ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

女装をやめてレナートは

2006-02-14 04:14:45 | ヨーロッパ

 ”AMORE DOPO AMORE”by Renato Zero

 揚げ足取りに徹するといいましょうか、変なところにばかり突っ込んできた我がブログですが、今回はもしかしたら初めて大スターの、”名盤”の誉れ高いアルバムについて書く。
 そんなのつまらないって気もしないでもないけど、今日、車を運転しながらずっと聞いていて、やっぱり良いなあと改めて思ったんで、なんか書かずにはいられない気分です。まあ、イタリアン・ポップスなんてのが今日の日本ではジャンル丸ごとマイナー存在だから、いいかあ。

 そんなわけで、イタリアのベテラン歌手、レナート・ゼロの1998年度作品、「愛、そして愛」であります。

 レナート・ゼロは1950年9月30日ローマ生まれ。1966年、デビュー・シングル「Non basta mai」を出し、1969年フェリーニ監督の映画「サテリコン」に出演というから、相当のベテランですな。
 この人を語る際に欠かすことの出来ない話題は、かって女装のロックンローラーだったこと。70~80年代あたりのレコードジャケットなんか見るとステージ衣装としてなんかじゃなく、もう本気の、そういう趣味の人の女装振りであります。でも出来上がりは残念ながら彼の顔立ちの男っぽさが逆に強調されてしまって、なんと申しましょうか、在りし日のマーク・ボランがスカートはいているだけ、みたいに見えます。

 で、その音楽性はといえば、お化粧っぽさなんかまるでなく、男っぽいシャウトが印象的なヨーロッパの風薫る、やや歌謡曲チックなロックであります。でも女装は女装なんであって。この辺、現地イタリアではどんな具合に受け入れられていたのかなあ?と思うんですが、今のところ、良く分からず。キワモノと見るなという方に無理がある、みたいな存在だったわけで。公序良俗をムネとする人たちからの反発は当然あったろうし。また、私は先に”本気の”とか書いたけど、ご当人にとって女装というのは、どの程度切実な趣味だったのかなあ?ってあたりも気になりますが。

 そんな彼も、90年代辺りになるとすっかり落ち着き(といっていいのかどうか?)女装もやめて、じっくりバラードを聞かせるタイプの大人の歌手に変身して行きます。その最初の成果がこのアルバム、”AMORE DOPO AMORE”。長時間録音のCDの特性を生かし、じっくり70分以上、腰を落ち着けてバラード主体にしみじみ良い歌を聞かせてくれます。
 このアルバムの高い完成度が彼をして本格派のポップ・シンガーと満天下に認知させたって次第で。満天下ったって、”イタリアン・ポップスファンの間では”って、狭い狭い意味なんだけど、やっぱり。

 でもねえ。私、先に述べたことがなんだか気になってしまうのでありまして。まあ、世間はもう彼を女装のキワモノ歌手なんて認識はしていないと思うんだけど、彼自身はどうなんだろう?どうも彼の女装って”本気”だったように思えてならない。だからこのアルバムの充実も、どこかに彼の、女装を諦めなければならなかった(営業上?あるいは、もう自分も若くない、美しくなれないと悟った?いずれにしても・・・)がゆえの影が射しているような、そんな方向に気を回しつつ聞かずにはいられないんですよ。

 かってデルタ・ブルースの帝王、ロバート・ジョンソンは四つ角で悪魔と取引をして最高のブルースマンのギター・テクニックを手に入れた。そしてレナート・ゼロは、悪魔に女装を捨てるという代価を支払い、大人の歌手としての評価を手に入れた。
 だからアルバムのジャケに写る彼の(もう化粧はしていない)顔には、なんともいえない憂愁の影が宿っているのだ、とか。まあ、野次馬として話を面白く面白く解釈しようとはしてますけどね、私(笑)
 でもなんだかそんなたわごとを並べ立てたくなる、不思議な妖気が漂う傑作ではあります、”AMORE DOPO AMORE”は。






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