Living with a season! ~季節のある暮らし Vol.1~

福岡県で、料理&テーブルコーディネートの教室「Coordinare」を主宰するLEAFが綴る、暮らしを楽しむコツ。

佐藤初女さんという人

2007-02-22 22:46:39 | 日々のこと 読書
佐藤初女さんという方と、ご存知ですか?
青森で「森のイスキア」を主宰されている方です。
「森のイスキア」には、学校や会社、家庭の中で、心が傷ついた人達が多く訪れ、初女さん自らが心を込めて作る手料理で、元気を取り戻して帰っていくという所です。
自殺を考えていた人が、初女さんの握る「おむすび」を食べて、自殺を思いとどまったという話があるくらい。

私は、偶然読んでた田口ランディのエッセイの中で、初女さんの事、「森のイスキア」の事を知り、すごい衝撃を受けました
だって、おむすびで人に命を救ったなんて、どんなおむすびだったの???と、それだけで衝撃。
初女さんの生き方、「森のイスキア」の事はとても興味深く、自分自身もFOODをと身を置いているものとして、心が震える感動を覚えるとともに、反省する事もいっぱい
初女さんについて知りたい!、そう思っていた時に、たまたま『いまを生きる言葉「森のイスキア」より』に出会い、ますます初女さんに魅了されてます

初女さんは、どんな時でも「頂く」という言葉を使うそう。
決して、「食べる」とは言わない。
なぜなら、食材は「命」であって、私達人間は、その「命」を糧にして生きているから。
だから「食べる」のではなく、「頂く」のである、と。
お料理をする際にも、その素材が、一番生きるようにお料理してあげること。
ただモノとして作っていると、食事は味わうものではなく、「空腹を満たす」ものになってしまうから。
食材の命が、調理する事によって、もう一度生かされたときに、初めておいしいものができるし、その命そのものを頂く事によって、人間は元気になります。
だから、調理をする段階でも、気を配ること。
野菜も、魚も肉も、みんな「生きてる」モノだから、優しく、やさしく扱う。
野菜は力任せにザクザク切るのではなく、野菜が苦しくないように、そっと切る。
皮むき器で皮を剥くと、痛そうだから、包丁でそっと剥いてあげる。
ご飯をお茶碗によそう時も、お米が息ができるように、そっとよそう。(命を救うおむすびも然り)
そして、お料理を作るときは、慌しくふるまわないように心がけることが大切。常に意識を集中させて、食材の命と心を通わせるように。それが食材に対しても、食べて頂く方達に対しても礼儀であるし、そうでないと、人の心に響くものは、作れない、と。
そして、出来上がったお食事を頂く時に、一番心がけるのは、素材を造った人(や神様)、調理をする人に感謝をする心。その感謝の気持ちを感じることが、次に他人に何かをしてあげたい、と自然に思う気持ちに繋がると。

初女さんが当たり前にされている事は、どれも最近忘れがちの事ばかり
深く、ふかく、反省です・・・。
ガンガン皮むき器で野菜の皮を剥いていたのですが、初女さんの事を知ってからは
「あぁ~、ジャガイモさん、ごめんね。痛いでしょう・・・」と、思うようになりました。(急いでいると、ついつい皮むき器を使ってしまいます。駄目な私
「豊食」「美食」の時代になると、また、コンビニやレトルトなんかが主流な時代になると、こういう気持ちって、忘れ去られていくんだろうか・・・、と考えると、なんだか怖くなりました。
人間って、どこまでも、おこがましいな、と。
初女さんの全てを真似する事はできなくても、こういう気持ちは、忘れずにいたいし、忘れてはならない事だと、強く思いました。

そして、初女さんの言葉で、一番心に残ったのが、「おいしいモノを頂くのではなく、おいしく頂くことが大事」という言葉。
「おいしいモノを食べたい!」というのは、人間の自然な欲求なんだと思います。
だけど、それをエスカレートに追求すると、心がどんどん離れていっちゃう。
せっかくの食卓も、不平不満でいっぱいになっちゃうし、それって本末転倒だと思う。
どんなモノでも、「おいしく頂く」。
自戒の意味も込めて、大切に心に留めたい、言葉でした