この時期になると、海岸遊歩道に吹き寄せる風も木枯らしの様相をおび、夏のあいだは我が物顔で歩き回っていた男女のカップルたちもさすがに影もなく、閑散とした遊歩道にときおり行き交うのは、厚ぼったい冬着をまとった犬の散歩の老人たちと、私のようにウォーキングに精を出すもの好きだけとなる。
今、遊歩道は夕闇が訪れつつあり、それがそもそも信じられない。まだ時計は五時を回ったばかりではないか。しかしもう、遊歩道沿いの飲み屋の看板も明かりを灯した。
クリスマス・ツリーかと思うほどの電飾をほどこした島巡りの観光船の最終便が、暗くなった湾に入港してくる。ますます気温は下がっていて、そろそろウォーキングの時間帯の変更を考えるべきかもしれない。
ヨットハーバー越しに海を眺めると、もはや定かではない水平線のあたりに小さな灯りがいくつか認められ、あれは漁船だろうか、海底ケーブル関連の作業船だろうか。
まれに、そんな遠くの船の船橋あたりに、とうに山陰に沈んだはずの夕陽の残照が当たり、夕闇の訪れた海の中で、そこだけポツンとピンク色のちっぽけな輝きが浮かんでいることがある。
そんなものをうっかり見てしまうと、何やら非常に切ない気分になってしまい、いっそのこと、その場に座り込んで号泣してやろうかとさえ思ったりする。実際には、やりゃしませんがね、もちろん。
あの時の、とんでもなく切ない気持ちの正体というものはなんだろう。終わってしまった今日という日に寄せる愛惜の気分?
わからないのだが、過ぎ去ろうとしている今日という日の、たったひとかけらが、あんな遠くの船の上で暖かい光のひとかたまりとなって揺れている。その感じがたまらないのだ。
と書いてみても、誰に伝わる話でもないんだろうな。ああ、気がつけば、また冬がやってくるね。