ハリー・ポッター最新刊、お読みになりましたか?私は、今週の日曜日に2度目を
読み終えました。
訳者であり、静山社の代表でもある、松岡佑子さんは、この第6巻の翻訳中に
ご両親を亡くしたそうです。
完成した七冊を供えるべき人間が、これで三人になってしまった。夫と父と母と。
本文の最後でも、そっと涙をぬぐいながら読み、あとがきにきても、また涙が出るのを
こらえなければならず‥でした。松岡さんは、お父様の最後は、第1巻『ハリー・ポッターと
賢者の石』のダンブルドアの言葉を思い出させてくれた、と書いています。
「‥‥死とは長い一日の終わりに眠りにつくようなものだ。結局、きちんと
整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険に過ぎないのじゃ」
きちんと整理された心
来るべき「その時」に備え、ほんとうに「その時」がやってきても、畏れずに騒がずに、
悲しまずに、静かな心を持つことができるのでしょうか‥修行の足りない私なんかは、
想いを巡らせてみることはできるけれど、まだまだ心の中は雑然としたままですが。
絵本の中に、整理された心を持った人(人でいいのかな?)を見つけました。
『ぶたばあちゃん』
マーガレット・ワイルド 文
ロン・ブルックス 絵
今村葦子 訳
私がこの本を知ったのは、1ヶ月くらい前のkayoさんのブログ「マトリョーシカな日々」で、
紹介記事を読んだからです。どうしても読んでみたくなり、図書館で予約し、やっと借りる
ことができました。
原題は『OLD PIG』。孫娘と、おばあちゃんのお話です。
長い間、日々の仕事を分け合ってきた二人。しかし、ある朝、ぶたばあちゃんは、
ふだんどおりに起きてきませんでした。 孫娘は、いつもは二人でやってきたことを、
自分ひとりでこなしていきます。
つぎの朝、 「きょうは、いそがしくなるよ」おばあちゃんはいいました。
「わたしは、したくをするんだからね」
ぶたばあちゃんは、借りていた本を返却し(もうつぎのぶんは借りません)、銀行へ
行って口座を閉じ、食料品店、電気代、八百屋さん、燃料屋さんの支払いを済ませ、
残っていたお金を孫娘のさいふにしまいます。
何がおころうとしているのか、おばあちゃがどこへ行くのか、とっくに気がついている孫娘は、
「ええ、あたしは泣かない。約束する」孫むすめはいいました。でもそれは、
うまれてからいままでで、いちばんむずかしい約束でした。
ぶたばあちゃんは、少しも畏れずにすべてを受け入れ、次への階段を昇っていくために、
今までの場所(=今居る場所)の片付けをしていくわけです。
自分のしてきたこと、自分の使っていたもの、自分の所有していたもの‥それらのすべてを
自分の思うとおりに片付けてから、整頓してから、誰かに譲り渡せてから、旅立てる人が、
今いったい何人いるでしょう。伝えたいことさえ、伝えられず、会いたい人にも会えず、
誰に自分が会いたかったのかさえ忘れて、逝ってしまう人がどれだけ多いことか‥。
きちんと片付けも済ませたぶたばあちゃんは、さらにこう言います。
「さて、それでは」ぶたばあちゃんがいいました。「ごちそうにしようかね」
「食欲がでてきたの?」とつぜん希望にみちて、孫むすめがききました。
「食べものが、食べたいわけじゃないんだよ」ばあちゃんがいいました。
食べものでなく、ぶたばあたちゃんが望んだ「ごちそう」とは何だったのでしょう?
