goo blog サービス終了のお知らせ 

ITSを疑う

ITS(高度道路交通システム)やカーマルチメディア、スマホ、中国関連を中心に書き綴っています。

消費税と愛国心の関係?

2013年05月03日 | 雑記
ちょっと古いけど、東洋経済オンラインに民主党元衆議議議員 北神圭朗氏の連載が掲載されている。
http://toyokeizai.net/articles/-/13302
「尖閣問題で感じた、我ら日本人のビビリ根性」という扇動的なタイトルが気になって読んでみたが、正直この人の主張がいまひとつよくわからなかった。

その前の連載記事  『日本には「国家の物語」が欠落している』
http://toyokeizai.net/articles/-/13108
では「消費税導入が難航するのは日本人に自己犠牲の精神がないからであり、その精神は愛国心に拠る」といっていると思われる。
その上で日本人の愛国心の欠落を問題視しているように思われるが、結びの一文「私が言う愛国心は、外国に旅行してみそ汁が懐かしくなるような次元の話ではありません。小さな小さな島のために、命を要求する、峻烈な愛情なのです。」から推察するに、領土をかけて戦争をも辞さないという国民感情が愛国心であり、それがビビリの日本人には欠落している、ということなのだろうか?

そもそも自分が属する集団に対する帰属心及びそれを守ろうとする気持ちは、自ら(及び家族=自分の種)を守るための動物的本能に起因している。
それは国に限らず、都道府県単位でも学校や会社に対しても存在する。
こんなことは多分、人類文化学とかで散々語られていることだろう。

私も動物だから、自らが帰属する組織に加担するという感情が存在する。また、日本に生まれ、日本人であることに誇りを持っている。
でも、見たこともない島のために命を捨てようとは夢にも思わない。誰だってそうだろう。
それを確保することが経済的に日本の利益になるのなら、国民はそれを応援するだろう。
でも、武力行使をも辞さない愛国心をもって守れ、といわれてもねえ。

また、消費税にしてみても、私はさっさと増税してほしいと思っているが、それはこのままでは国家財政が破綻し自分や家族が困るからであって、決して愛国心による自己犠牲ではない。もう少し理性的な判断だ。

消費税導入が難航するのは日本人に自己犠牲を伴う愛国心がないからだ、という理屈には全く与することができない。難航する理由は国民に理性的な判断が欠落しているからであり、その根幹はマスコミが受けのいい感情的な報道を繰り返すことと、増税を言うと選挙に負けちゃう、という「次の選挙に勝つ」ことだけを目的にしているかのような政治にある。
というか、事業仕分けをすれば増税なんてしなくていいのだ、といって政権をとった民主党の人間がよくこんな事いえるよね。

そもそも過剰な愛国心くらい迷惑なものはない。
愛国心を、自らが属さない組織への過剰な敵愾心へ転換してしまう人間が面倒を起こすからだ。
会社生活をしていても、こうした輩は会社の全体最適よりも自分の部や課を守る行動にでることが多い。

感情論と感情論がぶつかるとたいていの場合、悲惨な結末が待っている。
理性的に対処するべき消費税や領土問題に愛国心論を持ち出すなんて、私には危険な発想だとしか思えない。

クリアアサヒ「リッチしよう」はダメでしょ

2013年03月17日 | 雑記
松下奈緒のクリアアサヒのCM「リッチしよう」、なにあれ?
言うまでもなく「エッチしよう」をフックにしている訳だけど、これは禁じ手でしょう。
その手のシモネタ系引っ掛けなんて、誰でも思いつく。でも普通メジャーな企業はやらないよな。
確かにこれは話題になるだろうけど、この企画を出した広告代理店もOKを出したアサヒビールもあまりに志が低い、というかよく恥ずかしくないなと思う。

朝日新聞社説のレベルが低すぎる

2013年03月08日 | 雑記
昨日の朝日新聞社説「テロとミサイル攻撃―脱原発こそ最良の防御だ」をみて驚いた。
朝日新聞WEBページのリンクは消えてしまうので魚拓
http://megalodon.jp/2013-0308-1459-25/www.asahi.com/paper/editorial.html

たしかに原発にミサイル攻撃があれば、放射能汚染が生ずることは間違いない。それを全体の文脈としていることも理解する。
しかし、この一節はいただけない。
------
「ミサイルで日本の原発を攻撃すれば、広島型原爆の320倍の爆発が起こる」。北朝鮮の朝鮮労働党幹部がこう講演したと、韓国のネットメディアが昨秋、報じた。真偽は定かではない。だが現実に日本海沿岸のものを含めて多くの原発が、北朝鮮の中距離弾道ミサイルの射程内に入る。
------

