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とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

シリーズ逆行の旅 ~第9回 真岡鉄道

2006年11月04日 | とのさまの漫遊
  2001年8月17日、宇都宮地区のJRバス制覇のため日帰り旅に出た。まずは東武宇都宮線に乗って、おもちゃのまち駅でなんとなく降りてみる。何を期待していたわけではないけれど、平凡な片田舎の駅といった風情でしかなかった。近くにある、その名も「おもちゃのまち郵便局」で経験値1とゴム印1を入手。駅の反対側へも行って独協医科大学前簡易局でも経験値(略)する。

  江曽島駅からJR日光線の鶴田駅へ徒歩で渡り、宇都宮双葉、鶴田駅前の2局で経験値(略)する。電車に1駅乗って宇都宮へ。ここからJRバス討伐が始まる。まずは作新正門前行きを。夏休み時期でもあり生徒の姿はない。宇都宮学園(当時)を迂回して終点へ。至近にJRバス関東宇都宮支店があったので路線図と時刻表を所望する。すると思っていたより複雑な路線網が展開されていることが判明した。どうせ一日で片付くはずはないしと考えていたので、今後の楽しみともしよう。

  清原台、清原工業団地をぐるぐる回って路線を乗り潰し鐺山(こてやま)へいったん戻る。経験値(略)してから芳賀水橋経由祖母井(うばがい)行きを待つ。バス停前のコンビニで涼み、通過予定時刻の5分前にバス停へ出るが、待てど暮らせどバスが来ない。そうこうしているうちに他のバスが来たので運転手に「○分発の祖母井行きが来ないのですが」と告げると、「そんなはずはないんだけど?」 時刻表を見直しても学休日運休などの注釈はなく、5分以上も早発したようだ。文句を言っても始まらないので道場宿へ行き経験値(略)してから刈沼経由で祖母井へ。少し戻ったところにある芳賀温泉ロマンの湯に浸かる。

  露天風呂は清掃直後のようで湯を張っている真っ最中。広く快適な湯で汗を流し、食堂でビールを飲んだら体中の筋肉が伸びきってしまった。適当に休憩してバスで真岡駅へ。途中の市塙駅近辺でも小貝口経由と市貝小学校経由があるので、完全制覇にはもう一度来なければならない。今回は小貝口経由に。

  すっかり日が暮れてきたところで下館行きの単行ディーゼルカーに乗り込む。2~3両編成の下り列車は帰宅客で満員なのに、こちらは1両でも数人だけ。のんびりした空気のまま下館に着いた。

  乗り換えた水戸線小山行きもガラガラ。上昇式の窓を開ける。下降式や固定窓が増えた今、こんな体験もできなくなってきている。温泉で温まりきった体に夜風と缶ビール、そして線路のカタタンというジョイント音が心地良かった。

シリーズ逆行の旅 ~第8回 阿佐海岸鉄道

2006年10月29日 | とのさまの漫遊
  1997年9月21日夜、四国へ旅行する途上で大阪南港フェリーターミナルにいる。今回はどうやって四国入りするか悩んでいたところ、高松在住(当時)の知人が情報をくれた。大阪~甲浦~土佐清水の航路が廃止になりそうだという。航路の親会社にやる気がなく、明石鳴門橋の開業で利用が減ると見込まれ、早ければ年内にも廃止されるであろうとのこと。それならばとこの航路を利用することに決めた。

  はてさて廃止が言われるくらいだから、ちょっとした期待(不安?)が頭をよぎった。「どんなボロ船が来るんだろう」 しかしその期待(?)は見事に裏切られた。当方が利用する2等船室は普通の桟敷だが5時間程度の乗船なら充分で、船の4階と5階にあり、4階が甲浦、5階が土佐清水の利用者と分けられているのは親切だ。ただ禁煙区域が設けられていないのは遺憾に思う。この程度の客船ならシャワーくらい…、と考えていたら浴室があった。無料で、当然利用する。湯上りには軽食堂で生ビールを一杯。0時に客室は消灯(≠減光)されるがテレビはつけっ放しだ。他にも大食堂(夜間休業)や遊戯区画もあり、これが廃止になるのは惜しいというより勿体ない。2等には貸し毛布(有料)もあるようだが利用しなかった。甲板では足摺で演奏会をするという団体が練習に励んでおり、少し歓談したら3時近くなってしまった。1時間寝る。

  翌22日4時20分、甲浦は闇の中で、早起きの高知行きバスが待機していた。意外と利用者が多いのに驚く。営業中の喫茶店もあるが、寄らずに駅へ。寝静まる甲浦の街をとぼとぼと歩き、道を間違えたりしながら30分かけてたどり着いた。駅高架脇の観光案内所の前にベンチがあったので仮眠する。

