”Directorsound – Two Years Today”
今日、というか暦の上ではもうとっくに昨日になっているのだが、この夏最後の花火大会が終わった。ともかく観光客を呼ぶにはこれが一番、というわけで夏には毎週のように花火大会が開催されるわが街である。その花火大会も、これが最後。
8月もこのあたりになると、そぞろ寂寞感など空気の中に忍び入って来ている。日差しも地面に落ちる影もどこか弱々しいものに感じられ、昼間、砂浜を埋めた海水浴客たちも、なにやら寒々しい雰囲気を身にまとう。日が暮れて、浴衣など着込んで通りに繰り出す人たちは、「この夏もこれが最後だ」なんて去り行く夏への惜別の思いなど漂わせている。
そして打ち上げられる花火の最後の一発が夜空に消えた後、人々はなんとなく口数が少なくなってJRの駅やら宿泊している宿への道をたどるのだ。これは盛夏の花火大会の終わりだったら皆は大声で冗談を言い交わし、下駄の音高く帰って行くのだが。
何か、行ってしまった今年の夏への哀悼の意を表しているみたいで、哀しいような可笑しいような、不思議な気分で自分もその姿を見送る。夏の残骸の中に取り残された我々、花火会場の原住民もまた、うら寂しい気分は同じこと、というか、海水浴客が来なくなればその分、懐も寂しくなる仕組みでね。これからの残暑はほんとに頭に来るんだ。「バカヤローめ、今頃暑くなったって一銭にもなりゃしねえんだ」と溜息とともに太陽を見上げる。
今回のアルバム、英国人の、どうやら必ずしもフルタイムのミュージシャンではないじんらしい人物による一人宅録の作品である。作者が住むらしい南イングランドの海辺の町の季節のスケッチ、とでも言うんだろうか。なんだかそんな夏の終わりの、まだまだ強い陽光のうちにも、時おり吹き過ぎる足の到来を思わせる風の気配とか、そんなものを思わせる響きがあり、この季節になると聴きたくなってしまうアルバムだ。
いや、季節がどうこうではなくて、南イングランドという地域が年間通じてそんな感じの気候だ、という話もあるんだが。
聴こえて来る音は、なにやら玩具箱をひっくり返したような。ロックのようだったり映画のサントラのようだったり、カラフルに変化して行くのだが、楽器の音がどれも玩具のような感触で響いてくる。そしてどの音にも独特の日差しの感触。明るいけれど、どこかひんやりと落ち着いている表情がある。
生まれた街、南イングランドの海岸で、季節が行き、時が過ぎ行くのを静かに見つめていた一人のミュージシャンの描いた一幅の絵画とも言いたいアルバムなのだった。