核燃料は爆薬みたいに火をつければ爆発するものではない。信管が必要で、それには極めて高度な技術を要する。
「真偽は定かでない」とか書いてあるが、大新聞の社説なんだから書く前に調べろといいたいね。北の労働幹部の話を安易に引用する神経がわからない。
朝日の社説なんだから、科学知識のない人はこのまま信じてしまうだろう。

ここから「リスクを減らすには、やはり、原発をできるだけ早く減らしていくしかない。同時に、プールにある使用済み核燃料を空冷式の頑丈な容器に移し変えていくことも必要だ。」という結論も、あまりに稚拙だ。

北からミサイルが飛んでくれば、標的が原発だろうが大都市だろうが悲惨なことになる。
減らすべきリスクは原発ではなく、北朝鮮そのものだろう。
表題の「脱原発こそ最良の防御だ」なんて、どういう思考回路から出てくるのか。

(なお、面倒なコメントを避けるためにいっときますが、私は原発推進派ではありません)

日本のサブカルチャーとアジア

2013年02月24日 | 雑記
今朝の上海、「PNM2.5汚染度5、老人子供は外に出るな」という警報が出ている。先週の月曜に雪が降って好転したけど、一昨日辺りからまた悪くなっている。
雪が降ると雪に付着して汚染物質が地面に落ちてしまうので一気に空気は綺麗になるが、それも数日しか持たない。

先週、数人の新入社員面接試験を行った。うちは社内は日本語なので日本語ができることが条件なのだが、なぜ日本語を勉強したのかと質問すると皆「子供の頃から日本のアニメが好きだったから」という答えが返ってくる。

なかでもワンピースの人気は相当なものだ。若い人でワンピースを知らない人はいない。なぜそんなにワンピースが好きなのか、と聞くと、「仲間を大切にする」「チームの力」ということらしい。
伝統的に中国人は個人主義で仕事でもなかなかチームワークを発揮しないのだが、この影響で若い人はだんだん意識が変わってくるのではないか、とすら思う。

それ以上に感じることは、少なくとも一人っ子政策以降の若い世代における日本のポジティブなイメージ構築に貢献しているのは間違いなくアニメ、オタク系サブカルチャーだろう。
実際のところ、この世代の中国の若者は日本製品について好意的だ。
10月以降車の販売が急減速したが、それは日本製品ボイコットではなく、反日に巻き込まれて壊されたりすることを恐れて買い控えされたというのが本当のところだと思う。

中国政府はテレビドラマなどで旧日本軍のネガティブなイメージをつかい、反日を執拗に植えつけようとしているが、それに対向する大きな力になっている。
こうした教育は若い世代に徹底して行われてきたので、もしアニメカルチャーがなかったらどうなっていたのだろうか?
日本のアニメがアジア各国に及ぼしたポジティブな影響は計り知れない。

だが、しかし、これらのコンテンツはすべて著作権を無視して流通しているんだよね。放映されていないはずのワンピースだが、みんな数日遅れで最新話を観ている。
それを問題とみるのか、それでも好影響があるからよしとするべきなのか。

ら抜き言葉

2013年02月18日 | 雑記
よく「最近の若者はら抜き言葉を使う、というが、そうだろうか?
中高年でも使う人は沢山いる。
私も小うるさい爺さんに片足を突っ込んでいるが、ら抜き言葉について全く違和感がない。
というか、食べられるとか観られるというほうが言いにくい。
これは、伝統や文化、マナーを破壊するのは若者、というどうしようもないステレオタイプなものの見方だね。

言葉は変化するものだから、「ら抜き言葉は美しい日本語を壊す」といった論調や、文部審議会決定に対する批判は多い。
気になって検索してみたら、少なくともネットではら抜き言葉(もしくは言葉の変化)を擁護する意見が大半であった。

日本語の伝統とか言う人は、実は伝統ではなく自分が学んだ言葉と違うことに違和感を感じているだけだろう。
私も最近の店員さんが「XXのほう」というのはかなり違和感があるが、だからやめろという筋合いのものではない。
言葉や流行なんてそんなもんだ。