  空が明るくなり6時を過ぎた頃、おばちゃんが案内所を開けに来た。こんな早朝から開けるとは思わなかったが、おかげでトイレが使える。

  6時38分発の始発列車に乗って徳島へと向かった。

 (この航路は翌1998年に営業譲渡されるものの、2001年に休止→廃止となりました。詳しくはウィキペディアの記事をご覧ください)

シリーズ逆行の旅 ~第7回 JR東日本吾妻線

2006年10月22日 | とのさまの漫遊
  1997年8月15日、高校時代の友人と日帰り旅行に出た。行き先は氏の希望で群馬県の嬬恋温泉に。
  上野から高崎線に揺られ、高崎から渋川へ。渋川から吾妻線に乗る。「逆行」という観点からは外れるかもしれないが、とにかく途中の万座・鹿沢口まで行く。途中の草津原長野口だったかで途中下車。ムダに長ったらしい駅名は付けないでもらいたい。覚えるのが面倒だし何のメリットがあるのか分からない。

  万座・鹿沢口までは列車回数も比較的多いが、その先は1日5往復しかなく、列車を待っていては今日のうちに帰れなくなるおそれも出てくる。そこで一計を案じ、鹿沢温泉方行きのJRバスが出るようなので、いちかばちか乗ってみる。まだインターネットなるものが目新しかった時代、情報収集は今ほど容易ではなかった。それでも2人の旅行勘を信じればなんとかなるものだ。

  中央大前というそれっぽいバス停で降りてみる。こちらのほうが役場に近く、そこそこの集落になっている。しかも小高い場所にあるため駅の方向が見渡せるのがありがたい。どうやら目的の温泉施設らしき建物が見える。

  バスがあったお蔭で適当な入浴時間を確保できる。列車折返しの間に入浴はちと難しいし、そんなタイムトライアルなんかやりたくもない。汗を流したところで大前駅へ。なぜここが終点なのか謎ではある。もっと先まで路線を伸ばす計画でもあったのか。万座・鹿沢口まで1駅だけ乗って吾妻線を制覇した。

  その後はバスで鬼押出しを見学したのち軽井沢へ。廃止間近の碓氷峠を下って家路についた。

シリーズ逆行の旅 ~第6回 東武鉄道佐野線

2006年10月14日 | とのさまの漫遊
  東武鉄道の中で実質的に唯一の盲腸線となった佐野線を逆行制覇したいと考えたのは、もう何年も前のこと。やがて結婚しインターネットという文明の利器も手に入れ、旅行は格段に便利になった。ところが同線に乗る機会がなかなか見つからずにいた。そこへ流浪人氏が同線で日本の鉄道全線完乗を果たすという知らせがあった。しかも完乗地は終点の葛生ではなく佐野だという。ではどうやって葛生まで行くのか尋ねると、隣の堀米駅まで歩いて佐野‐堀米間を残し、改めて葛生まで往復するとのこと。それならこれ幸いと拙者の逆行案を提示したら快諾(と拙者が勝手に思い込んでいるだけかも(^^;)してくださった。ということで2人で未訪の地である葛生を目指します。

  朝6時半に武蔵小杉駅で落ち合い東横線へ。乗った途端に嫁はんからメールが。関東で震度3の地震だという。幸いにして電車が止まることはなかったが、前途が安全でありますように。日比谷線銀座線を乗り継いで浅草へ。8時10分発の快速東武日光・新藤原行きでボックス席に落ち着き、小杉の東急ストアで買っておいた朝食をパクつく。土曜日なので北千住、春日部とハイカー風のお客が乗り込んで賑わいます。東武動物公園でローカルに乗換え。館林でもう一度乗換えて佐野でいったん降ります。

  駅から南へ徒歩5分ほどの高砂町停留所から佐野市営バスに乗って、まずは田沼へ。これは旧葛生町営バスが市町村合併で市営バスになったもの。これの存在に気付いていたので逆行を目論んでいたわけです。バスの時間まで田村耕一陶芸館を見学。
  10時39分発の野上線田沼経由小戸口行きは数分遅れてやってきた。他に乗客はいない。市バスとはいえ車はマイクロ、しかも白ナンバーです。大人の事情があるのか佐野駅には入りません。鉄道と並行して走るものの、線路とは付かず離れずといった感で適度な距離があり、また違った雰囲気が味わえそう。でも景色は平凡です。

  20分ほど乗って田沼駅に近い角町で降ります。運賃は300円なり。駅に入らないのはこれも大人の事情か。でも次に乗る会沢線葛生経由会沢小室行きは「田沼駅前」から発車する。ふたりでバス停を探すものの、これが見つからない。
  駅右手前方の広場に「日本の中心」なる碑がある。中心やら“へそ”はいったい全国に何か所にあるのか。その広場の近くにぽつんとバス停のポールが立っていた。駅にも案内がないのだからひどい。地元民が知っていればいいことなので鉄道には関係ないのだろうか。バス停が見つかったので時間まで駅のベンチを借り、近くのパンと洋菓子の店で買ったおやつをもそもそ。

