段に低くなる。さらに人間が操縦する装置は不要となり、また走行、操縦フィーリングの評価も不要になる。基本的に衝突しないので、衝突安全性の考慮(これは現在の車の設計でかなり厄介な部分)が不要となる。極論すれば、乗り心地の良いサスペンションとシート、空調、室内エンターテイメントぐらいしか差別化要素がなくなる。

これであればカーメーカのノウハウも限定的な部分でしか発揮できないし、少なくとも走行性能面では他社との差別化ができなくなる。
むしろ、シーメンスや日立といった運輸機器メーカーの出番かもしれないし、自動運転のプログラムと運営システムを構築した企業は車をそうしたメーカーに外注することも可能となる。

さらに、完全自動運転となると自分の車を保有するという欲求が消滅する可能性が高い。呼べば来る、降りれば自分で駐車場に入る車であれば、私物、例えば仕事道具やゴルフバックなど趣味の道具、をいつも積んでいたいというようなケースを除いて所有することにあまり意味がなくなる。
となると、当然カーシェアリングがメインになり、だれも車のブランドを気にしなくなる。
メーカーは自動運転オペレーターからの発注により指定の仕様の車を作ることになり、徹底的なコスト勝負にさらされるだろう。

カーメーカーが自らの地位を奪われる可能性が高いのはEVではなく、自動運転車なのだ。

自動運転のまとめ その幻想と真実

2016年03月21日 | 自動運転
自動運転についてはいままで散発的に書いてきたが、この一年、日本でも自動運転は相当話題になっている。しかしメディアの報道などを見るとまだ理解が浅く、単純にバラ色の未来やトンチンカンな懸念が示されてるが肝心な本質的なものが見えていないと感じる。
結構長文となってしまったが、できる限りポイントに絞ってまとめてみた。

1.高度運転支援と完全自動運転(レベル4)
自動運転にはレベルが0から4まで設定されている。たとえば自動ブレーキはレベル1。ここではその詳細には踏み込まないが、レベル3と4には技術的な差はなく、どちらも人間の介在なしに目的地に到達できる。では何が違うのかというと、レベル3では緊急時にドライバーが対応しなければならない。レベル4では人間は全く運転に関与しない。ロボットタクシーというのはこのレベル4になる。
ハードウェア的にはレベル3と4は殆ど同じだが、商品としての価値は全く異なる。
しかし、この二つを明確に区別せずに議論されているケースが多い。

基本的にカーメーカーはレベル1から段階的に自動運転を進めていき、レベル3をゴールにしたい。その理由は2つ。
レベル3は個人所有が前提となるがレベル4が実現すれば車は必ずしも個人所有する必要がなく、カーシェアリングの方向に行くことが想定されている。カーメーカーが付加価値の高いビジネス(ブランド価値、アフターセールス等)を維持しようと思ったら個人所有は譲れない。
また、数多くのPL訴訟を経験しているカーメーカーは万が一の事故発生時に100%責任をとるというリスクを簡単にはとらない。最終責任は運転者とするマージンを残したい。

レベル3まではドライバーによる運転がのこされている。加速感、ステアリングの応答性といった官能性能がまだ要求される、この分野は各自動車メーカーが長年蓄積した秘蔵のレシピをもっており、異業種に簡単にまねができるものではない。レベル3までならカーメーカーは自分の土俵で相撲が取れる。

一方、IT企業、特にGoogleは一足飛びにレベル4を目指している。彼らは万人にモビリティを提供し、その上で交通事故、渋滞、環境負荷といった自動車の負の側面をなくしたいという純粋なゴールを持ち、結果そのエコシステムを牛耳ることで利益を得ることを考えている。その際にカーメーカーは単なる入れ物のサプライヤでしかない。それはカーメーカーとしては最も危惧する事態になる。

当初、カーメーカーはレベル4には立ち入らない方向であったが、最近風向きが変わってきている。IT企業のスピードの速さから、フィルムからデジタルのようなとてつもなく大きなゲームチェンジとなる可能性があることを認識し始めたのだ。それは大手カーメーカーの最近のモーターショーでの展示やトップの発言にも見て取れる。