あそらく最後の日となるその日を、「満たしてくれたもの」は‥
ほんとうに、生きるために必要なことは、こういうことなんだ。最後の時間、最後の1日は、
こんなふうに暮れていくべきなのだ、そう思わずにはいられない素晴らしいラスト数場面が、
この後ページを繰るとやってきます。
一夜が明けて、池のそばに佇んでいる孫娘。その脇いるのは、おばあちゃんではなく、
一羽のあひる。空を見上げた彼女の顔に朝陽があたり、静かでありながら、それはどこか
誇らしげであるように思えます。
ぶたばあちゃんも、次の大いなる冒険 の一歩を踏み出したのでしょう。
作者マーガレット・ワイルドとロン・ブルックスのコンビといえば 『キツネ』 がありますね。
絵の感じもお話もちがうので、同じコンビの作品だとは、気がつきませんでした。
『キツネ』。何ヶ月か前に読んだのですが、あまりに考えることが多くて、紹介することが
できませんでした。またいつの日にか‥
読み終えました。
訳者であり、静山社の代表でもある、松岡佑子さんは、この第6巻の翻訳中に
ご両親を亡くしたそうです。
完成した七冊を供えるべき人間が、これで三人になってしまった。夫と父と母と。
本文の最後でも、そっと涙をぬぐいながら読み、あとがきにきても、また涙が出るのを
こらえなければならず‥でした。松岡さんは、お父様の最後は、第1巻『ハリー・ポッターと
賢者の石』のダンブルドアの言葉を思い出させてくれた、と書いています。
「‥‥死とは長い一日の終わりに眠りにつくようなものだ。結局、きちんと
整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険に過ぎないのじゃ」
きちんと整理された心
来るべき「その時」に備え、ほんとうに「その時」がやってきても、畏れずに騒がずに、
悲しまずに、静かな心を持つことができるのでしょうか‥修行の足りない私なんかは、
想いを巡らせてみることはできるけれど、まだまだ心の中は雑然としたままですが。
絵本の中に、整理された心を持った人(人でいいのかな?)を見つけました。
『ぶたばあちゃん』
マーガレット・ワイルド 文
ロン・ブルックス 絵
今村葦子 訳
私がこの本を知ったのは、1ヶ月くらい前のkayoさんのブログ「マトリョーシカな日々」で、
紹介記事を読んだからです。どうしても読んでみたくなり、図書館で予約し、やっと借りる
ことができました。
原題は『OLD PIG』。孫娘と、おばあちゃんのお話です。
長い間、日々の仕事を分け合ってきた二人。しかし、ある朝、ぶたばあちゃんは、
ふだんどおりに起きてきませんでした。 孫娘は、いつもは二人でやってきたことを、
自分ひとりでこなしていきます。
つぎの朝、 「きょうは、いそがしくなるよ」おばあちゃんはいいました。
「わたしは、したくをするんだからね」
ぶたばあちゃんは、借りていた本を返却し(もうつぎのぶんは借りません)、銀行へ
行って口座を閉じ、食料品店、電気代、八百屋さん、燃料屋さんの支払いを済ませ、
残っていたお金を孫娘のさいふにしまいます。
何がおころうとしているのか、おばあちゃがどこへ行くのか、とっくに気がついている孫娘は、
「ええ、あたしは泣かない。約束する」孫むすめはいいました。でもそれは、
うまれてからいままでで、いちばんむずかしい約束でした。
ぶたばあちゃんは、少しも畏れずにすべてを受け入れ、次への階段を昇っていくために、
今までの場所(=今居る場所)の片付けをしていくわけです。
自分のしてきたこと、自分の使っていたもの、自分の所有していたもの‥それらのすべてを
自分の思うとおりに片付けてから、整頓してから、誰かに譲り渡せてから、旅立てる人が、
今いったい何人いるでしょう。伝えたいことさえ、伝えられず、会いたい人にも会えず、
誰に自分が会いたかったのかさえ忘れて、逝ってしまう人がどれだけ多いことか‥。
きちんと片付けも済ませたぶたばあちゃんは、さらにこう言います。
「さて、それでは」ぶたばあちゃんがいいました。「ごちそうにしようかね」
「食欲がでてきたの?」とつぜん希望にみちて、孫むすめがききました。
「食べものが、食べたいわけじゃないんだよ」ばあちゃんがいいました。
食べものでなく、ぶたばあたちゃんが望んだ「ごちそう」とは何だったのでしょう?
あそらく最後の日となるその日を、「満たしてくれたもの」は‥
ほんとうに、生きるために必要なことは、こういうことなんだ。最後の時間、最後の1日は、
こんなふうに暮れていくべきなのだ、そう思わずにはいられない素晴らしいラスト数場面が、
この後ページを繰るとやってきます。
一夜が明けて、池のそばに佇んでいる孫娘。その脇いるのは、おばあちゃんではなく、
一羽のあひる。空を見上げた彼女の顔に朝陽があたり、静かでありながら、それはどこか
誇らしげであるように思えます。
ぶたばあちゃんも、次の大いなる冒険 の一歩を踏み出したのでしょう。
作者マーガレット・ワイルドとロン・ブルックスのコンビといえば 『キツネ』 がありますね。
絵の感じもお話もちがうので、同じコンビの作品だとは、気がつきませんでした。
『キツネ』。何ヶ月か前に読んだのですが、あまりに考えることが多くて、紹介することが
できませんでした。またいつの日にか‥