  11時47分発の会沢線は日祝運休で、今日は動いてます。車種はさっきと異なり、ずいぶん古い車なのか、アイドリング時の振動が凄まじく、かつなんだか懐かしい。市民病院でばぁさまが何人か乗り、のんびりした道中です。秋山川を狭隘な安蘇川橋で渡り、20分ほどで葛生駅入口へ。280円払って降ります。でも駅なら市営バス車庫前のほうが近かったかも。

  昼食のため店を探すと、うってつけのように「さのや」という店を見つけ、喜び勇んで向かうと「本日休業」の文字が。やむなく転進し、隣の葛の里壱番館内にある海鮮料理の店「ととや」へ。食べ終わって頃やよしと葛生駅へ行くと、すでに7~8人が待ち構えていました。途中でなるものがあったようですが、悔しいから見ないことにします。

  そして13時10分発の電車で無事に佐野へ。鉄道の倍以上の運賃と1時間半もの時間をかけて辿った往路に対して復路は僅か20分。氏に所感を尋ねると「あっけなかった」。なんだか罪作りなことをしてしまったのだろうか。そうであれば申し訳ない気がします。

  ここで皆の衆とは別れてJR両毛線で伊勢崎へ。東武鉄道を完全制覇すべく伊勢崎線の客となった。
  末筆ながら、この場を借りて流浪人氏の偉業に敬意を表します。

シリーズ逆行の旅 ~第5回 わたらせ渓谷鉄道

2006年10月09日 | とのさまの漫遊
  2003年10月31日、たまにはぶらりと出かけてみようか。嫁はんは実家へ手伝いに行って独りだし、こちらはこちらでのんびり過ごそう。

  ということでJRを使わない旅を試みた。とはいえ自宅最寄りがJR線の駅なので、ここは止むを得まい。武蔵小杉まで1駅は南武線を。川崎行きの初電に乗って東横線、地下鉄銀座線を乗り継ぎ浅草へ。ここから東武日光・鬼怒川方面の快速に乗る。6両編成で前2両が東武日光行き、後4両が会津田島行きとなるので後ろへ。ボックス席に落ち着いてしばらくのんびりと。

  まずは新藤原に寄り道して駅前にある簡易郵便局へ。開局時刻まで間があるため付近をぶらぶら。下今市へ戻って東武日光行きに乗換え。平日だけど観光客が多い。
  東武日光からはバス路線図や運賃表とにらめっこして、とりあえず裏見の滝入口へ行ってみる。窓口で乗車券を求めると、係員の女性に「裏見の滝はバス停から遠いですよ」と告げられる。べつに本当に滝へ行くわけではないので、一向に構わない。滝入口バス停前の日光安良沢局で経験値1とゴム印1を入手すると、ゴム印には三猿の絵が。次いで徒歩で清滝へ。ここでも経験値1とゴム印1を入手する。ここのゴム印は滝の絵だろうか、凝りすぎてかえって不鮮明なのは惜しい。

  ここからは足尾町営バス(今は合併で日光市営バス)で間藤を目指す。日足トンネルを抜けて足尾町(当時)へ。ここまで来る観光客は少なく、車内は地元民が何人かでまったりと。

  田元で右へ折れてバスは間藤に寄り道のかたちに。駅の少し先まで乗って足尾赤倉局でさらに経験値1とゴム印1を。ここのゴム印には、リンドウだろうか花が描かれている。今日は簡易局へ行った後、3局連続で図柄入りゴム印に出会い、実に自然体且つ革命的である。

  さて、ここからが本日のメインイベント、わたらせ渓谷鉄道に乗る。昼の列車には地元民のほかハイカーの姿も。観光客向けか沿線案内や浪曲が延々と放送される。喜ぶ向きもあろうが、ゆったりしたい拙者にはちと鬱陶しい。ところでこの放送は運転士の肉声のようで、案内がてら眠気防止に喋り続けているのだろうか。風景が山から街へと変わり、列車は桐生駅にすべりこんだ。

  桐生駅の立ち食いソバで遅い昼食の後、上毛電鉄で赤城へ、続いて東武桐生線と小泉線を乗り継いで東小泉へ向かい、未乗線区を片付けていく。西小泉支線も未乗なのだが、単純に往復しても面白くないし、西小泉まで歩いてもそう遠くなさそう。しかも途中に大泉郵便局があるので経験値(略)した。ここで16時となり本日これまで。西小泉局には寄れなかったが自然体であり一向に問題ない。電車の時間があるようなので駅前の喫茶店だかスナックだか不明な店に入ってみると、なんとメニューがポルトガル語ばかりで日本語がない。どうにか見当をつけてビールを頼み、500円払って店を出た。

  本当は今夜はどこかに宿を取ってもと考えたのだが、電車賃の方がはるかに安いことに気付き、そのまま帰宅したのでした。

シリーズ逆行の旅 ~第4回 水島臨海鉄道

2006年10月08日 | とのさまの漫遊
  2001年11月16日、ようやっと“夏休み”が確保できたので四国へと漫遊の旅に出る。新大阪でフィアンセ(今の嫁はん)と合流して岡山へ。