しかし、レベル4の世界でカーメーカーがそのエコシステムの中でどのように利益を得ていくのかは現時点では不透明だ。

2.レベル4の世界
レベル4の実現は人々の生活にきわめて大きな変化をもたらす。
車は呼べば来る。降りれば勝手にいなくなる。そうなったら自家用車を所有する意味はあまりなくなる。一台の車はおそらく10人程度のユーザーでシェアすることになる。これは特定の10人という意味ではなく、計算上ということ。いずれにしても一人一台車を保有するよりは、カーシェア運営会社の費用・マージンを乗せても割安になるだろう。

配車が効率的に集中管理されれば車の実利用率が上がり、資源の有効活用になる。
子供、老人、障害のある人たちのモビリティが確保される。
システムエラーや落石などを除けば交通事故はなくなる。
すべての車が自動運転になれば渋滞は解消する。

以上のように、レベル4、完全自動運転の社会は理想的なものになり、これが究極のゴールであることは間違いない。

3.レベル4で出現する新市場はあるのか?
完全自動運転になったら運転から解放されるので車内でのビジネスチャンスが広がる。それをGoogleは狙っているという人もいる。しかしそれはどうなのだろうか?
運転から解放されている移動手段という意味では、今でも普通のタクシーがそうだ。
運転から解放されたらスマホをいじるか、景色を見ながら考え事をする人が多いのではないか?車が行先のホテルや観光地、レストランをリコメンドするというようなビジネスモデル言う人も多いが、実際そんな場面は極めて限られる。これはテレマティクスで散々いわれていたが、別にそんなこと車にのってから車に教えてもらう必要なんてない。
しいて言えば朝の通勤時の朝食サービスくらいだろう。事前に注文をいれ、路面店の窓口で受け取るというようなものか。
おそらくGoogleも検索エンジン型ビジネスが自動運転車のエコシステムの根幹をなすとは考えていないだろう。

4.レベル4実現への問題点
自動運転の問題点としてよく取り上げられるのがハッキングだ。ハッキングすることで恒常的に利益を得ることができる闇のビジネスモデルが成立するなら問題だが、考えられるのは愉快犯や特定の人物の暗殺。後者は別にこの方法以外でもできることであり、通常なら特段心配する必要はない。
本当に怖いのは大規模テロだろう。自動車爆弾の心配もあるようだが、これとて今あるラジコンのローテクな装置でもできること。それよりもある一国の車を同時にハッキングしてブレーキを無効にするというような事態が恐ろしい。
とはいえ、運転操作へ介入するゲートウェイに制限を設ける等の対策で技術的には対応できるだろう。
本当の問題はそんなところにはない。

まず、レベル4の車両が自家用車を保有する程度のコストでいつでも利用できるようになり、駐車場が不要になれば、だれも通勤通学に電車を使わなくなるだろう。これの影響は大きい。
公共交通機関の収益は成立しなくなり、公共交通は自動運転に集約されることになる。
そうなると、いかに効率のよい自動運転車とはいえ、朝晩や週末のピーク対応が必要になる。一台の車をシェアするユーザー数はとても10人とはならず、せいぜい2-3人となり、平日昼間の閑散時には車庫に車が溜まることになる。
少なくとも通勤用はライドシェアの仕組みがないと成立しないだろう。

次に、レベル4ですべての車がロボットタクシーになると車という商品の性質が全く変わってくる。カーメーカーの個性は不要となり、運営会社の指定する仕様の車を一番安く供給するメーカーが受注することになる。ニッチマーケットは存在しないので、3位以下のメーカーは軒並み廃業になり、全世界で数社の巨大メーカーが運送機器サプライヤ―として薄利多売で競争していくことになる。

同時に周辺市場も軒並み消滅する。保守点検は管理会社が一括して行う。自動車販売も運営会社とのフリート商談だけとなり、ディーラーも中古車業も消滅する。自分の車ではないから個人向け自動車部用品マーケットも消滅する。個人向け自動車保険もなくなる。
車両製造業者としての自動車メーカーは生き残るかもしれないが、その他の自動車関連の雇用は殆ど消滅する。

自動車部品も相当の変化が出てくる。操縦系部品、衝突安全系部品、UI系部品は消滅する。自動車関連産業でどこが勝っても負けても必ず勝つのはカーエレクトロニクス業界だけ、ということになる。

