”肝がなさ節”by 饒辺愛子
さてこのアルバムの表題曲、沖縄民謡界のベテラン(1945年生)歌手であり、コザで民謡クラブ「なんた浜」を経営もしておられる、饒辺愛子さんのヒット曲であります。購入したアルバムの冒頭に収められていたこの歌、妙に耳残りがして何度も何度も聞き返してしまったんで、何か書いてみようと思った次第。
この人は20代の頃、ラジオ沖縄で”民謡三人娘”のメンバーとして活躍し、65年に「なんた浜」でレコードデビュー、その後、88年にリリースした、この「肝がなさ節」がロングランヒットとなった、とのこと。ともかく、”沖縄の母”的な、味わい深い歌唱を聞かせてくれる人です。
それにしても。いやあこの歌、最初に聞いたときはコミックソングと信じ込んでいたのさっ。
あまり沖縄臭くない、むしろ韓国の民謡とかアメリカのカントリー・ミュージックのフィドルのフレーズとかを連想させる一癖あるメロディと、巧妙に韻を踏んだ歌詞が非常にトリッキーな印象を与え、これは絶対可笑しい歌だ、とか私は信じ込んだのですな。
作曲者名を検めると”普久原恒勇”とある。ああ、それならね。
普久原恒勇は、普通の意味での沖縄臭くないところが逆に非常に沖縄を感じさせるなんて、まったく一筋縄では行かない作風の沖縄の大物作曲家である。
奄美の音楽を聴き始めたことで得た別の視点から、これまであまり馴染めずにいた沖縄の音楽を聴き直してみようと考えている昨今、キイポイントとなる存在のような予感がしているのであります、この人。まあ、それはそれとして。この人の作るメロディなら、それはこちらの固定概念を揺さぶって当たり前だな。
そして、あまりにもリズミカルに軽妙に韻が踏まれているゆえに沖縄の言葉が分からない悲しさ、てっきりコミックソングかと思った歌詞も、調べてみれば人の心と愛のありようを深く切り込んだ内容になっていると知る有様で。異文化に接する際には早合点は禁物と、いまさらながらの思いをいたした次第でありました。
でもほんとにこの曲は流しているだけで心地良くなれる曲で、なにかというと聞き返してしまうのですな。
それにしても、このアルバムに何曲も収録されている、いかにも古い日本の歌謡曲の尻尾を引きずるマイナー・キーの悲しげな演歌は、音楽雑誌の”沖縄の音楽特集”なんて際にはオミットされている世界ですな。キナ・ショウキチ経由で沖縄に接し、ソウルフラワーなんとかがレコーディングに参加、なんて話題を正面に押し立てて作り上げられた沖縄のイメージからすると雰囲気ぶち壊しとなるからなかった事にされているのか?ちょっと揚げ足取り根性で注目してみたくなってます。
その他、”ケーヒットゥリ節”の地味ファンクな手触りの心地良さや、最後に収められたデビュー曲の”なんた浜”の、静かな宇宙との対話のなんという美しさなどなど、まだまだ楽しめそうな盤なのでありますが、この辺で。
肝がなさ節 (作詞とりみどり 作曲普久原恒勇)
里がするかなさ 肌がなさ かなさ 年重び重び肝ぬかなさ
肝がなさらやー 思みかなさらや