  岡山駅からの普通列車は乗車時の割り込みがいといみじく、特に高校生連中は整列乗車の意思を持ち合わせていないようなので、ご隠居の命により助さんと格さんが懲らしめた。中庄駅で一旦降りる。ここでも高校生は降りようとする当方に体当たりをかませて無理矢理乗り込もうとする。しかし体格では当方が上であるため返り討ちに。

  駅前の〒を制圧して16時を過ぎたので倉敷へ。水島臨海鉄道に乗りたいけれど、次の列車までやや時間が開く。ではバス(両備バス)はと見れば、うまい具合に16時15分発の川鉄南門行き(現・JFE南門)があったので乗り込む。ほぼ鉄道と並行して走る。穴場神社前に「倉敷紀念病院」があり、地図の誤植かと思ったら実物も同じだった。帰ってから広辞苑を調べると『記念』の項に、第三版では「紀念は誤用」とあり、第五版では「紀念とも書いた」とある。

  三菱自工前駅に近い亀島橋で降りる。所要時間は約30分で運賃は410円だった。工場地帯を自動車の部品を眺めながら歩く。こんな訳の分からぬ旅に付き合ってくれるフィアンセ(今の嫁はん)もかなりのマニヤであることは疑う余地がない。

  ホームひとつだけの無人駅からディーゼルカーに揺られて倉敷市へ。車掌が乗務していたので車内補充券を売ってもらう。

  岡山へ戻って夕食の後、彼女は自宅へ戻り、拙者は四国へと向かった。

シリーズ逆行の旅 ~第3回 JR東日本大湊線

2006年10月01日 | とのさまの漫遊
  1992年9月17日木曜日、当時の東北ワイド周遊券で旅行した。函館まで足を伸ばし東日本フェリーの深夜便で未明の青森へ戻る。

  5時47分発の蟹田行き普通列車は特急用車輌の間合い運用なのに加え、他に乗客はほとんどなくゆったりと。蟹田駅から7~8分歩いてむつ湾フェリー乗り場へ。7時15分発の便に乗客は拙者のほか家族連れが1組だけ。客室内のテレビを勝手につけて「ズームイン!朝」を見る。トイレを使うと水が流しっぱなしで、どうやら海水を汲み上げて洗浄用に使っているのか。底を見ると明るく、そのまま海に捨てる仕組みのよう。接岸中の使用は控えたほうがよさそうだ。

  設備は並でも快適な船旅で、1時間があっという間に過ぎた。脇野沢に着けばうまい具合に8時40分発の九艘泊行きJRバス(※)がある。海岸沿いの整備された道を進み、15分ほどで現れるやや大きい漁村の集落が九艘泊だ。5分の折返しで脇野沢に戻り遅めの朝食に。続いて10時19分発の源藤城(げんどうじろ)行きに乗る。九艘泊とはうって変わっての細道で、15分ほど走った何の変哲もない小さな集落で突如終点になる。折返しはなんと10時37分発(22時ではない)が最終便で、脇野沢からそのまま大湊方面田名部行きになるので乗り通す。沿道にいくつか郵政省(当時)の店舗を見かけたが、気にしないでいよう。

  ワンマン運転の大湊線、12時24分発野辺地行きは水曜運休で、1日違えば大変なことになっていた。乗客は1区画1人程度で海側の席を。天気晴朗なれど波高し。陸奥湾とその向こうに見える岩木山がいい構図だ。思わずシャッターを2度3度切る。

  車輌は旧型のキハ40なれど快適に飛ばし、1時間強で終点の野辺地に着いた。

(※)現在は田名部~大湊駅~脇野沢間のみの運行

みうら湯

2006年09月26日 | とのさまの漫遊
  今日は雨ですし、たまにはのんびり骨休めを。おなじみふれーゆもいいのですが、食堂の麦酒がA社になってしまったのでは、もはや拙者にとって魅力は10分の1以下です。そこでまだ訪れたことがない弘明寺のみうら湯へ行ってみることにします。

  昼過ぎに家を出て、せっかくなので武蔵小杉から東横線に、切り替わった元住吉を通ってみましょう。頃やよしと特別急行が。車輌は昭和生まれの9000系です。某ウェブ辞典に、今回のダイヤ改定で9000系が昼間の特急運用から退くという書き込みがありましたが、全くのガセでした。どこのヲタかは知りませんが勝手な早合点は困ります

  新線区間は視点が高くなったという以外に特別な感慨はありません。ただ、元住吉駅のホーム屋根が短いところに、交替乗務員用とみられる雨除けがあるのはいかがなものか。それならホーム全体に屋根を架ければよさそうなものを。周辺家屋への日影規制に引っかかるとも思えず、単に予算の都合なのか不可解であります。

