”Love chapter 1” Bobby Kim
いまさらSoulとSeoulの駄洒落もないものだが、ソウルっぽい意匠を込めたスロー・バラードを売り物とするポップス歌手が何人いるともしれない韓国歌謡界であって。ここまで国民規模ではまりまくっているならそのうち、以下のように主張する、かの国の音楽学者も出てくるに違いない。すなわち。
”ソウル・ミュージックは19世紀半ば、韓国は慶尚北道においてパンソリより派生した民族音楽として誕生した。それが、朝鮮戦争当時、国連軍の一員として韓半島に足を踏みいれたアメリカの黒人兵によって自国に持ち帰られ、独自の発展を遂げたものである”
とかなんとか。
まあ、くだらない冗談はともかく、そんな韓国のソウルなスローバラード歌手を、それも本来、女性歌手にしか興味のなかった当方としては例外的に男性歌手なんかこの数日、聴きこんでいたのも、我ながら妙な気分である。
ボビー・キム。このボビーというのはソウル・ミュージック好きゆえに自分で勝手につけた英名なんだろうけど、誰なんだろうな、彼のアイドルである黒人歌手は。ボビー・キムは韓国におけるレゲやラップの創始者のひとり、みたいに紹介されている文章を読んだことがある。(今の彼の音楽、例えばこのアルバムに、それらの音楽の影は見受けられないのだが)してみると、意外にアメリカ合衆国の歌手ではなく、ボビーってのはボブ・マリーなのかも知れないな。
レゲやラップを好んで演ずるミュージシャン、とくれば日本ではアホの証拠でしかないが、韓国ではどうなんだろうか。
どうも余談ばかりで話の本筋になかなか入れないが。
このバビー・キムなる歌手に興味を惹かれるきっかけといっても、毎度お馴染み、ほかのことを調べるためにYou-tubeを覗いていて、偶然出会った彼の歌が気に入ってしまったからだ。
その地声の強さというか、まるで岩石の如きその声帯の特性を生かし、生かし過ぎ、リミット目いっぱいに歌い込み、時に暑苦しい結果も出てしまう大韓ソウル・バラード界においてボビー・キムは、むしろ抑制されたボイス・コントロールでクールな表現を得意としており、特にこのアルバムのように冒頭から淡い味わいのスロー・バラード連発の構成においては、まるで水彩画のようなもの静かな感傷の世界が現出して、こいつがなかなか良い感じなのである。
どういう理由でかもう消されてしまったみたいだが、彼のヒット曲”オンリー・ユー”に付された、海辺のリゾートタウンの一夜を描いたイラスト集が心に残っている。ボビー・キムの歌の良さがうまく表現されていたと思う。
というか、一度見ただけのそれ、もはや本当に見たのか、何かの記憶違いか、実は自信を持てなくなっているのだが。
ともかく。とうに時の流れの中で失われてしまった情熱の残り火を遠く思う、みたいなバビー・キムの歌声は、ようやく行こうとしている過酷だった今年の夏の残滓が、海辺のホテルの向こうに燃え落ちて行くのをただ黙って見送る、みたいな気分にはぴったりで、何度も聴き返したくなってしまうのだった。