今はどうかしらないけど、ら抜き言葉を打つとアラートがでるIMEがあったように思う。ATOKだっけ?
これって、むしろ時代とともに移り変わる言葉の変化をせき止めることになりはしないか?
でもまあ、せき止めて止まるなら、それはそれで良しなのかもしれない。

どっちにしても、言葉なんて自然に移り変わるものであり、それは大きな力なので政府の諮問機関みたいなものが良いだの悪いだのいってもなんの意味もないんじゃないか、ということ。
これは言葉だけの問題じゃない。自分が(多くは若い頃に)身に着けたスタイルを「正統な物」とし、それ以外のやり方を排除する人は多い。自分でそう思うのは自由だけど、それに文化とか伝統とか言う形容詞をつけて他人に強要するのはやめてほしい。

本日の佐々木俊尚さんのツイートを見て思いました。

まねきTV完全敗訴

2013年02月16日 | 雑記
まねきTVなどとTV局で争われていたロケーションフリーTVサービスは、最高裁上告棄却となりロケフリ業者側の完全敗訴が決定した。
まねきTVのサービス終了告知ページ
海外在住者としては、これには大いに疑問を感じる。

現在のロケフリ業者は、ユーザーが所有する受信機、サーバーを預かってデータをインターネットに流す代行業者ということになっている。
これが違法であれば、ユーザーが自分でDVDに録画したテレビ番組をユーザーの代行で海外に発送する郵便会社も違法ということになるのか?

これで、海外在住者としては、合法的に日本のテレビを観る手段はなくなった。

日本のテレビ局が、こんな小規模な、しかも海外在住者が自局の放送を「観てくださる」ためのサービスに対して業界を上げて裁判を行った理由は、これが前例となってなし崩しに国内のテレビ網が崩壊することを恐れたからだ。
地方都市で首都圏の番組を普通に観る事ができるようになれば、地方局の視聴者が減る。
経営が厳しい地方局を守るために「蟻の一穴」を塞ごうとしているのだ。

これは、新聞社が新聞販売店を守るために紙に執着するのと似ている。
しかし、そんなことをしても紙から電子、放送から通信という大きな流れに抵抗することはできないだろう。それによって消滅するビジネスがあるのはしかたがないことだ。
でも、放送を通信に乗せることを拒否している以上、日本のテレビは何時まで経ってもオンデマンドにならない。ますます消費者はTVから遠ざかる。自分で自分の首を締めているようなものだ。

まあ、地方ネット局や新聞販売店というビジネスがいずれなくなるにしても、それを「出来る限り軟着陸させたい」という日本的な考えはある程度理解できる。
でもどうしても理解できないのは海外在住者の利便を全く無視していることだ。
裁判で海外向けロケフリを叩き潰すのなら、有料でいいから自社でサービスを提供してみろと言いたい。

4Kテレビについてもう少し考えてみた

2013年02月03日 | 雑記
4Kテレビについてもう少し考えてみた。

10年まえには、低い家具の上に乗った大画面フラットテレビは富の象徴だった。
数年前までは、まだそれはおしゃれなインテリアだったかもしれない。しかし、地デジ移行に伴うテレビの買い換えでそれは普通の家庭の風景になり、もはやそれはトキメキではない。

ということは、必ず次が出てくる。家電やインテリアの専門家ではないので明確なことは分からないが、多分壁面に埋め込まれた60インチ超のテレビ(というか、液晶画面)等が次の消費者がときめく「おしゃれなインテリア」になるのだろう。

テレビは誕生以来一環して画面が大きくなってきているが、一般的な日本家庭のリビングを考えるとこれ以上大きくする意味はあまりない。
しかし、壁面埋め込みとか、壁面全部がガラスでその中に大画面の液晶が組み込まれるというようことになると、大画面化はありうる。
例えば、普段は普通のガラス壁面だけど、その全部若しくは一部で環境映像や写真のスライドショーを流しておくことも、FLIPBOARDのように気になるSNSやニュースのフィードを画像でランダムに表示させることもできるし、テレビやビデオを見ることにも勿論使えるような物。そんな未来はそれほど遠くないだろう。

そこまで行けば4Kの高画質が意味を持つ。

でも、それはハードウエアだけの話ではないことは言うまでもないのだけど、どうも今の日本に作れるものはハードウエアだけ。
仮にそれが多少韓国や中国に先行した所で、いずれコスト競争に巻き込まれ結局儲からずに終わる様な気がしてならない。