  さて、横浜からは京急弘明寺みうら湯きっぷ(横浜から910円)を購入します。場所が弘明寺というのがいいですね。これが日ノ出町や黄金町だったら
  入館時に100円払って会員証を作ります。これで各種割引が受けられるほか、利用金額10円につき1ポイントが付与され、ポイントを貯めると入館券などに引換えができます。しかも、あれうれしや、今日はポイント2倍デーとあるではないか。
  風呂の仔細は割愛しますけど、館内食堂の価格がHPの記載より一部で値上がりしていました。他にも駐車場が一部閉鎖されたり、開業時ほどの賑わいはなくなったのでしょうか。ちなみに麦酒は樽生がサントリーモルツで、ヱビスの中瓶もあります。ホッピーの文字も見えますね

  それでも日替り定食が600円など、レジャー施設にしては良心的じゃないでしょうか。今日は鶏そぼろ丼とぶっかけそばのセット。煮物や奴豆腐も付くので麦酒のつまみにもなりました。

  各種の風呂で日頃の疲れを落とし、心持ちか体が軽くなったような気がしました。たまにはゆっくりと英気を養うのも必要かもしれません。次は嫁はんと、といきたいのですが、嫁はんは意外と烏の行水なんです。なので大抵は「神田川」状態になってしまってます

シリーズ逆行の旅 ~第2回 JR西日本美祢線大嶺支線

2006年09月24日 | とのさまの漫遊
  1996年9月9日、九州へ向かう旅の途中で寄り道を試みる。切符は九州ワイド周遊券(当時)と青春18きっぷを併用している。岡山から、三原―広島で新幹線を使った以外は普通列車を乗り継いで小郡へ。ここも21世紀には新山口という得体の知れぬ駅名になるなど思いもよらなかったことだろう。宮島口や甲子園口などから、おそらく新山という場所があって、そこへの入口ということか

  もう1本普通列車を乗り継いで、厚狭から美祢線に入る。車内は座席間隔を車体幅一杯に広げた向かい合わせ式の座席だが構わず昼食にする。小郡で仕入れた「ふしのちらし」を。包装紙を開くと箸が入っていなかったので立ち食いそば店から分けていただいた。

  大嶺支線に乗りたいのだがいったん美祢まで行く。昔ある著述家が著作の中で、美祢から大嶺まで国鉄バスに乗っていたはずで、JRはないにしても社線バスがあるのではと期待していた。果たして厚狭駅前で船鉄バスの路線図を見ていたら存在した。ところが美祢駅前のバス停に貼られた路線図は、肝心の大嶺方面が省略されていて分からなくなってしまう。時刻表に大嶺・白岩方面の表示はあるが、次の13時45分発は石柱渓行きとある。付近の地元民にも尋ねたが確たる返事は得られないので、いちかばちか乗ってみる。運転手に尋ねると大嶺方面とのことでやれやれだ。バスがなければタクシーで代行するか大嶺支線自体をあきらめていた。

  大嶺中央、南大嶺駅前を通り、やがて大嶺駅前へ出るが、列車の出発が14時38分と時間があるのでそのまま暫く乗り通す。後で知ったのだが、大嶺から炭鉱への引込み線跡に沿って走っているらしい。

  自由乗降区間は白岩から先なのだが、乗客と運転手が顔見知りなのは田舎バスの特徴で、停留所とは無関係に家の門前で停めてくれる。拙者も白岩バス停の少し先で降ろしてもらう。所要16分、運賃は320円だった。目前に郵政省(当時)の代理店があったので経験値1とゴム印1を入手する。代理店は直営店と区別するために「簡易」の称号を加え、貯金活動家垂涎の的となっているようだ。実年(死語)の女性受託者が記念にとボールペンをくださった。

  大嶺駅までは徒歩行軍となるが、時間が読めないのでやや早足で進む。旧道に入ると小さな商店街が現れ、郵政省の直営店があったので経験値(中略)する。

  正味約20分で辿り着いた大嶺駅は、一見して旅行者と分かる男性一人いるだけでガランとしていた。今日は1日雨模様なので、あとは大人しく過ごす。発車時刻が近づいたので車内へ入ると、さっき駅へ向かう途中で拙者に郵政省の店舗を尋ねてきた女性が乗って来た。目的は同じだったらしい。帰京後に彼女から届いた葉書を見ると、かなりの筋金入りであることが分かる。住所を交換した際に用いた用紙は当方は新幹線の冷水機用紙コップ、彼女は郵便貯金の預入票…。どっちもどっちか。

