ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

あの頃、ポーランドで

2007-11-07 03:05:39 | ヨーロッパ


 ”Ojciec chrzestny dominika” by Jozef Skrzek

 朝晩はすっかり冷え込むようになりまして、さて、さらに続けて東欧話であります。

 これはポーランド・プログレ界を代表するロックバンド、”SBB”の中心人物、ヨゼフ・スクルチェフが1981年に出した、彼としては初めてのソロ・アルバムです。このアルバムはほとんどリアルタイムで聞いたのですが、当時の私、すっかり東欧ロックといいますか共産圏ロックにはまっていたのでありました。

 まあこれも難儀な世界で、なにしろ当時の東欧といえば、一党独裁の専制政府にどの国も支配されていて、そこでは政府が秘密警察なんかを使ってガッチリ国民の生活を押さえ込んでいた。
 ロックなんて”西側”の腐敗した文化は基本的にご法度だったし、まともにレコードも楽器も音楽に関する情報も手に入らない状態で、そんな環境下であえてロックをやる情熱には敬意をはらうにしても、出来上がってくる作品はやっぱりどうしようもなくダサかった。

 けど、その独特のダサさに不思議な魅力があるのもさらに捻じ曲がった真実で、その辺の微妙なところに反応が出来る感性の持ち主たちが奇特にも東欧ロックのファンをやっていたのですな。
 この感覚、無理やり分析してしまえば、東欧ロックを覆っていた閉塞感、抑圧感に、ままにならない日常生活から生じた、自らの背負った抑圧感を重ね合わせて共感幻想を抱いていた、なんて事にでもなるんでしょうか。まあ、単に変なもの好きと呼ぶべきなのかも知れないが。

 もっとも今回のスクルチェフのアルバムあたりになると、なにしろポーランド・ロック界の最高峰ですからね、そんな歪んだ快楽話は持ち出す必要もなく、普通に当時のプログレッシヴ・ロック作品として高評価を与えられる質の高さがあるんですが。

 まずアルバムを手にしてギョッとさせられるのは、そのジャケ写真です。上に添付した画像でその辺のニュアンスをお分かりいただけるかどうか・・・

 長髪を振り乱してキーボードに向うスクルチェフのパネル写真を真ん中に、球技やらクラシックバレーやらに興ずる少年少女の姿があり、また、旧ソ連だったらピオネールというんですかね、赤いスカーフを首に巻いた共産党少年団の姿なども見える。
 それら子どもたちが妙に生気のない顔立ちで居並ぶ真ん中に、まるで遺影みたいに掲げられたスクルチェフの写真。

 ブラック・ユーモアと取るべきなんでしょうね。
 当時の労働党政府が押し付けて来ていたのであろう、”期待される青年像”を演ずる子供達の空疎な表情が重苦しいものを伝えてきます。こいつは裏返された哄笑であるのか、それとも苦い諦念の表出であるのか。

 収められた音は、LP盤ではAB面一曲ずつのシンフォニックな組曲形式の壮大なもの。

 教会の鐘の音で始まり、その後の展開でも目立つのはキーボードの多重録音で組み上げられた教会オルガン的なプレイ、というあたり、宗教的な作品かとも思いかけるんですが、まあ、ヨーロッパのこの種の音ではありがちでもあり、スクルチェフが基本的にはキーボード・プレイヤーであるんで、この辺はむしろ、彼の音楽の素地と言うか基礎教養が顕わになっていると取るべきなんでしょう。

 濃密な深層意識の胎内巡り、みたいな暗黒の音楽世界が開示され、スクルチェフの歌声が悲痛な響きのメロディを歌い上げる。聞き終えると一旅終えた気分になる、重量作品であります。

 なにしろボーカルはポーランド語であり、ジャケに記されているのもことごとく、あたりまえながらポーランド語なんで、このアルバムが何をテーマにしているのかが分からないのがもどかしいのですが。というか、初めて聞いてから四半世紀も分からないままに放っておくなよ、というものですが。

 ちょっと不思議なのは、冒頭と終わり近くにブルース調のハーモニカが聞こえること。クラシック色の濃いこのアルバムなのになあと首を傾げるんですが、後日、スクルチェフが所属しているバンド、”SBB”が何を意味するのか知って驚いた。これは”シレジア・ブルースバンド”の略なんですね。あいつら、もともとはブルースをやっていたのかあ。
 60年代末、ロックの世界がブルースに傾斜していた頃、古い言葉を使えば”鉄のカーテン”の向こう、ポーランドの古都シレジアにおいて彼らも、”西側”の我々と同じようにアメリカの黒人のあのどす黒い音楽に夢中になっていたのかと知ると、それもまた味わいの深い話だなあ、と思えてくるのでした。