4Kテレビ

2013年02月02日 | 雑記
上海の我が家では、インターネットで日本の地上波、BS,CSを見ることができる。しかも全チャンネル一週間分が業者のサーバーに保存されているので、好きなときに好きな番組を見ることが出来る。これは非常に便利。勿論著作権とか何とかは大いに問題ありなんだろうが、合法的に見ることができないんだから勘弁してほしい。

地上波ではわざわざ見ようという番組も無いのだが、CSのゴルフや歴史関係の番組は時間があれば観ている。
しかし、CSやBSの再放送の多さにはほんとうに驚く。ゴルフ番組なんか、「好評にお応えして第一回からもう一度放送します」とかいって、一年前の番組を流している。
ということで、最近はあんまり観るものがなくなってきた。

要するに制作費がないから放送時間を埋めるだけの新番組が作れない、ということ。

一方で、このインターネットテレビは圧縮画像なので、回線の状況にもよるが画質は悪い。しかし、それが気になることはあまりない。
まあ、あたりまえのことだが、観たいのは綺麗な絵ではなく、面白い番組だ。

そんな中で、政府は4Kテレビで日本の家電を再生させるべく放送開始を支援するという。

現在ビジネス的に苦しいために再放送ばかりしている放送局が、4Kになれば視聴者が増えて新番組を作れるようになるのなら、それは結構なことだ。
でも、決してそんなことはない。画質向上というハードの進化はコンテンツビジネスに大した影響を与えない。
そして、テレビというのはコンテンツを見る機械だ。

他方、消費者はこれ以上の高画質を望んでいるか?
VHSからDVDになった時点でもう消費者は画質に満足したから、ブルーレイはいらない。
テレビの画像についても、アナログからデジタルになった時点で大半の消費者はもう満足している。

4Kテレビで日本の家電産業を再生しようなんて本気で考えているなら、絶望的に想像力が欠落している。

これから新聞はどうなるのか

2013年01月26日 | 雑記
上海に来て、まあ当然なんだけど新聞は取っていない。
会社に日経新聞がくるが、読んでいない。ネットがあれば必要な情報は手に入るので、あえて新聞を読む必要もないのだ。多分、帰国後に新聞を取ることはないだろう。
結婚した娘の家は固定電話もないし新聞も取っていない。むしろ今の若い世代ではそれが普通のようだ。

今日本で使っているプロバイダーと契約するときに、家族のメールアドレスを月額50円だかでオプション契約したが、結局みんなGmailをつかっているのでプロバイダーのメアドは全く使っていない。この月額50円も年間600円、もう10年以上使っているから一万円近い無駄金を使ったことになる。

同じように、日本にいた時もほとんど読まなくなってから新聞に一体いくら使ったのかと考えるとゾッとする。
その新聞がどれだけの廃棄物として我が家から捨てられたかを考えると、もっと恐ろしい。
宅配というシステムに支えられ、ほとんどの世帯は「購読中止するキッカケがないから取り続けている」だけだろう。
近い将来、「新聞なんかとるのやめたほうがいいんじゃない?」という動きがあっという間に広がるかもしれない。

構造変化でビジネスが消滅してしまうことは、仕方がない。ブレークスルーなしに現状を無理やり維持しようという試みは成功した試しがない。

そうした中で、新聞の「新聞雑誌の消費税軽減」キャンペーンはいただけない。
また、膨大な紙資源をつかったメディアを毎日日本中にくまなく物流するというビジネスが環境にとって好ましいとは到底思えないが、彼らはそこには絶対ふれない。

例のアルジェリアの実名報道にしたって、どっかの新聞が「本人の名誉」だとか、「海外では実名」とかいう事を言ったらしいが、何を言っているんだろう。
XXXではそうしている、という理論はそれがベストプラクティスである場合にのみ通用する。
海外というだけで有難がる言い方からは昭和のニオイがする。

もう電子化は避けられない。小額課金システムを構築して1記事10円とかで読めるようにするとか、最適化したリーダーを自ら調達し原価で配布するとか、色々取るべき策はあるだろうと思うのだが、どうにも「報道の使命」の名の元に現状維持にしがみついているようにしか見えない。

最近に新聞は自ら滅亡へ向けて加速しているように思える。

テレビCMをパーソナライズするなんてありがた迷惑

2013年01月06日 | 雑記
Techcrunchの記事、「GRACENOTEの広告置換システムはテレビCMをパーソナライズする

これはアメリカの話だろうが、もしこんな世の中になったらそれこそテレビなんて観たくなくなるんじゃないか?
曰く、「利用者に関する年齢、性別、収入、賃貸か持ち家か、車のリースがあるか、その他信用情報などに関する公開情報を 中略 どの広告が最も視聴者に合っているかを判定する。」

