”Ojciec chrzestny dominika” by Jozef Skrzek
朝晩はすっかり冷え込むようになりまして、さて、さらに続けて東欧話であります。
これはポーランド・プログレ界を代表するロックバンド、”SBB”の中心人物、ヨゼフ・スクルチェフが1981年に出した、彼としては初めてのソロ・アルバムです。このアルバムはほとんどリアルタイムで聞いたのですが、当時の私、すっかり東欧ロックといいますか共産圏ロックにはまっていたのでありました。
まあこれも難儀な世界で、なにしろ当時の東欧といえば、一党独裁の専制政府にどの国も支配されていて、そこでは政府が秘密警察なんかを使ってガッチリ国民の生活を押さえ込んでいた。
ロックなんて”西側”の腐敗した文化は基本的にご法度だったし、まともにレコードも楽器も音楽に関する情報も手に入らない状態で、そんな環境下であえてロックをやる情熱には敬意をはらうにしても、出来上がってくる作品はやっぱりどうしようもなくダサかった。
けど、その独特のダサさに不思議な魅力があるのもさらに捻じ曲がった真実で、その辺の微妙なところに反応が出来る感性の持ち主たちが奇特にも東欧ロックのファンをやっていたのですな。
この感覚、無理やり分析してしまえば、東欧ロックを覆っていた閉塞感、抑圧感に、ままにならない日常生活から生じた、自らの背負った抑圧感を重ね合わせて共感幻想を抱いていた、なんて事にでもなるんでしょうか。まあ、単に変なもの好きと呼ぶべきなのかも知れないが。
もっとも今回のスクルチェフのアルバムあたりになると、なにしろポーランド・ロック界の最高峰ですからね、そんな歪んだ快楽話は持ち出す必要もなく、普通に当時のプログレッシヴ・ロック作品として高評価を与えられる質の高さがあるんですが。
まずアルバムを手にしてギョッとさせられるのは、そのジャケ写真です。上に添付した画像でその辺のニュアンスをお分かりいただけるかどうか・・・
長髪を振り乱してキーボードに向うスクルチェフのパネル写真を真ん中に、球技やらクラシックバレーやらに興ずる少年少女の姿があり、また、旧ソ連だったらピオネールというんですかね、赤いスカーフを首に巻いた共産党少年団の姿なども見える。
それら子どもたちが妙に生気のない顔立ちで居並ぶ真ん中に、まるで遺影みたいに掲げられたスクルチェフの写真。
ブラック・ユーモアと取るべきなんでしょうね。
当時の労働党政府が押し付けて来ていたのであろう、”期待される青年像”を演ずる子供達の空疎な表情が重苦しいものを伝えてきます。こいつは裏返された哄笑であるのか、それとも苦い諦念の表出であるのか。
収められた音は、LP盤ではAB面一曲ずつのシンフォニックな組曲形式の壮大なもの。
教会の鐘の音で始まり、その後の展開でも目立つのはキーボードの多重録音で組み上げられた教会オルガン的なプレイ、というあたり、宗教的な作品かとも思いかけるんですが、まあ、ヨーロッパのこの種の音ではありがちでもあり、スクルチェフが基本的にはキーボード・プレイヤーであるんで、この辺はむしろ、彼の音楽の素地と言うか基礎教養が顕わになっていると取るべきなんでしょう。
濃密な深層意識の胎内巡り、みたいな暗黒の音楽世界が開示され、スクルチェフの歌声が悲痛な響きのメロディを歌い上げる。聞き終えると一旅終えた気分になる、重量作品であります。
なにしろボーカルはポーランド語であり、ジャケに記されているのもことごとく、あたりまえながらポーランド語なんで、このアルバムが何をテーマにしているのかが分からないのがもどかしいのですが。というか、初めて聞いてから四半世紀も分からないままに放っておくなよ、というものですが。
ちょっと不思議なのは、冒頭と終わり近くにブルース調のハーモニカが聞こえること。クラシック色の濃いこのアルバムなのになあと首を傾げるんですが、後日、スクルチェフが所属しているバンド、”SBB”が何を意味するのか知って驚いた。これは”シレジア・ブルースバンド”の略なんですね。あいつら、もともとはブルースをやっていたのかあ。
60年代末、ロックの世界がブルースに傾斜していた頃、古い言葉を使えば”鉄のカーテン”の向こう、ポーランドの古都シレジアにおいて彼らも、”西側”の我々と同じようにアメリカの黒人のあのどす黒い音楽に夢中になっていたのかと知ると、それもまた味わいの深い話だなあ、と思えてくるのでした。
共産圏のロック事情、興味はあるのですが、なにぶんにも資料不足でその実態はなかなかつかめずにいます。プログレに関しては、ジャズの仮面を被ったりクラシック色を濃くしたりで「これは低俗なロックではない」ってごまかしごまかしやっていた気配もありで。
その一方、自由化に傾いていたハンガリーなんかでは西側でそれなりに売れることで”外貨獲得”の実績を挙げてお目こぼしをもらっていたパターンもあるみたいですね。
いや、ほんとのことは分からないです。私も現地の言葉は分からないし、手に入る少しの音源と”通”と称する人からの断片的な情報から想像するだけで。
ところで・・・イギリス在住とのことですが、そちらの現地人は東欧のロックなどに関心を持つのでしょうか?アメリカ人なんか、自国の音楽にしか目が行ってないようですが。
どうもイギリス情報をありがとうございました。
イギリスにおける、かってのカリブ海の人々の動きなど思い起こすと、あれと同じ具合にとまでは行かなくとも、東欧方向でもなにごとか起こりはしないか?と期待を込めて見つめる、そんな気分にどうしてもなってしまいます。
そもそもがスラブ系の音楽には妙に血が騒ぐ方ですし。
しかし、イングランドにおけるポーランド人口数十パーセントの街、となるとむしろ、職につけないイギリス人が妙な動きをしないか、そちらが気になってきます。