ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

バンコック、R&B大通り

2011-08-07 04:50:31 | アジア

 ” カーオ・ノーク・ナー”by チャンタナー・ギティヤパン

 駅前のSホテル・ボーリングセンターといえば、当時の私の町の不良少年(死語)たちの中でも相当の上級者が出入りする場所と、中高校生頃の私には認識されていて、登下校の祭など、その施設がある道を通るのさえ遠慮される”聖域”であったのだった。
 今、オトナになった身でその場を見ると、単なる古いホテル所有のボーリング場であり、特に妖気も放ってはいない。多分、中学生当時の私が、街で名高い不良の誰某がその場に出入りするのを偶然見かけ、そこをそのような場と思い込んだのだろう。

 当時流行の生バンドの入っていたディスコを”締めて”いたFさんは、ちょっとでも暴力の雰囲気を漂わせた見慣れない男の顔を見かけるとソッコーでトイレに連れ込み、一瞬のうちに文字通りのボコボコにしたものである。
 そんな彼はハコで、あるいはトラで入っているバンドを、ともかく彼が踊りやすいリズムを刻んで演奏するように、鍛え上げた。もちろん彼に音楽の知識などなかった。ただ非常に感覚的な言葉だけで「あそこはこうしろ、ここはこう弾け」と短く命じた。
 ナウいサウンドであるかないかとか、それは今流行りではないからかっこ悪いとか、そのようなありがちな曲は恥ずかしいから演奏したくないとか、そんな事はまったく考慮に値いしなかった。ただ奏でられる音楽が、彼がかっこよく踊れる仕組みになっているかどうかが問題だった。

 そのような過去を、オトナになってから酒の席で再会した私に向かい、F氏は、こう回顧したものである。
 「なあ、××ちゃんよ。俺があの時、ビシビシ鍛えてやったから、あんたたちは立派なミュージシャンに成れた。違うか?」
 違うよ。そもそも俺はミュージシャンで食えた事なんかないし。と言い返そうとしたが、やめておいた。見た目、穏やかな中年男に変化している彼の内実が、おそらく昔と何も変わっていないであろうこと、確実だったからである。

 そんな彼ら不良連中がなぜか一様に好んだ音楽がリズム&ブルースだった。これは日本中で、あるいはもしかしたら世界中の若い奴らが踊る場所では、そのような定番となっているようだ。リズム&ブルースには、不良の住み着いた場所の臭気が芯まで染み付いている。
 その辺の空気をうまく商売上のイメージ作りに転嫁していたのが、たとえばバブルガム・ブラアースなんて連中だったが。
 というわけで、ここに取り出したのは、おそらく1960年代の終わりから70年代にかけて活躍したのではないかと思われるタイのリズム&ブルース歌手の復刻アルバムである。

 一聴、そのかっこよさにしびれたものだった。往年のスタックス風のグッとタメの効いたサウンドに乗せ、クールな黒っぽさを秘めて、往年のリズム&ブルースの定番を次々に歌いこなして行く女性歌手。歌詞などはタイ語であるのだが、何も不自然に聞こえず、何より楽曲を自分のものとして自在に料理しているのが、たまりません。後ろで聞こえるオルガンがかっこいいやあ。
 うわ、こんなことやっていた人がいたのか。70年前後、日本人はR&Bシーンにおいて、タイに大きな差をつけられていたぞ。などと、今頃になって焦っているのだ。  いたんだろうなあ、タイのディスコにも、怖い不良が。






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