もう一つ厄介なのは倫理的な問題だろう。
自動運転車であっても絶対に避けられない事故はある。ブレーキ性能ではカバーできない飛出しや落下物では事故が発生する。止まれない状況になり、たとえば右によけると子供が一人、左によけると二人の老人がいるとしたら、どちらによけるのか?
危険にさらす人数を少なくするのか?将来のある子供を助けるのか?誰の命を助け、誰を助けないかをコンピュータにゆだねるのか?そして、その判断の結果やむを得ず轢いてしまった人の遺族にプログラマーはそれを説明できるのか?
人間が運転している場合は無我夢中でハンドルを切った結果であり、こうした倫理的な問題は発生しない。しかし自動運転車はコンマ何秒の間にそれを判断することができるのだ。
これについてはまだ回答が得られていない。

5.レベル3からレベル4へ移行
より厄介な問題は、レベル3から4への移行期だ。
カーメーカーが本気で取り組んでいるから、レベル3車はいずれ出てくる。2020年にはかなりの部分を自動運転可能な車両が登場するだろう。
しかし、そこからレベル4に行くのは大変だ。
(1)事故責任
先に述べたが、レベル3の車が事故を起こした場合の責任は運転者にある。周囲をはしる非自動運転車両が突然突っ込んできた場合、それをよけることができないとしてもカーメーカーに責任はないし、カーメーカーが事故調停の当事者になることもない。
しかし、これがレベル4であれば、事情はどうあれカーメーカーがすべての事故の当事者になる。これはカーメーカーとしては無理だろう。
(2)渋滞
完全自動運転車両だけの世界では、周囲の車両の挙動はすべて予測可能であり自動運転車は見込み運転が可能で渋滞は解消されるといわれている。しかし移行期、非自動運転車や歩行者がいる場合、完全自動運転車は制御を可能な限り安全に振る。交差点等では極めて慎重な初心者のような運転にならざるをえない。これは深刻な渋滞を引き起こす可能性がある。
(3)インフラ
結局のところ、レベル4車両はレベル4車両専用地区、しかも人・自転車と隔離された専用道路での運用からスタートするしかない。それをだんだんと拡大していくということになるのだろう。これには車の問題以上に都市計画の問題が大きい。
東京オリンピックでは東京の街をロボットタクシーが走り回る、と安倍首相はいったが、それには相当なインフラ整備が必要であることを認識しなくてはならない。
すべての車がロボットタクシーとなった際の都市デザインは今とは全く違うものになるだろう。

5.まとめ
・完全に自動運転が可能な車でも、ハンドルがついているもの(レベル3)とついていないもの(レベル4)は雲泥の差がある。
・カーメーカーはレベル3への進化を進め、そこをゴールとしたい。
・IT勢は一足飛びにレベル4を目指している。
・万人へのモビリティ付与、交通事故死ゼロを実現するためにはレベル4であり、いずれはそこに行きつくことになる。
・レベル4の世界になると車は完全なコモディティとなり、カーメーカーは製造以外の付加価値をつけることができなくなる。これは完全なパラダイムシフトであり、産業構造と社会インフラに大変革をもたらすことになる。
・運転から解放されることで新市場が出現するというのは幻想でしかない。
・もっとも難しいのはレベル3から4への移行であり、それには相当の期間がかかる。

自動運転にまつわる様々な誤解

2015年10月29日 | 自動運転
東京モーターショーで日系各社が自動運転についてアナウンスをしている。トヨタ、日産が2020年までに高速道路での自動運転車を発売するというような発表もあり、Googleやドイツ車に対して日本のカーメーカーも負けていない、といような報道も目にする。

しかし、実際高速道路での自動運転は今ある技術で実現可能なのだ。なぜなら信号も交差点もない自動車専用道路だから。
Googleがやっている一般道での自動運転とは条件が全くに異なる。信号、交差点があり、自転車も走り、子供も飛び出すような環境下での難易度ははるかに高い。

実際、自動運転には大きな壁が二つある。一つはこの一般道での自動運転。
もう一つはドライバーがいらない完全自動運転。
完全自動運転の場合は事故の責任は自動車メーカーが負わなければならない。
自動車メーカーが何十万台も販売する車両のリスクを担保するとしたら、制御は目いっぱい安全に振るしかない。自動運転車は絶対にぶつからない車であっても、ぶつけられない車ではない。追突事故を除いては、必ずなんらかの過失割合が生じる。
例えば、絶対に止まれない目の前に子供が飛び出した場合でも、子供が飛び出す可能性を予見して徐行するべきだったということになる。
ということは自動車会社の立場なら自動車専用道以外を完全自動運転で運行しろと言われたら常時徐行しかできない。

