ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

シェバなマリアにもいわれはない

2011-07-30 02:21:25 | イスラム世界

 ”Jenentinie”by Cheba Maria

 これは、北アフリカ方面のポップスを聴き始めた頃、出会ったアルバムで、なかなか好きな一枚でした。彼女の凛と澄んだ声が、当時流行り始めた(?)ボコーダーによるロボ声処理により心地よく歪みつつ、パワフルに突き抜けて響き渡るさまは、実に快感だったのでありました。
 なんかねえ、このアルバムを聴いていると「アラーの神にもいわれはない」って小説のタイトルが頭に浮かぶのです。いや、その小説は、戦乱の西アフリカで、まだ幼い身でいながら兵士となって銃を取る運命に放り込まれた少年たちの悲劇を描いた小説で、このアルバムにつながるようなものは何もないんだけれど。

 Cheba Mariaはモロッコ出身の歌手なんでありまして、歌っているのは北アフリカのヤクザな大衆歌、ライに分類される歌なんですが、ジャケの写真をご覧になれば一目瞭然、彼女はあんまりアラブ人ぽくはないですな。アラブ人が幅を利かす北アフリカよりもっと先、サハラ砂漠の南に広がる黒人たちの世界の血をより濃厚に引く人であろうと想像できます。実際にはどのような血統の人なのか、資料の類には出会ってはいないんですが、見かけはそんな感じです。
 で、そんな彼女の歌声も、イスラム文化の刻んできた長く重い歴史とはとりあえずあんまり関係ない響きを持って躍動します。サハラ以南の黒人たちの躍動する強靭な生命の輝きを秘めたバネ仕掛けのソウル(意味不明、ご容赦)がはじけて、太陽の下、どこまでも転がって行く。

 なんかそれが痛快、って気がするんですね。イスラム文化の影響下にある大衆音楽に一様に刻まれた深い陰影に対し、「そんなもの、あたしゃ知らんけれど、とりあえず歌わせてもらうわ」と言い放っちゃったみたいな。
 文化や歴史の重みを彼女の生命力が吹き飛ばしてしまっている、そんなみもふたもない突破力が生み出す底の抜けたようなユーモアを含んだ爽快感が彼女の歌にはある。そいつを聴いては、「これはとてもかなわんなあ」と、ひ弱な日本人としては恐れ入るよりない気分なんですが。

 それにしても、彼女の”マリア”ってファーストネームは何なんだろう?まさかクリスチャンでもなかろう、と思うんですが、どういう意味合いでつけられたんでしょうね。この辺も不思議でならないんですが、まあ、現地の人にはそんな因縁なんともない、単なる女の子の名前、なのかも知れませんな。





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