ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

Plastic Peopleの噂

2007-11-06 03:28:45 | ヨーロッパ


 ”Egon Bondys Happyhearts Club Banned”by Plastic People of the Universe

 そんな訳で、秋にちなむ音楽の話でも、と言うことで。とか言うだけで、先日来、大分関係のない方向に行ってますが。

 で、秋と言えば東欧です。何でそうなると問われても返答に困るが、なんとなくあの辺っていつも秋みたいな感じがしませんか?緑豊かだけどあんまり生命力感じない沃野がシンと広がる中に、崩れかけた古城とか。ドナウ川沿いに中世から続くまるごと美術品、みたいな町並みが秋空の下に広がっているとか。

 東欧と言うか”東ヨーロッパ共産圏”のロックに興味を持って聞き始めたのは70年代の終わり頃だったかなあ。チェコの”Plastic People of the Universe”なるバンドの噂あたりがきっかけになって。

 何でもそのバンドはサウンドもその主張も非常に過激なものであって、何しろ当時はまだ東欧諸国はどこも一党独裁の閉ざされた国情だったから、バンドは治安当局から大いに締め付けを受けた。
 ついにはライブを行なうのもままならない状態に追い込まれ、バンドは地下に潜ったそうですな。で、こっそり行なわれたレコーディングの成果である録音テープはチェコを訪れた支持者の外国人などに託され、こっそり国境線の向こうでプレスされ、レコードとなって皮肉なことにチェコ国外の音楽ファンのみの間で評判を得るようになる。

 なんだか五木寛之がデビュー当時に書いていたジャズ小説のロック版みたいな話ですが、これにはなかなか好奇心を刺激され、現物を聞いてみたいと熱烈に思ったものです。けど、そんなレコード、どこに行けば手に入るのか見当もつかずで、あちこち通好みの怪しげな輸入レコード店を探しまわったものでした。

 で、その2年後くらいかなあ、まるでごく普通の大手チェーンのレコード店の片隅に、私は気になっていた”Plastic People”のアルバムを見つけるのです。
 アルバムのタイトルは、ビートルズの”サージェント・ペパーズ・・・”のパロディらしい、”Egon Bondys Happyhearts Club Banned”であり、どうやらこれはチェコからカナダに持ち出されたテープを音盤化した、彼らの”外国での2ndアルバム”のようでした。
 こいつは良かったとさっそく買って帰って聞いてみると・・・
 そうだなあ、ロックバンドのくせしてシロホンなんかがフィーチュアされていたり、グロテスクにデフォルメされたコーラスが哄笑まじりに響いてみたりで、フランク・ザッパのマザースの音楽のやや温度を下げたもの、みたいな感じに、私には聞こえました。

 その、いかにもな前衛ロックのサウンドと、裏ジャケの写真の、古い歴史を感じさせるプラハの街角とそこに居並ぶ並ぶバンドのメンバーとその支持者たちの、”いかにもヒッピー”みたいな風体の対比やら、片隅に記された、「このアルバムが世に出るにあたってさまざまな協力をしてくれた、名前を出すわけには行かない人々に感謝を」なんて謝辞などに大いに惹かれてしまいましてですね、すっかり”Plastic People”のファンになってしまった。

 とは言え、その後のバンドの噂も伝わっては来ず、レコードも手に入らずで、いつしか彼らの事は記憶の隅に追いやられていったのでした。同じ東欧出身の、もう少し聞き易いサウンドのバンドなどにも出会い、そちらに興味が行ってしまったりもしました。
 そしてこうして時は流れ。例の東欧諸国の一党独裁政権が将棋倒し状態で打ち倒され、改革の波が押し寄せ、ベールに覆われていた東欧各国の大衆音楽にも触れる機会が増えていったのでありました。

 今、ヨーロッパのマニアなロック音楽を扱う通販レコード店のカタログなど開いてみると、”Plastic People”のCDは、そうだなあ10種近く並んでいますな。彼らが”幻のバンド”だった頃の音源の再発やら、チェコの”開放”の後、自由に音楽が演奏できるようになってからの新譜やら。
 そして私はそれらのアイテムに、とくに興味を持つこともなくカタログを繰るのでした。まあ、あいつらのサウンドは大体分かったからいいよ、と。

 この辺もいかがなものか、我が事ながらと思うのですが、何のことはない、”政府当局の弾圧により、自由に演奏活動も出来ない悲劇のバンド”なる”神話”が解けてしまうと、それほどまでに入れ込むほどのバンドかなあ?とか思い始めてあんまり聞く気にならなくなってしまっているんですな。
 まあ、こんな話はありますよ、そこまで政治的な舞台まで行かずとも。ひょんなことで知り合ったマイナーなバンドをヒイキしていたが、彼らが売れ始めるとつまらなくなって応援をやめてしまうとかね。

 それにしても。時に思うんですが、改革前のチェコで”Plastic People”が受けていた弾圧の話というのも、どこまで本当なんですかね?”西側”の音楽ジャーナリズムがオーバーに報じていた部分や、バンド自身が、”苦悩のバンドの神話”を利用していた部分だって、もしかしたらあったかもしれないですからね。

 いや、吉行淳之介がかって言ったとおり、詩のあとには散文がやってくる。という話ですわ。う~ん、やっぱり秋らしい話にはならなかったな・・・


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