これは一例で、実際の交通はリスクを運転者が自ら担保しながら見込み運転をすることである程度の円滑性を保っている。自動会社はそれができないから、一般道での完全自動運転は交通流を相当阻害することになる。

自動運転のハードルは法整備だとする報道が多いが、そんな単純な話ではない。法は事故があったらメーカー責任としか言わないだろうし、その前提でリスクを背負うメーカーはいない。

もしかしたら2020年にはロボットタクシーを走らせると言っているDeNAは敢えてリスクテイカーとなる覚悟なのかもしれないが、メーカー責任で事故が起きた場合の大変さをまだ知らないだけなのではないか。

東京オリンピックまでに自動運転車が東京を走り回る?

2015年10月07日 | 自動運転
安倍総理大臣は10月4日、京都で行われた科学技術に関する国際会議で参加者に「2020年の東京には、自動運転車がきっと走り回っています。皆さんは自動運転車で動き回ることができるでしょう」と発言した。
そして10月6日にはトヨタが2020年までに自動運転を実現する、という方針を明らかにした。

この2つのニュースタイトルをみて、オリンピックまでには自動運転が相当なレベルで実現されるのだろうと思った人は多いと思う。総理大臣と世界のトヨタがほぼ時を同じくして2020年までに自動運転を実現するといったのだから当然だ。

しかしきちんと中身をみると、両者の言っていることは天と地の差があるのだ。

トヨタの発表は「高速道路限定」となっている。
実は高速道路限定であれば自動運転は決してむずかしくない。なぜなら自動車専用道路だからだ。
言及はされてないが、専用レーンであればなおさら簡単だ。追尾式のクルーズコントロール、車線キープ装置、自動ブレーキがあればそれで良い。
専用レーンでない場合は追い越しや割り込みで入ってくる車への対応があるので難易度は上がる。今回の発表では追い越しもできるとあるので専用レーン限定ではないのだろう。
非自動運転車との混流は結構難しい。自動運転車はヒューマンエラーがない分、有人運転よりはるかに安全なのだが、例えば故意に直前に割り込んで急ブレーキをかけられたらどうなるか。追突を防げるかどうかはブレーキ性能だけが頼りになる。

完全自動車運転(レベル5,乗車する人に運転の責任がない)の場合、事故の対応はすべてカーメーカーが行わなければならない。果たしてメーカーとしてそのリスクを負えるかといえば、多分負えない。したがってトヨタのいう2020年の高速道路限定の自動運転もレベル3~4(事故に対しては運転者が責任を負う)相当のものになる。
自動運転は技術的には相当なレベルに達しているが、ごくわずかでも事故のおそれがあり、それを運転者に転嫁(言い方が悪いが、実際はそうだ)できないのであればメーカーは手を出さない。

一方、安倍総理大臣の発言、「東京を走り回る」はどう考えても高速道路限定ではない。また、「皆さんは自動運転車で動き回る」はレベル5のロボットタクシーのことだ。
これはどう考えてもありえない。トヨタですら高速限定のレベル3~4だと言っているのに。
だれが安倍氏にレクチャーしたのかわからないが、タクシーという意味では多分できたとしても特定のオリンピック会場と最寄りの駅あたりを結ぶ専用レーン走行の「地上版ゆりかもめ」のようなものになるだろう。

限界集落とロボットタクシーは別の話だろう

2015年10月07日 | 自動運転
しばらくエントリーをできなかったが、自動運転に関する幾つかの話題についてアップデートしておく。

東京オリンピックまでにロボットタクシーを実現するというDeNA・ZMP合弁会社の動きとして、政府との共同プロジェクトにより来年から藤沢市で実証実験が行われる。
50名のモニターを募集し、住宅街とショッピングセンターの3キロの特定路線を運行する。ロボットタクシーと言っても係員が2名乗車する。
ENGAGET 日本版 

上記のENGAGETの記事に限らず、WEB上で見受けられる論調は
・ロボットタクシーは限界集落に暮らす老人への福音
・大きな問題は法規制
という感じだ。小泉政務官も同席した記者会見ではこの限界集落問題がロボットタクシーの主要な存在意義のように語られている

