「千葉県弁護士会史」は、千葉県弁護士会が編纂した弁護士会の歴史です。同書が出版されたのは1995年で、当時の会員には無料配布されたのですが、既に絶版であり、中古すら市場に出回っていないようで(ネットで検索してもヒットしません)、今となっては入手が困難な状況です。
私がこの書物を手にしたときは、あまりまとまりがない本だなあという思いからか、ほとんど読むことがなく、いつの間にか手元になくなってしまっておりましたが、今読むと結構興味を引かれることもあります。
その一つに、戦後すぐの修習生・新人弁護士の生活があります。
同書には、「会員インタビュー」という項目があり、第5編全体がインタビューに当てられており、その中に「大坂忠義先生に聞く」で、戦後の様子がわかります。
「昔(昭和23年修習)の修習生の給料は200〜300円。当時、月の生活費が1000円くらいかかっていたんで、とても生活できなかった。千葉の弁護士はみんな即独せざるを得なかった。独立してからは最低の生活から始めた。中堅の弁護士も食えなかった。弁護士会の会長が”新人弁護士に国選を回してやれ”と言ったら、中堅の弁護士から不公平だと苦情がでた。相当の大家の中でも、新聞記事を呼んで警察の留置場に面会に行き、弁護士を自分に依頼しろと弁護届を取っていたという人もあるくらい」
金銭感覚が今とかなり違うので、200円とか300円とか言われてもピンと来ませんが、食べられなさ加減というのはわかります。大坂弁護士は生活の貧困状態を「子どもが朝起きると米びつを開けてみて、『米がない、米がない』と泣いていたほど」というエピソードで語っています。
国選事件の取り合いというのは、今では当たり前のような感じですが、歴史は繰り返すという気がします。弁護士数がここまで増える以前は、国選事件を希望する弁護士が少なく、弁護士会の担当者が弁護人を見つけるのが困難だった時代もあったのです。
戦後という特殊性もあるのかなと思って読んでいると、大坂弁護士によるとそうでもないらしく、「昭和30年代になっても、弁護士の生活は良くなったという記憶はない。」と回顧されています。
当時は、「弁護士が普通に食べていけるまでに10年くらいかかった。」ということであり、弁護士1年目からそこそこ稼げたという経験ができた自分はそれなりに幸せな時代を生きたのだなと思います。
自分の経験したことだけを基準に見てしまうと、それだけを絶対視してしまうものですが、歴史に学ぶことで、今初めて起こったように見えることも、かつてあったものだと知ることができます。