みに・ミーの【みにスケール模型日記】

ミニスケールAFVを中心とした模型日記です。

ディエップ上陸作戦、現地踏査

2007年06月12日 21時37分35秒 | 書籍
 『軍事研究』の続き、今度は5月号のディエップ上陸作戦について。斎木伸生著「ディエップ上陸、狭すぎた海岸」(欧州戦跡紀行:連合軍反攻の軌跡)です。
 この連載は斎木氏が自分の足で戦跡を歩いた紀行文です。この雑誌はお堅い記事が多いのですが、この連載はわりとくだけた文体で、しかも軍事の専門家らしい細かい視点が面白い。例えばディエップに続いて訪れたマーケットガーデン作戦の戦跡で、オランダのブレダの町に記念碑として展示してあるパンターを発見。普通の雑誌なら「戦車が置いてありました」で済んでしまうでしょうに、斎木氏の記述は大変詳細。装備品は失われていてサスペンションもへたっているけれど、コンディションも良好。それも初期生産型のD型で、この町を解放したポーランド軍が贈呈したもので、などなど。確かにパンターDの現存車輌は珍しいと言えます。
 さて問題のディエップの町。斎木氏は記念碑や現在残っている戦跡などを、細かく回っておられます。今も当時のトーチカが記念として残されているそうです。しかも戦闘の一つの焦点となったカジノの場所が、今もカジノとして営業中だとか。そう言えば「史上最大の作戦」でもフランス軍部隊がカジノを攻撃する場面がありました。フランスでは海岸ばたに必ずカジノがあるんかいな?
 さらに、英軍コマンド部隊の目標の一つとなったレーダーサイトの跡も見つけたそうで、それを守るトーチカの写真も掲載されています。そして、当時海岸で擱坐し炎上する舟艇や戦車を写した写真と、同じ場所で斎木氏が写した写真とが並べてあります。いかに悲惨な戦闘であったかが分かります。この上陸地点で、準備砲撃も爆撃もなし、ってのは無謀です。

 さてディエップと言えば、参加した車輌の主力がチャーチルのMk.I~IIIだったため、悲惨な写真ではありますが、資料としての意味もあります。そこでこれからいくつか、ディエップのものも含めて、いくつかチャーチル関係の資料を紹介したいと思います。
 まあ、本体サイトの6万ヒット記念をかねて、「チャーチル復活宣言」です。って、まだ作っていなかったのか?とおっしゃるなかれ。資料やキットが増えた分、製作計画の見直しで止まってたんです…