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6 コメント

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SBB (Kotik)
2008-03-02 14:55:24
昨日、「新世界レコード社」について投稿したKotikです。私はロシアの音楽に最近関心を持っていますので、貴ブログのその周辺のページを見ていたのですが、これにはかなり驚きました。もちろん、私はこのバンドについて何も知りませんでした。ネットでとりあえず聴いたのはSBB - Moja ziemio wysniona - Wish (live in Warszawa, 1979) というものです。ライブで、1979年とあります。まずは、おっしゃるとおり、当時のプログレとして質が高いことに納得して、そして次に、プログレと共産主義政権下のその昔のポーランドを繋げて考えようとしてみました。プログレは、「西側の腐った文化」の中でも比較的に腐っていないものとして、あまり厳しくは取り締まられていなかったのでしょうか。こういう発見をさせてもらえて、嬉しいです。ついでながら、私、イギリスから書いています。
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霧の彼方に (マリーナ号)
2008-03-03 02:55:59
 kotikさんへ
 共産圏のロック事情、興味はあるのですが、なにぶんにも資料不足でその実態はなかなかつかめずにいます。プログレに関しては、ジャズの仮面を被ったりクラシック色を濃くしたりで「これは低俗なロックではない」ってごまかしごまかしやっていた気配もありで。
 その一方、自由化に傾いていたハンガリーなんかでは西側でそれなりに売れることで”外貨獲得”の実績を挙げてお目こぼしをもらっていたパターンもあるみたいですね。
 いや、ほんとのことは分からないです。私も現地の言葉は分からないし、手に入る少しの音源と”通”と称する人からの断片的な情報から想像するだけで。
 ところで・・・イギリス在住とのことですが、そちらの現地人は東欧のロックなどに関心を持つのでしょうか?アメリカ人なんか、自国の音楽にしか目が行ってないようですが。
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イギリスのポーランド (Kotik)
2008-03-04 14:01:11
旧共産圏東欧諸国では、国により西側の大衆音楽を許容する閾値に若干の違いがあったようですね。ご指摘のようにハンガリーなどでは比較的に自由であったというのは、何となくピンと来ます。フランスとの独自の友好関係などもあったのでしょう。1980年前後といいますと、ロシアではむしろ取締りが厳しくなった時期とどこかで読んだ記憶がありますが、もう東欧の国々に対しては宥和体制に入っていたのでしょうか。それにしてもポーランドは不思議な国です。文化大国ですから、政治的な抑圧が緩めばSBBのような人たちが…というのはうなずけます。しかし、今日のポーランドは、またしても混迷しているようです。イギリスには、実数は思い出せませんが、今日、相当な数のポーランド人が移民して来ています。ですから、草の根ではポーランドから音楽を持ち込んではいるようです。ポーランド人店員が多いカフェなどにいますと、どうもポーランド語らしいポップスがかかっていたりします。しかし、それなりの知名度のヴェニューでポーランドのバンドが演奏、ということはまずないみたいです。ロシアにしても同じです。しかし、アメリカと比べるならば、イギリスは、同じEUの国でもあり、東のほうの事情には関心度は高いと思います。大衆音楽まで包摂するかどうかまでは分かりませんが、ポーランド人のイギリスでの存在はかつてないほどに大きいです。…私は必ずしもイギリス在住ではありません。昨年10月から今年の1月までは東京で働いておりました。およそ3ヶ月の周期で、イギリスと日本を行ったり来たりしています。新世界レコード社は、前回の東京滞在では一度も行かなかったのが心残りなのでした。最後に行ったのは、5月か6月だっと思います。
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暴動を待ちながら(?) (マリーナ号)
2008-03-05 06:31:08
Kotikさんへ
どうもイギリス情報をありがとうございました。
イギリスにおける、かってのカリブ海の人々の動きなど思い起こすと、あれと同じ具合にとまでは行かなくとも、東欧方向でもなにごとか起こりはしないか?と期待を込めて見つめる、そんな気分にどうしてもなってしまいます。
そもそもがスラブ系の音楽には妙に血が騒ぐ方ですし。
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暴動の可能性 (Kotik)
2008-03-05 13:53:25
イングランド北東のニューカッスルという町などでは、人口の数十パーセントがポーランド人になっているという噂を聞いたことがありますが、そういうのが本当だとしますと、暴動めいたことが起こってもおかしくはないと思います。ただ、(一部の)ロシア人とはちょっと違い、ポーランド人は総じてあまり乱暴ではないですね。それよりも、同じスラブ系ながら、スラブ系ロシア人とポーランド人のあいだでの反目と対立などが気になりもします。
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. (マリーナ号)
2008-03-06 05:17:22
う~ん、日本においても外国人vs外国人の抗争なんてのはありますしね。
しかし、イングランドにおけるポーランド人口数十パーセントの街、となるとむしろ、職につけないイギリス人が妙な動きをしないか、そちらが気になってきます。
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