しかし私はなんとなく引っかかるものがある。

確かに自動運転は自分で運転できなくなった、もしくはできない人々の自由なモビリティを確保するという意味が非常に大きい。
しかし今回の実証実験は住宅地とSCの往復に限定される。それならSCが有人の巡回バスを出せばいいのだが、ビジネス的に成立しないのだろう。
特にこの実証実験、50人のモニターに対して専用車両2台、一台に係員が2名乗車。バックアップ車両2台を用意する。50人に対して車4台、係員4人が配備される訳で相当な費用がかかる。
有人タクシーのほうがはるかに安いが、もちろんこれは実験だからしかたがない。ではその延長にある完全ロボットタクシーならビジネス的に成立するのか?

完全自動運転のロボットタクシーが走り回る世界が実現すれば、その運行は集中管理されて実車率を極限までたかめ、かつ運転手の人件費がかからにということから現在の有人タクシーよりも相当コストが低減される。これは疑いようがない。
車を所有するより経費負担が小さく、かつdoor to doorで駐車の手間もなければ車を保有する意味は全くなくなるので、将来自動車はすべてロボットタクシー、要は公共交通機関になる。この世界は相当時間がかかるがいずれ実現する。

しかしそうなったとしても限界集落への送迎は実車率を落とすのでコスト割れになる。専用車を集落に配置する必要があるかもしれない。
公共交通機関という観点から全体で薄めることになるのだろうが、運転手の人件費分は削減できるものの、それでも赤字バスの運行とかわりない。

ロボットタクシーが運転できない人々に自由なモビリティをもたらす福音であることは全く疑問の余地はないが、それと限界集落は別の問題なのだと思う。

車は本当に究極のモバイルデバイスなのか

2015年08月11日 | 自動運転

Google等が進めている自動運転車に関するIT系メディアの論調には、おおむね以下のようなものが多い。

・Googleが自動運転の世界を独占すれば、カーメーカーは単なる輸送機メーカーになる。

・車は究極のモバイルデバイスであり、このOSを牛耳ることでGoogleは自動車関連ビジネスを独占することもできる。

・自動運転車はユーザーが目的地をインプットする。したがってそれに応じた目的地周辺の広告を車内ディスプレイに表示することでビジネス可能。

・このビジネスモデルなら、自動運転車(ロボットタクシー)を無料にすることも可能かもしれない。

・さらにユーザーがどこに行き、何をしたかというビッグデータを分析し個人別マーケティングも可能になる。

しかし、これは現実的にみてどうなのかな、と思う。車は本当に究極のモバイルデバイスなのか?車は基本的には移動用の機器でしかない。マニュアル運転であれば操縦する楽しみという部分が存在するが、自動運転となるとまったく移動用の生活機器となる。

車内にモニターを設けてそこに目的地周辺の広告を流すといっても、どれほどの効果があるのだろう。そもそもすでにどこに行って何をするかを決めた人が使うのがタクシーだ。ついで買いとかレストラン関連の情報が意味をなさないとは言わないが、タクシー代を無料にするほどのビジネスモデルは構築できないだろう。そもそも無料になったら需要の大部分は通勤になる。会社や自宅周辺の情報なんていらない。

運転から解放され、車内での自由な時間が生まれるので車内モニター等によるビジネスチャンスがある、という見方もあるが、それがあるなら今ある有人タクシーでもできる話だ。実際上海のタクシーはヘッドレストモニターで広告流しているけど、普通の人は自分のスマホをいじっている。

ユーザー個人の行動・購買パターンをビッグデータで解析、という話は個人情報保護からまず実現しない。どこへ行って何をしたかを企業の販売活動のために公開するユーザーがどれほどいるのか?アマゾン等の購入履歴に基づくおすすめを家人にみられるのは嫌なものだ。まして家人と一緒にのったタクシーが変なおすすめをしてきたら非常に困る人も多いのではないか?

車内におけるe-コマースが自動運転になったらなにかが革命的に変化する、とは思えない。運転者が運転業務から解放され、自分のモバイルデバイスをいじくる時間が増える、という程度のことだと考えたたほうがいいと思う。

むしろ、前から言っているように車の「商品価値」に対する消費者の考えかたが根本から変わってしまうことの方が重大だ。そしてそれは今ある自動車産業に劇的な変化を強要することになる。