  僅か1駅4分で乗車を終え、拙者は美祢線を長門市経由で九州へ向かった。

  そして大嶺支線は、この半年後、1997年4月1日付で廃止となりました。

シリーズ逆行の旅 ~第1回 桃花台新交通

2006年09月18日 | とのさまの漫遊
  鉄道には“盲腸線”と呼ばれる行き止まりの路線が少なからず存在します。そうした路線に乗るには、大抵は他線との接続駅である起点から終点に向かって乗るケースがほとんどでしょう。
  しかしへそ曲がりな拙者は、なんとか終点から乗る方法はないものかと画策して実行した路線もあり、昨年9月7日のTXもそのひとつです。
  そういった「へそ曲がり」の行動を記しておきたいと思います。古いケースがあるため現在とは状況が変わっているかもしれず、その点はご容赦願います。


  2000年10月18日、JR中央線は愛知県の春日井駅へ。9時15分発のJR東海バス造形大学行きに乗る(※1)。途中の大池住宅までは頻繁運転だが、その先は1日6回しかなく、この便を逃すと14時10分までない。15人ほどの乗客を乗せて出発するが、六軒屋口で3分の2が降りてしまった。若い女性が多いものの、付近に大学や専門学校などが存在する様子もなく不可解である。残った人も大池住宅までに全員降りてしまい、自分ひとりに。造形短大にはスクールバスがあるため学生の利用はない。
  小牧市に入って大草の集落を通ると、左手に桃花台新交通(ピーチライナー)の橋脚が見える。春日井から約20分で着いた終点の造形大学(※2)は、本当に大学があるのかどうかも疑わしくなるほどの寂しい場所で、バスはさらに前方へと走り去っていった。

  目前の造形短大前簡易郵便局で経験値1とゴム印1を入手し、折返しのバスで少し戻って東洞口で降り、大草簡易局をも不退転の決意で正面突破する。続いて桃花台東まで歩いて初乗車となるピーチライナー(※3)

  まずは桃花台西まで行き、小牧古雅局を制覇する。するとなんと、桃花台東駅前に新設局があるとの情報を入手した。それならと桃花台センターまで歩いて小牧桃花台局も制覇して電車で戻る。新設局である小牧大城局は駅の案内図にも記載がなく、駅前に人通りがないことに加え、街路樹に隠れて看板が見えなかったのだ。経験値1とゴム印1に加えて開局記念のタオルをもらえた。

  ピーチライナーは経営が厳しいとの話を聞くが、実際に乗ってみれば納得する。まず駅に関して驚いたのは、エレベーターやエスカレーターはおろかトイレすらない。改札を入ってしまったら飲料の販売機すらない。昼間20分間隔ということを考えれば、あまりにも不親切ではなかろうか。

  ガラガラの電車を小牧まで乗り通し、名鉄小牧線で上飯田へ抜けた(※3)


(※1)現在は大池住宅~造形大学間は廃止されています
(※2)現在の名古屋造形芸術大学
(※3)今年9月30日で廃止が決定しております
(※4)当時は上飯田~平安通間は未開業

西東京散歩

2006年08月23日 | とのさまの漫遊


  今日は親戚の子を連れて近隣の電車を乗り歩き。前にも書いたことがありますけど、障碍持ちの子なので運賃は半額です。

  午前10時に武蔵小山を出発。まずはトーチカ南北線で後楽園へ。武蔵小山駅で2人分320円の乗車券を買うのに1020円を投入すると、釣り銭が百円玉7枚で出ました。ここは昔から、例えば千円札で120円の切符を買うと百円玉8枚に十円玉8枚で釣り銭が出たものです。時代は移れど伝統は生き残ってるんですなぁ。

  頃やよしと埼玉直通が来ました。そういえば目蒲線(電鉄の呼称は目黒線)が地下になってから目黒方面へ行くのは初めてです。南北線では今日も駅ごとに運転士が、発車サイン音の後に「ドアを閉めます」と肉声で放送してます。どうやらデフォルトになったのでしょうか。この路線はワンマンの自動運転のため、運転士といっても仕事はボタン押しとモニター確認だけ。集中力の持続に声を出すのはいいかもしれませんね。

  後楽園から東京ドームを半周して水道橋駅へ。野球の試合もイベントもなく閑散としています。ノーコン、もとい「闘魂こめて」の発車チャイムを聞き、次いで総武・中央緩行線で新宿に。なぜ信濃町を「東京音頭」にしないのか。

  新宿からは京王線で。すいてそうな先頭寄りへ歩を進めると、どうも様子が変だ。見ると線路上にスーツ姿の男性が座り込んでいる。誰かが非常ボタンを押して駅員が次々と駆けつけます。足許もおぼつかないようなので、駅員に抱えられてホームへ上げ、用意された車椅子で運ばれていきました。線路上にいたときから自分でタオルを持って顔を拭いていたりしたので、急な眩暈などで落ちたのではなさそう。酔っ払いだとしたらもっての外である。ともあれ、この間おおよそ5分で、列車の運行には大きな影響はありませんでした。

