ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

追い詰められて、雑感。

2012-12-29 23:26:08 | いわゆる日記

 レコード会社の広告に、ライトニン・ホプキンス生誕100周年企画とて、彼の残したアルバムをまとめてCD化、などとあり、その広告のジャケ写真を見ているだけで嬉しくなってくるものがあり、これは楽しみだと舌なめずりしたのだが、よく見れば”世界初・紙ジャケ仕様”と記されてあった。
 なんだ、紙ジャケかよ。買いたかねえな、そんなもの。一気にやる気を失い、白々とした気分に。まあ、買わずに済んで経済的には助かったとでも考えてみることにしよう。
 あ、当方、アンチ紙ジャケ・アンチデジリマ・アンチボートラ主義者ですんで、よろしく。
 まったくね、みんながどうでもいいものを価値あるものと信じ込まされて、買わなくてもいいものに大枚使わされている事実に、そのペテンに、早く気がつかないものか。それとも皆、永遠にドレイの日々をあえて送るつもりなのか。

 ×××

 つけっぱなしにしておいたラジオからYUIの歌が流れてきて、彼女独特のあの頼りないヘロヘロ声で”がんばれ~~がんばれ~~”とか歌っていたんで、思わず笑ってしまう。人にがんばれとか言う前に、お前自身がもっと歌をがんばれ。

 ×××

 ディズニー仕様の携帯のコマーシャルも、もはや見慣れたものになったが、あれのバックで流れているミッキーマウス・マーチ、本来の「ミッキーマウス!ミッキーマウス!」という歯切れの良いものではなく「ミッキマ~ア~ア~アウス、ミッキマ~ア~ア~アウス」なる、垂れ流し状態の歌い方で、いや、私、デイズニー関係の熱心なファンでもなんでもないのだが、ともかく気持ち悪くてならない。
 あの「マ~ア~ア~」を平気で聞いていられる奴って、相当に感性が鈍麻していると考えていいのではないか。

 ×××

 あれはクリスマス直前の夜だったが。急に胃に痛みを感じ、どうにもならなくなった。何年か前に胃潰瘍になった、あの感じと似ている。一夜明けたらひどい痛みでもなくなっていたのだが、それなりの腹痛はその後も残っている。
 これは歳が明けて病院が通常営業に戻ったら出かけて行き、胃カメラのひとつも飲まねばならないのかもしれない。などと覚悟を決めているのだが、年明けの最初の仕事がそれかよ。来年もろくな年にならないと決まったようなものだ。
 
 こんなふうになんとも出口なしみたいな塞いだ気分の時、音楽はあまり関係ない気がする。少なくとも私は、あんまり積極的に聴きたい気分にはならない。そんなところにふと聞こえてきた、いつもはなんでもないと思っていたタイプの音楽にスッと心を持って行かれたりする。

 そんな体験の最初のものは、あれは私が小学校の低学年頃だろうか、中耳炎か何か耳の中に激痛が走るヤマイに一人苦しんでいた。夜が明けたら医者のところに連れて行ってもらおう。それまでの辛抱だ。そう自分に言い聞かせるものの、そんな時の夜は長い。
 と、そこに、隣家からギターをつま弾く音が聞こえてきた。隣家といっても老舗の大旅館なんだが。おそらく、そこの従業員か何かが趣味で練習しているのだろう。

 そのギターがまた、まあ、今思い出しても下手くそなギターで、何度引いても同じところを弾き間違う。漏れ聞こえてくるギターの音を耳で追い、「ああ、そろそろ間違うぞ。ほら、ここのところだ」と、何度か聞くうち、予想がつくようになっていった。
 その曲はちなみに”ジングルベル”だったのだが、季節は確か初夏だったはずだ。初心者用の練習曲として使われる曲とも思えず、なんだって彼はそんな曲を執拗に繰り返していたのだろう。

 とはいえ。耳の痛みで眠れぬ夜、その間抜けな調べは確かにつかの間の癒し、救いにはなったのだった。ああ、音楽ってそういうものだったのか。
 それを機会に音楽に開眼した、といえば話はうまく出来上がるのだがそうでもなくて、私はそれ以前もそれ以後も、怪獣映画やら週刊誌の漫画なんかが好きな、つまんないガキでしかなかったのだった。


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