ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

電子の森で遊び続けろ

2012-05-19 03:33:09 | エレクトロニカ、テクノなど


 ”Consequenz”by Conrad Schnitzler

 コンラッド・シュニッツラーは1937年に生まれたドイツの先鋭的ミュージシャンで、60年代末から70年代にかけて、タンジェリン・ドリームやクラスターといったかの国のエレクトリック・ミュージックの先駆けとなったバンドに属し、電子音楽とロックの世界を切り開き、その後もソロ・アーティストとしてユニークな音楽作品を生み出していった。
 ・・・なんてことを今更書くのも実は気はずかしい。そんなことは私なんかよりこの方面にはずっと詳しい何人もの人が既に書いているのだろうし。
 だが今、ふと気がむいて彼のアルバムを引っ張り出して聴いていたら、私だってファンの端くれ、追悼文代わりの小文でも記してみたっていいだろう、なんて気分になっ来たのだ。まあ、彼が亡くなったのは昨年の八月、どう考えたって遅すぎるが。

 それにしても、彼の音楽について述べるのはなにやら難しい。同じドイツのエレクトリック音楽組でも、クラウス・シュルツェとかの繰り広げる壮大な音世界とか、そういった分かりやすい彼の個性というのが見つけにくいのであって、アタマで”先鋭的な”とか分かったようなことを書いたが、ホントのことをいえば、彼が何をやっていたのか、説明できるような形で把握できてはいない。
 例えば、今聴いているこの盤、”Consequenz”にしたってそうなのであって、どうすりゃいいのか、この盤を。

 アルバムは、同じドイツの電子音楽畑で活躍するWolf Sequenzaとの連名となっていて、実際、二人が対等に向かい合って電子楽器を奏で、音楽のクリエイトを行なっている。
 縦糸と横糸というのか、そもそもがドラマーであるWolf Sequenzaゆえ、リズミックなプレイで、コンラッドの繰り出す奇想に満ちた音塊に独特の生命感を吹き込んでいて、これはなかなか好きなアルバムだ。ごく普通に楽しい音楽、と受け取れる・・・と思うのだが、聴き慣れない人にはそうも行かないのかもしれない。
 音の記号をピンポンのように打ち合う感じの(アナログ盤でいえば)A面が終わりB面部分に入ると、音の幅は広がり、電子の森の中を浮遊するような幻想が楽しい。こんな演奏を聴くと、コンラッドというのはつまり、電子楽器をいじってへんてこな音をピコピコ出すのが楽しかった人なのである、なんて結論を出したくなってくるが、それじゃいかんか?

 この種の音楽って眉間に皺を寄せてめんどくさい理論並べ立てるのが好きな人がよく聴いている訳で、ヒンシュク買うかもなあ。まあ、私はこの音楽をドイツ人の民族音楽、ワールド・ミュージックとして捉えているんで、お許し願いたいものです。
 それにしてもコンラッドって変な人で、ソロになってから800を超す作品を創造しているのに、それの多くを自主制作の形で、ごく少数、世に出すばかりだった。この盤にしたって初出時のアナログ盤時代には500枚しかプレスされず、とんでもないプレミアが付く羽目になったのだ。今は普通にCDが流通しているおかげで、こうしてしがない市民の私も気軽に聴くことができるわけだが。

 また、彼は自作の曲にタイトルを付けたくない、という困った性癖があったようで、それに絡むトラブルもあったとかなかったとか。というかそもそも彼、こうしてアルバムを世に問うこと自体に、どれほど執着を持っていたのか。
 たとえば彼のアルバムのジャケって、どれもなんだかやる気のないようなそっけなさで、白地にタイトルがあるだけとか、粗末なイラストとか。ともかくジャケ買いしたくなるような物件など一つもない。
 そんなこんなで無愛想な芸術家タイプかと思っていると、一人でフラフラ路上に出てライブを敢行したりもしていたようだ。雪の降る中、寒さに着膨れた体中に音響資材くくりつけた、その様子を捉えた写真など見ていると、電子音楽家というより人懐こいジャグバンドのメンバーみたいで、まるで単なる”いい人”みたいに見えてきて、苦笑せざるを得ない。

 なんだったんだろうねえ、コンラッド・シュニッツラーって。




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