あまり政治的な話は書かないのだがどうにも納得出来ないので。
昨日、石原慎太郎氏の記者会見テレビ中継をみた。
先に言っておくが、私はこの人が嫌いだ。尖閣の件も無責任な行動だと思うし、四男(画家)を都で重用した件もおかしな話だと思っている。
しかし、この豊洲問題に関しては彼の言っていることはごくまともだと思った。まず冒頭に組織の長としての決済責任はある、と明確に言っている。その上で各部署からの報告の数字細部までは専門家でないので判断できない、議会でも承認された事項でみんなで決めたことだ、という主張は全くそのとおりだ。それに対し、殆どの記者はあくまでその細部の妥当性への判断について「ちゃんと内容を見なかったのか」「責任は取らないのか」の一点張り。これは議論にならない。酷いものだった。さらにその後の報道も「私一人に責任があるわけではない」という発言をメインにしていた。
いま、小池百合子桃太郎侍が石原以下の悪代官をやっつけるという図式に大衆は期待している。年々購読者/視聴率を落としているマスコミはこれに対して受けの良い記事を書くことしかできなくなっているのではないか。ポピュリズムに加担するマスコミのステレオタイプな例だ。
それ以上に、石原氏がいった「作為の責任と無作為の責任」「豊洲に移転しないのは安全と安心を混同してるから」という点について、どこのメディアも全く論評を行っていない。唯一この文脈は「石原氏の小池批判」という中で出てくるだけ。これも上に書いたことに見事に符号する。
日本のマスコミは科学的な事実には全く興味がないとしか思えない。
豊洲は築地より安全なのか、危険なのか(直感的には豊洲の方が安全だと思うが)の最終的な科学的見解はなぜ出されないのか?あるいは出されているが取り上がられていないのか?
反対、賛成の両方が納得する人選で科学的な調査組織を作り、そこに早急に最終的絶対的結論を出してもらう以外現在の議論は一歩も進まないと思うが。
豊洲ができた経緯の妥当性と、できた施設を使うのか否かはまったく別ISSUE。前者は要すれば時間をかけて調べればいいが、後者は早急に結論出さないとキャッシュアウトが止まらない。
昨日、石原慎太郎氏の記者会見テレビ中継をみた。
先に言っておくが、私はこの人が嫌いだ。尖閣の件も無責任な行動だと思うし、四男(画家)を都で重用した件もおかしな話だと思っている。
しかし、この豊洲問題に関しては彼の言っていることはごくまともだと思った。まず冒頭に組織の長としての決済責任はある、と明確に言っている。その上で各部署からの報告の数字細部までは専門家でないので判断できない、議会でも承認された事項でみんなで決めたことだ、という主張は全くそのとおりだ。それに対し、殆どの記者はあくまでその細部の妥当性への判断について「ちゃんと内容を見なかったのか」「責任は取らないのか」の一点張り。これは議論にならない。酷いものだった。さらにその後の報道も「私一人に責任があるわけではない」という発言をメインにしていた。
いま、小池百合子桃太郎侍が石原以下の悪代官をやっつけるという図式に大衆は期待している。年々購読者/視聴率を落としているマスコミはこれに対して受けの良い記事を書くことしかできなくなっているのではないか。ポピュリズムに加担するマスコミのステレオタイプな例だ。
それ以上に、石原氏がいった「作為の責任と無作為の責任」「豊洲に移転しないのは安全と安心を混同してるから」という点について、どこのメディアも全く論評を行っていない。唯一この文脈は「石原氏の小池批判」という中で出てくるだけ。これも上に書いたことに見事に符号する。
日本のマスコミは科学的な事実には全く興味がないとしか思えない。
豊洲は築地より安全なのか、危険なのか(直感的には豊洲の方が安全だと思うが)の最終的な科学的見解はなぜ出されないのか?あるいは出されているが取り上がられていないのか?
反対、賛成の両方が納得する人選で科学的な調査組織を作り、そこに早急に最終的絶対的結論を出してもらう以外現在の議論は一歩も進まないと思うが。
豊洲ができた経緯の妥当性と、できた施設を使うのか否かはまったく別ISSUE。前者は要すれば時間をかけて調べればいいが、後者は早急に結論出さないとキャッシュアウトが止まらない。