思えば”goo”でブログを開設した際の最初の記事は、韓国のポンチャク・ミュージックに関するものだった。
あの、アバウトな打ち込みリズムに乗ったカセット片面ノン・ストップで続く、まあ要するに東亜風にディスコ化された”演歌チャンチャカチャン”のアシッドミュージック(?)の世界は、まさに私の理想とする大衆音楽の姿の一つと言えた。
次から次に飛び出してくるサウンド上の奇矯なアイディアの奔流。チープにしてエネルギッシュな、そしてどこかBクラスっぽいピントはずれな情熱に溢れた歌手たちの歌声。
地元の韓国においては、その刹那的で安易な刺激性ゆえに、過酷な労働を強いられる長距離トラックのダライバーたちに覚醒剤代わりに使い捨てられているとか、お洒落な若者たちにはまったく人気がなく、そのかわりオッサンオバハンたちには絶大な人気を誇るとか、異国の大衆音楽好きにはたまらなく魅惑的に響く、おいしい噂にも事欠かなかった。
だがさすがに、一通り名作(迷作?)と噂も高いカセットやCDを集めてしまうと、そもそもがそう奥が深い音楽でもなし、いつしか情熱も失って、ポンチャクの存在自体を忘れている事も多くなっていた。
などとこちらが不義理をしているうちに、いつしかポンチャクのモトネタ(?)であるところの韓国演歌、”トロット”の世界に火がついていた・・・のかも。と歯切れが悪いが、たいして有効な情報源なども持たない当方、あんまり確信を持って言い切れないのだ。
が、ここのところ、濃厚な出来のトロットの傑作に出会うことも多くなっている。強力なディスコ仕立ての、ある意味ポンチャクの地位を揺るがす(?)下世話ぶりで、これはやはり来ているのではないか。
今、手元にある、なんと”トロット・ベスト・チャンチャラチャン”と発音するタイトルであるらしい2枚組の企画ものらしきCDなども、なかなか豪快な出来上がりで、いやもう、ほとんどポンチャクを聴くノリで行ける。これをほめ言葉と取るか、その逆と取るかは、各人の音楽哲学にかかわる問題と思うが。
収められている各曲のメロディはほぼすべてド演歌、それも変にフォークぽかったり芸術ずいて高級ぶったりの日本の昨今の演歌とは逆に、宴席で皆で手拍子を取りつつ高歌放吟、なんて場面に合いそうな、分かり易くて人懐こいものばかりだ。
それがディスコ仕立てというべきかバスドラ4つ打ちの豪快な打ち込みリズムにのり、ポンチャクと構造上は同じ、曲間をおかずに延々と、悪く言えば一本調子に、よく言えば最後までボルテージを落とさずにあくまでポジティブにエネルギッシュに、そして饒舌な歌声でもって進撃する。
その歌声は、韓国で人気となっているらしい4人組セクシーアイドルグループ(添付した写真参照のこと)であるLPG(ロング・プリティ・ガールズ、だそうです)を核として、何人かの男女の共演になるものだが、特に女性歌手陣はなかなか韓国らしいパワフルな実力派が多くて気持ちが良い。
それにしても、この妙な感じをどう表現したら良いのかな。
男性コーラスが演歌のメロディをアップテンポで歌い継ぐうち、だんだん崩した歌い口になって行き、ついにはラップの世界に突入してしまうあたり。
あるいは。核になっている女性歌手たちにもいろいろ個性があって、古式豊かな典型的歌謡曲歌手もいれば、「黒人音楽大好きです」みたいな熱いコもいる。それが入れ替わり立ち代り、ドのつく演歌をノリノリで歌い上げるのだ。
ドサクサのような、何もおかしいところなど実はないような、なんとも妙な気分。
非常に古臭い世界が時代の最先端にそのままの姿で突き抜けてしまったとでも言うのか、気恥ずかしいような一本取られたような、妙な痛快さをもって猥雑な庶民のパワー丸出しで全力で疾走する、その姿に恐れ入るよりほかはないのだった。はい、ガンガン行ってください、トロット・ミュージック様。