  さてと、改めて京王線快速で稲田堤へ。久しぶりに乗ったので快速が八幡山や仙川に停まるのを知りませんでした。

  ここのSバーミヤンで昼食にして、南武線に乗り武蔵中原の我が家へ。忘れ物を取りに来ただけです

  その後は南武・浜川崎支線鶴見線京浜東北線東急多摩川線を経由して武蔵小山へ。これだけ乗って16時過ぎには着けるのですから、東京の電車はほんとうに便利だと感じます。

  あとは、これで夏休みが終わりだったら悲しい…

鉄道博物館めぐり

2006年03月21日 | とのさまの漫遊
  今日は5月14日で閉館となる交通博物館へ、高校の先輩や同級生と総勢4名で向かいます。
  川崎から東海道線、時間があるので中央線に乗って神田で降ります。201系電車の起動時に制御装置から聞こえる「カックン、プ~~~ン」というサウンドも数年で聞き納め。さらに東京近郊の国電から塗装車が消滅します。味気ないものです。
  神田で降りたのは川崎からの運賃で、秋葉原まで行くと380円に対して290円だから。神田から歩いてもそう遠くはありません。

  10時の待ち合わせで15分も前に着いてしまい、お蔭で人通りのない写真が撮れました。昨夜は帰宅が21時近くになってしまいフィルムを買い損ね、写真機を持って来れなかったのが残念…

  本来は12日に来る予定だったのが、万世橋駅遺構見学の予約が今日しか取れず、やむなく延期となったのです。
  予約の10時35分に集合場所へ。係員の説明の後にいよいよ遺構へ。「足許の悪い箇所があります」と注意されるけど、鶴見線国道駅に比べれば数段マシです。(笑)

  

  6分間の映画を見てホーム跡へ。どうにか電車を入れた写真も撮れました。

  館内をひと回りして昼には退出。昼食にしようにもどこも行列が。少し歩いて神田淡路町の「志乃多寿司本店」へ。いなり寿司や海苔巻き、押し寿司を適当に頼んで皆でつつき合い。美味しいのはもちろんだけど案外安い。仕事中にこんな店があったら間違いなく入りますね。先輩にゴチになってしまったため値段は失念いたしました(^^ゞ。

  食後は地下鉄に乗って葛西の地下鉄博物館へ。ここも何年ぶりでしょうか。トイレを使うと職員のおっちゃん2人が、
  「最近の子供は挨拶もできないし、どうしようもないね」
  「こないだ(遠足で)来た○○小学校なんかひどいもんだったよ」
…お気持ちは察しますが客の前でそんな会話しなくても
  初代1000形車輌の車内って間接照明だったんですね。お洒落ですけど乗客が多い現代には不向きなのでしょう。

  続いて東向島の東武博物館へ。先輩がここでしか入手できない書籍があるというのでやって来ました。館内には入らず入口脇の売店だけ。駅近くのイタリアン食堂で喫茶。テレビの映像が世界野球古典で日本が優勝したことを伝えてます。

  帰りは先輩が未乗という半蔵門線に乗って永田町経由南北線で目黒へ。ワンマン運転の南北線の運転士は駅ごとに、発車サインのあと肉声で「ドアを閉めます」とアナウンスしてるのは感心です。あんなチャラチャラした音よりも、東急池上・多摩川線みたいなベルにしたほうがいいようにも思えます。

  久しぶりに気の合う仲間と道楽に興じた一日でした。

でんしゃでGo!

2006年01月03日 | とのさまの漫遊
たり

  「電車で~」と聞いてゲームを思い浮かべるか戸川純を思い浮かべるか、大抵は前者でしょうな。

  今日は親戚の子を連れて電車に乗せに行きます。ちょいと障碍がある子なんですけど、お互い気心は知れてるし、公の場で騒いだりってこともないので気は楽です。彼はこれが楽しみで上京するようなものですから

  武蔵小山の実家へ寄ってから東急目蒲線(目黒+多摩川線)で蒲田へ。正月ということもあってか車内はガラガラです。東急多摩川線は久しぶりに乗ります。ワンマン運転用のホーム柵が設置された以外は、地平から階段を数段上がればホームという簡便さに、ベンチ、というか木製長椅子のままなのは相変わらずです。良く言えば昔ののんびりした雰囲気を残し、悪く言えば大して梃入れもされず放置、というところでしょうか。東急蒲田駅は“まるで北欧のターミナル駅”と評されるほどの雰囲気を持つ駅ですが、そこに来るのは3両編成ばかり。このアンバランスさも好きですね。

  蒲田からは京浜東北線鶴見線を乗り継いで扇町へ。たしかここには主の黒猫がいるはず、と思ったらいるわいるわ 茶トラに灰色トラが2匹に黒に、何匹いるんだ? この駅は無人駅でも貨物扱いがあるためJR貨物の事務所があり、そこの有志が飼っている様子だったのですが、こんなに増えたら餌代だって大変でしょうに。
  