こうした公開情報から得られる属性による嗜好は極めてステレオタイプにならざるえない。
TVをつけるたびにグルコサミンやら中高年でも飛ばせるドライバーやらクルーズツアーやら楽々パソコン教室の宣伝ばっかり見せられたたまらない。というか気が滅入る。
あなたはこんな人でしょ?とテレビごときに言われるのは最悪だ。
放っておいて欲しいと思うのは私だけだろうか?

テレビというのは漠然と雑多な情報を垂れ流していて、それがパーソナライズが進むインターネットメディアに対して遅れているという見方がよくされるが、逆にお馬鹿な情報を含めて雑多な情報を垂れ流してくれるということにメリットもある。
ネットメディア、特にソーシャルネットワークの世界では、自分が気に入った情報しか入ってこない。これは実は非常に危険なことなのではないか。
自分が気に入った関係者の情報だけを受信し、「みんなそう言っている」と勘違いする。
ネトウヨ、ネトサヨ、反韓、過剰な反原発などに陥っている人たちはたいていそうなのではないか?

情報の窓口をひろくして自分の頭で何が正しいのかを考えて取捨選択することをしなくなったら、収容所にいるのと変わらない。

新政府ってこれでいいのか

2012年12月27日 | 雑記
天津に来てる。寒い。零下5度。
今朝上海から天津に向かう上海航空機内でもらった新聞の一面は
「安倍強硬派内閣組閣、外相、防衛相は問題あり、中国と韓国との間の緊張は高まる」
ということで、結構これからの対中政策が気になる。まあ、中国メディアはすべて国のものだから、こうした見出しも日本に対する牽制という意味もあることは分かっている。
しかし、もうこれ以上事態を悪くしてほしくないというのが中国ビジネスをしている私の率直な気持ち。
失言の多い人も閣僚になっていて、大丈夫なのだろうか。

安倍氏はデフレが全ての悪の元凶であり、金融緩和でインフレに転換するといっているようだけど、デフレは結果であり原因ではない、と素人でも思う。
この先税金を使って国土整備をすることで目先の景気は良くなるかもしれないが、それって液晶テレビの需要先食いと同じで、3-4年たったらもっと悲惨な状況になるんじゃないの?
それ以上に国土整備への投資はまったく国際競争力の向上に寄与しない。第二東名に何兆円も使ったけど、いいことあったか?

いままで政治の話は避けてたけど、本当にこれでいいのか心配になる。

週刊誌のレベルの低さ

2012年10月18日 | 雑記
先日所要で一時帰国した際に、電車の中吊り広告「中国でビジネスマンが毎年300人死んでいる」に惹かれて週刊現代を購入。その内容の低さにあきれた。

いわく、ある保険会社のレポートから、中国における契約企業で昨年71人が死亡、うち数名が自殺。で、その保険会社と契約している会社数は中国進出企業の1/4程度なので、全体では300人程度が死亡していると推定される、という。

その推定の大雑把さにも問題があるが、それ以上に驚いたのは、死亡した人数に関する話はこれで終わってしまっていること。
中国在住ビジネスマンの死亡率が国内や他の地域に駐在する日本人よりも高い、という話だとばかり思っていたら、そういった比較はまったく出てこない。300人という数字が多いのか少ないのかすら、分からない。
こんなのネットで30分も調べれば、なんらかの比較数値は引っ張れるだろうに。
まともなビジネスの世界であればこんな報告書は絶対に通らないだろう。
まあ週刊誌にさしたる期待はしていなかったけど、それにしてもレベルが低すぎる。

そうこうしていたら、今度は週刊朝日の橋下市長けなし記事。
これは駄目でしょう。
先祖が被差別地域出身で、そのDNAを受け継いでいるという言い方。
開放同盟が問題視したら廃刊になってもおかしくないよ。

