南斗屋のブログ

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新年となり恒例の行商に出発 文政12年1月上旬・色川三中「家事志」

2024年01月15日 | 色川三中
文政12年1月上旬・色川三中「家事志」

土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第三巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。

文政12年1月1日(朔)(1829年)晴 節分
初春、富士の山を臨みて。
「富士の嶺は 去年(こぞ)のままなる 白雪を 霞残して 春は来にけり」
#色川三中 #家事志
(コメント)
あけましておめでとうございます。三中も28歳(数え)になりました。この年末年始は体調を崩すこともなく平穏に過ごせたようです(一昨年は体調を崩していました)。富士山を見て、歌を詠む三中、土浦からも富士山見えるんですね。

文政12年1月2日(1829年)晴
下高津の甚左衛門という者が、「惣三郎さんから畑を借りて耕作してたんで、年貢を収めに来ました」といって、二年分の年貢を持ってきた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中は薬種商が家業ですが、高持百姓でもあり、田畑は小作に貸しています。下高津(土浦市下高津)の畑を色川家→惣三郎と小作に出していたようですが、更に惣三郎→甚左衛門と貸していたようです。三中は、実際に誰が耕作しているかまでは把握していなかったのでしょう。いきなり年貢を持って来られてびっくりです。

文政12年1月3日(1829年)
(編集より)本日は三中先生、ご休筆です。
#色川三中 #家事志


文政12年1月4日(1829年)晴
〈行商出立〉朝、奇夢を見る。夢の内容は略す。与兵衛と共に、土浦より東方面の行商に出立。安食村の松倉屋に泊。
#色川三中 #家事志
(コメント)
新年の行商です。正月の挨拶回りを兼ねているのか、正月4日から行商を始めます(昨年は体調不良で1月5日出立でした)。同行者与兵衛、初日は安食村(茨城県かすみがうら市)泊も前年どおりです。

文政12年1月5日(1829年)晴 西風
〈行商中〉安食を出立。本日は高浜宿で泊まり。凶夢を見る。
#色川三中 #家事志
(コメント)
今回の宿泊先は高浜宿(現石岡市高浜)。高浜「宿」と書いているので、宿に泊まったのでしょう。行商二日目が安食⇒高浜も昨年の行商と同じです。

安食の道祖神 to 高浜

安食の道祖神 to 高浜


文政12年1月6日(1829年)晴
〈行商中〉天気静か。高浜宿を出立し、本日は玉造泊。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商三日目。本日は高浜(石岡市高浜)を出発して、玉造(現かすみがうら市玉造)で泊(昨年年初の行商と同じ旅程)。霞ヶ浦東岸を行商しています。
高浜⇒玉造

高浜 to 行方市役所玉造庁舎

高浜 to 行方市役所玉造庁舎



文政12年1月7日(1829年)晴
〈行商中〉
本日は玉造(かすみがうら市玉造)に滞留。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商四日目。玉造宿に連泊。これもまた昨年の行商と同じです。同じパターンを繰り返しているということは、回る先が決まっていて、安定しているのでしょうね。


文政12年1月8日(1829年)西風
〈行商中〉
玉造を出立。青柳村を経て、鉾田宿に泊。
「里の名に のどけさしるき 青柳の 枝ういそえて 春は来にけり」
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商五日目。玉造(かすみがうら市玉造)から鉾田(鉾田市鉾田)へ。これまた昨年と同じ。青柳村(鉾田市青柳)を通ったことを記しており、青柳を織り込んで歌を詠んでいます。
玉造⇒鉾田

玉造 to 鉾田駅(バス)

玉造 to 鉾田駅(バス)



文政12年1月9日(1829年)
〈行商中〉本日は鉾田宿に滞留。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商六日目。鉾田宿に連泊。昨年の正月は鉾田宿は一泊でしたが、7月の行商から鉾田連泊となっています。鉾田周辺での顧客が増えたのでしょう。


文政12年1月10日(1829年)
〈行商中〉鉾田宿を出立し、汲上に泊まる。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商七日目。鉾田宿を出立し、汲上で泊。汲上は鉾田から鹿島に行く途中にあります。鉾田や鹿島といったそれなりに大きな村だけでなく、その間も開拓をしているようです。
鉾田:鉾田市鉾田
汲上:鉾田市汲上
鉾田-汲上

鉾田 to 汲上

鉾田 to 汲上








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