とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

目蒲線ものがたり2008

2008年05月06日 | とのさまの休日
  昨日も乗りましたけど、目蒲線(電鉄の呼称は目黒線)でこのところ目につくのは、左右で色違いの、つぎはぎのようなホームドアです。

  以前から、乗っていればどこかの駅に1か所くらいはありましたけど、故障か何かで予備のドアをはめてるのかなくらいに思っていました。

  ところが最近はいったい何か所あるのやら。武蔵小杉だけで少なくとも2か所。目黒までにどれだけあったのかというほど。そんなに故障が多いのか? 予備のドアって何枚あるんだ? そこで思い出したのが、大昔のコミックソングです。

♪ぼくの名前は目蒲線 さみしい電車だ目蒲線
あっても無くてもどうでもいい目蒲線
 (おおくぼ良太『目蒲線物語』)

  今では養母の田園都市線や弟の新玉川線も同じく埼玉まで足を伸ばし、実父の東武東上線を陰気だなんだと云えなくなってしまった。忘れ物に鍬やスコップは見たことないけれど。

  それでも赤坂は叶わずとも六本木を通るようになった。でもヒルズやミッドタウンとは異なる一丁目というのが“らしい”といえばそうか。

  武蔵小杉へと伸びて生き別れになっていた実母の南武線と再会もできた。その南武線になった母親も、元いた赤羽線は埼京線へと変貌を遂げた。親子揃って大出世だ。埼玉というのは同じだけど。

  南武線も新しい車になったけど、半数は山手線からのお下がり。帯の色も昔のつぎはぎを髣髴とさせる黄、赤、茶色の3色。目蒲線のつぎはぎホームドアと合わせ、母子の再会を喜びつつ、なんだか親離れ子離れができない様相ですらある。いつまでも母親が恋しいのだろうか。もしかしてこのお母さん、やっぱり埼玉なんか走りたくないと、今の川崎暮らしに安堵しているのではなかろうか。

  拙者は何の因果か、目蒲線沿線に生まれ育ち、結婚してからは南武線にお世話になっている。この不思議な親子関係に自分の人生を重ねてしまうのです。

  たとえ6両編成になろうと、車内広告に埼玉のものが多かろうと、拙者の中では目蒲線のままずっと変わらないのだろう。武蔵小山駅西口に貼られている、まだ新しいはずの看板のように。
  

  さて数年後には地下鉄を介して実父の東上線と養父の東横線が繋がる。これもなんの因果やら。

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  今日は仕事に行ったのですが、それは明日まとめてにいたします。

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2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
新玉川線 (はまりん)
2008-05-07 08:21:21
義弟は継母に…×××。(笑)

「西武は大会社、東武は年金暮らし」というくだりにも時の流れを感じているのではないでしょうか。
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何も言うまい (雲葉)
2008-05-07 22:22:19
え?新玉川線は健在ですよ?(笑)

http://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/40/2b/f9eb5309a72a527fe5aa2719d3e3311d_s.jpg

東武線は後期高齢路線制度により、和光市‐池袋や北千住‐押上で運賃の天引きが行なわれております。(火暴)
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