アウト、セーフという以前に親や祖先が犯罪者だから本人がどうだ、とか、被差別地域出身だからどうしたなんて幼稚な記事をよくもまあ掲載したものだと思う。

JALの接客

2012年10月16日 | 雑記
一時帰国終えて上海へ戻るべく、羽田国際空港。
チェックインカウンターでJALサクララウンジが利用可能の説明を受け、チケットに入場スタンプ押してもらったが、ラウンジで「お客様のステータスではご利用頂けません」と追い返された。
ラウンジのいうことが正しいらしいが、そっち側のミスてしょ。
一旦使えると言ってスタンプまで押してるなら、使わせるのが普通の接客だと思う。

まあ、中国東方航空からの業務委託だから判断できなかったのかも知れないけどね。
軽く不快。

マクドナルドのやり方は納得出来ない

2012年10月15日 | 雑記
マクドナルドはカウンターのメニュー表を撤去したことは、結構報道されているが、ネガティブなこととしては「目の悪い年寄りにやさしくない」とか「カウンターで指差しで注文していたナーバスな人がかわいそうだ」みたいな的外れのことしか書かれていない。
マクドナルト広報は、メニューボードで事前に注文を決めてもらえばレジ処理速度が上がり、待ち時間が短縮されると言っているが、ふざけるのもいい加減しした方がいい。

2chなどでは「露骨なセット販売の強要である」ことが指摘されているが、私もそう思う。

そもそも、100円マック等の廉価単品メニューはカウンターのメニュー表にしかなく、しかも非常にわかりにくい場所にひっそりと記載されていた。今回はそれすら見せないようにする。

マクドナルドは藤田田社長の時代に59円バーガーという驚異の価格破壊を行い、これが客単価を下げたため価格改定をしたところ来店客が減少したという過去がある。
アップルジャパン当時の原田社長はこれを最悪のケーススタディとして社内に紹介したことがあると、何かに書いてあった。

原田社長がレジ処理速度を上げ、さらに客単価を上げることで収益を拡大しようとするのは経営者として当然のことだ。
客単価をさげる100円マック商品は売りたくない。しかし値上げイメージを消費者に与えるから、廃止はしたくない。

その解決札として、企業が最も採用するべきでない方法を日本マクドナルドは採用したのだ。
お客様に不便を強いて、もしくわかりにくくしてセットメニューに誘導するという、ブラック企業さながらの手法と言わざるえない。
都合の悪いことは言わない、あるいは小さく書くというようなことをする企業にろくな企業はない。

広報がいう、待ち時間にメニューを決めてもらうというのであればわかりやすいメニューを並んでいるお客様にお渡しすればいい。というか、レジ上のメニューボードに全点を表示すればいい。
それだと多すぎてわからないのであれば、100円マックはやめればいい。

実は私がこれにこんなに執着するのには理由があります。私は芋の類が嫌いで、セットメニューを注文したことがない。
だから、セットを強要されるのが非常に不愉快なのだ。

ノルウェイの森

2012年08月08日 | 雑記
先日、映画「ノルウェイの森」をDVDで観た。
昔「風の歌を聴け」の映画版をみて大いにがっかりした経験があるのでこれも劇場で観る気はまったくなかったのだが、やはり日本にいるときよりは時間をもてあますことが多く、暇つぶしに観てみた。

村上春樹の作品に流れる空気を映像で再現することはできない。だから、「ノルウェイの森」にもそもそも期待していなかったが、松山ケンイチという役者自身がある程度その世界を再現していたように感じる。とはいえ、私には退屈な映画だった。

この映画をみて、まったく原作を思い出せなかった。ストーリーは直子という女の子が精神を病んでしまうことと、主人公が登場する女性とことごとくセックスをすること位しか、記憶にない。
実際一番記憶に残っているのは冒頭の、ハンブルグ空港へ着陸する飛行機から「ノルウェイの森」が流れるシーン。
そもそも私にとって村上春樹はその場その場のレトリックや言い回しを味わう環境音楽みたいなものなので、ストーリーはほとんど覚えていない。

それよりも、ちょっと驚いたのはこの小説が1987年、今から25年前に発刊されているということ。
赤と緑の「クリスマス装丁」2冊セットが大ブームになったのはもうそんなに昔のことだったのか。もっと最近のことのように思えて仕方がない。
しかし、調べてみると「羊3部作」「ハードボイルドワンダーランド」の次が「ノルウェイの森」で、村上の初期の作品なのだ。

青春が終わる頃のある時点、私の場合は1983年頃をもって過去の出来事が「昔のこと」と「最近のこと」に分かれる。
だから、「風の歌を聴け」と「ノルウェイの森」は私の中では大きな時間的な隔たりがあるように感じるのかもしれない。