 猫と遊んでて乗り遅れたら大変です。なにせ土休日の昼間は1時間に1本しか電車は来ないのですから

  浜川崎から南武支線で尻手へ。駅前にあるガストで昼食に。今朝の新聞折込み広告にドリンクバー(プレミアムカフェ)のクーポン券が付いていたので、彼の分はそれで、拙者はのクーポンを使って安くなりました。
  川崎から東海道線で戸塚、さらに横浜市営地下鉄に乗り換えて上大岡へと進みます。彼が京浜急行に乗りたいと言うので、頃やよしと乗り込んだのは品川行きの普通車です。彼も普通なら追い抜かれたりすれ違ったりでいろんな電車が見られるので楽しいようです。拙者も混雑する快特よりのんびりできますし

  品川からは混雑する山手線は避け、ちょうど蒲田行きが来た京浜東北線で蒲田、そして朝と逆方向に武蔵小山へ戻りました。嫁はんも来ていて皆で会食し、あまり遅くならない時間に帰宅しました。

あれから20年…

2005年09月07日 | とのさまの漫遊
のどれか  

  今日も颱風の影響で雨らしい。ならば先月開業したチバラギ国際鉄道(TX:Tはチバラギを訓令式で表した頭文字)に乗りに行くことにします。思いがけず4連休になってしまいました。
  でも当たり前に秋葉原から乗ったのでは名がすたるというもの。さりとて筑波まで高速バスでも面白味がない。ちょいとネットで調べてみると、旧万博中央駅からつくばセンターまで国鉄バスがあることが判明。国鉄“全線”完乗を目指す拙者としては好都合で、これで経路が確定した。時刻は国鉄バス土浦営業所のサイトで調べられました。

  8時半過ぎに家を出て、東横線~日比谷線~千代田線経由で北千住へ。常磐線高萩行きのボックス席に落ち着いてしばらくはのんびり。ひたち野うしくと名前を変えて再開業した万博中央で降ります。ここに来るのは科学博以来、実に20年ぶり。まだまだ開発途上で、駅近くには郵便局すらないのはいかがなものか。早急に設置して貯金局数を増加できるよう郵政公社に苦言を呈しておく(また誰かの文面だな)。

  ここからつくばセンターへのバスは約20分間隔で、関東鉄道2に対して国鉄が1の割合。もちろん国鉄バス運行便を狙って乗ります。
  科学博のときに作られ、沿道に時おり店舗があるだけのだだっ広い道を坦々と走り、荒野から市街に風景が変わると終点のつくばセンターに到着、運賃は500円でした。

  最寄りの筑波学園郵便局で知人への通信文を書いて“風景入り日付印”を押してもらい、西武百貨店と併設のジャスコで昼食と買い物。やはりここではジョージアマックスコーヒーを買うべきでしょう。売り場へ行くと、あれうれしや、92円で特売されているではないか。他のジョージア製品と同様にデザインが変更されています。

  さてさて、せっかく来て単に秋葉原まで乗り通すのもつまらず、適当に降りてみます。全線の(営業㌔で)ほぼ中間地点になる柏の葉キャンパスにしよう。
 ところでTXは秋葉原から守谷までが直流電化、その先は交流と電源方式が違います。常磐線では取手~藤代間で、やはり電源方式が変わるので、その境目では電気が流れない区間があります。常磐線では旧型の車輌だったので車内灯やクーラーが消えたりしましたが、こちらでは車内灯は消えずクーラーだけが消えました。

  柏の(略)駅で降りると駅前では木下大サーカスが設営準備中。市街はやや離れており、駅の東西2箇所にバスロータリーがあります。駅へ戻ってくる循環系統が2本あるので、頃やよしと乗ってみることに。運賃はどちらも160円と安い!
  ずっと強風だけだったのがついに雨も。時おり強く降れば嵐の様相です

  適当に暇を潰せたので各駅停車で秋葉原へ。それにしても、都内はフツーの駅名なのに、都外へ出れば恥づかしい駅名が並ぶのはいかがなものか。やたらに“中央”やら横文字やら得体の知れない造語を並べるのはイナカ根性の表れ、なんてのをいつぞや新聞の投書で読んだことがあります。加えて流山セントラルパーク駅の略称が「流山パク」というのはどうしたものだか…。素直に“流山中央公園”じゃぁ、イナカ的に受け入れられないのでしょうか。

  18時過ぎに帰宅。明日は台風一過で暑くなりそうです。


【今日の行程】
 武蔵中原8:45(南武線 モハ205-363)8:47武蔵小杉8:53(東横線~日比谷線 03 433)9:25霞ヶ関9:32(千代田線 6316)9:52北千住10:02(常磐線 モハ403-12)10:52ひたち野うしく11:05(JRバスひたち野うしく線 L527-98505)11:30つくばセンター~つくば14:18(TX TX-2452)14:41柏の葉キャンパス14:54(東武バスイースト 柏08系統ライフタウン循環)15:15同駅15:37(同バス 西柏03系統柏の葉公園循環)15:55同駅16:15(TX TX-1114)16:48秋葉原 (~以下略)